続かないお話 キムチ④

翌朝、かちこちの身体を引きずってリビングへ行くと、既にやる気に満ちた安保さんと弟さんがご飯をかきこんでいた。ほとんどさっきまで飲んでいて2人とも1時間くらいしか寝てないという。祭りで育った人たちはこういうものなのよ、と安保さんのお母さんが教えてくれた。

久世田のやっさは平和だったが、昨晩も例年通り別の地域のやっさでは何人かが喧嘩して逮捕されたらしいという話を、兄弟はなぜか笑って話していた。メジャーリーグの乱闘を見るくらいの気持ちでちょうどいいんだろうなと久林は自分なりに理解した。

そんな祭に2日連続で出陣したくはないので、昨日集めた言い訳袋をあさっていたのだが、安保さんのお母さん特製のお魚朝食が美味しすぎて、久林はご飯をおかわりするミスを犯した。
この旺盛な食欲をカバーできるようなちょうど良い仮の病名が何も思いつけず、この日も祭りに参加することにしてしまった。
昨日より少し体に馴染んだ法被に着替えて、跳ねた泥の固まったまだソールの湿った地下足袋を履いて深いため息をついて玄関を出た。

校庭に行く頃には見に行くからね!
とお母さんの元気な声に見送られて、遠い遠い集会所に向かうために家の前の道を下ろうとすると、隣の道から高井会長と奥さん、子どもを抱っこした女性と昨日の女の子と鉢合わせた。

久林は一気に緊張した。昨日とはまた違って祭り用に髪を後ろで結んだ法被姿がめちゃくちゃ可愛い。
昨日お会いしたお母さんやお姉さんに目元がそっくりで、2人より背が少し高い。

久林は目も見ずに自己紹介した。
安保さんの大学の後輩のひさばやしちあです。
と、そう言ったつもりだったが、その子にはカマタシュンケイと聞こえたらしい。
住職かよ。緊張してるのがみんなに伝わって恥ずかしい。
カマタ和尚は心の中で念仏を唱えて呼吸を整え、のどの奥に意識を集中させてもう一度自分の名前を言い直した。
すると、今度はうまく伝わったみたいで
高井さくらです。
と気持ちの良い笑顔で名前を教えてくれた。

仲良くなりたい。雨上がりの田舎町の朝の澄んだ風にのって、久林の胸をよぎった想いの香りが伝わってしまったのかどうかはわからないが、前を歩く高井会長が振り返ってこちらを見てきた。
久林は少し顔を強張らせたが、会長の目は優しく笑っていた。会長は端正な顔立ちで、身長も高くスラッとしているのでまだアルコールの入っていない今日はとてもかっこよく見えた。会長のさくらちゃんに似た大きい口元が動いた。

せっかくだみんなで写真でも撮るか。

道のはじによって安保さんのケータイをちょうどいい高さのブロック塀に置いて、タイマーで写真を何枚か撮った。安保さんの弟のなおきくんが目をつむっていたり、会長の髪の毛が風にさらわれていたりとみんなの仕上がりに波はあったが、どの写真を見ても久林の顔だけガチガチすぎやしないかという話になった。

久林疲れてんのか?もっと笑え、ほっぺたの表裏に力入れるねん。

と安保さんのよくわからないご指導をいただいたのを良いことに 、

なるほどそういう事か!わかりましたもういけます!

と大きい声で答えて最後にもう一度撮り直したが、そこは2年後にお笑いを志す若者、それをフリとして使って、全力の変顔をぶち込んでおいた。
みんなで撮れ具合を確認したくらいで、安保さんが尻を蹴りながらつっこんでくれたので良い感じに笑いになった。
さくらちゃんが1番笑ってくれたのが嬉しかった。

集会所までさくらちゃんの隣を歩いた。
さくらちゃんは自然な笑顔で写真に写る方法があるんですよと、いたずらっぽい目で久林に教えてくれた。

写真撮る前にキムチって言うと良いんですよ!

キムチ?

チーズだと、うの口になるんですよっ
だからキムチって言ったら自然に口角が上がるんであとで試してください。

ほんまや、てか言われてみたらそうやわ!なんでチーズなんやろ

でしょ?
これは私が勝手に思ってるんですけど、ふつうに、いー、ってやるより、キムチの感じで、い、う、い、ってやる方が頬がほぐれて笑える気がするんですよー

さくらちゃん、さては色んな文字めっちゃ試した?

バレました?笑
キウイとか試しました 笑
私も苦手だったけどなんかのテレビで見てからそうやってるんです。

俺も次からそうしよ!

使ってください!

あのさ練習したいから一緒に写真撮ってくれへん? という渾身のお願いは、
さくらー!!おはよー!!!
という前から来たエルフの荒川に法被を着せたような女の子2人組みのテンションに掻き消された。

久林はそこではじめてもう集会所の前に着いてしまっていた事に気が付いた。まだ撮影所から10メートルくらいしか歩いていないつもりでいた。

今年さくらちゃんとした会話はこれだけだった。

久林は祭りの最中なんとか話しかける機会をうかがっていたが、会長や周りの目を気にしてしまったり、やっさを引いたり持ち上げたりしている間は、近くにいてもあまり喋ったりすると空気が良くない。
チャンスは休憩中だが、さくらちゃんは地元の友だちとずっと一緒だった。
久林はさくらちゃんを横目で追ったり、休憩中に近くにいる時は背中で声を聞いたりしていたが、その日は卒業以来久しぶりに会う今朝から合流した大学時代の仲間らとの尽きない会話に体を使っていた。

昨日より10人以上の若い衆が増えた久世田地域のやっさは、無事竹田中学校の校庭での8地域合同やっさ上げを成功させて今年の役目を終え、半年後の点検まで集会所のシャッターの奥で眠りについた。

昨日の蓄積疲労もあって久林の体は限界を越えており、数時間前までは2度と祭りには参加しないと誓いをたてていたのだが、いざ終わってしまうと寂しいなと感じた。
紫のおじさんたちも、達成感というよりは祭りの終わりと、聞こえ始めた冬の足音を忘れるかのように大声で笑って酒をあおっているような気がした。そんなに寒くはなかったが、ベンチやイスではなく、みんな焚き火の近くに立ったり座り込んだりしていた。

さすがに打ち上げ嫌いの久林もこの日は若い衆やおじさんらと乾杯したし、みんなで安保さんの家に帰った後も大学の仲間と一緒に懐かしさを肴に遅くまで話し込んで酒を飲んだ。

大学時代や今の仕事の話が片付くと、それぞれ今日の心に残った女性の話になった。
旭町地域の黄色い法被のハチマキ巻いたこが美人過ぎたとか、新町のやっさの上にいたこの胸が大きくて赤い法被がはだけて揺れていたから紹介して欲しいとか、駅前にいたお姉さんがずっとこっちを見ていたけどわからないか?などと口々に言い出したりして、久林はもちろんさくらちゃんが可愛いに挙手した。
しかし、
旭町のそのこは加美地域の若リーダーの彼女や
その巨乳のこは誰とでもするからやめとけ
など一つ一つの新しい物語候補に、安保編集長による悲しいバツがつけられていき、久林には
さくら?!あいつはまだ高3やぞこのロリコン犯罪者が
というブレイキングニュースと炎上が同時にもたらされた。
久林はそこからお茶とアルコールの区別がつかなくなり、そしてお酒に弱く次の日が早い順に隣の部屋に敷かれた布団にばたばたと倒れていった。


頭と身体が両方痛い。かなり予定より寝坊してしまった久林は、朝食をお断りし、片付け作業のために朝から起きている安保さんご家族にお礼を言って、もう一泊する予定だという昨日チェックインした仲間たちの寝相を羨ましがりながら、少し急いで車を発進させた。

近くのコンビニの前で赤信号で停まっている時にさくらちゃんとその友だちを見かけた。ジーパンにパーカーのシンプルな服装も良く似合う。確かにそう言われれば高校生にも見える。
向こうもこちらに気づいてくれたが、自分からさくらちゃんにかける言葉が見当たらず、手持ち無沙汰で助手席のボックスからCDを探すふりなんかをしていた。
何か動く気配を感じたので、おそるおそる顔を上げると、さくらちゃんはこちらに手を振ってくれていた。

さーん、また来てくださーい。
声は聞こえなかったが口の動きでわかった。
照れて下を向いてる間に冒頭を聞きそびれてしまったがおそらく名前を呼んでくれていたのだろう。

左手を軽く振ってそれに応えて、大人っぽくカッコつけたつもりだったが、後ろの車におもいきりクラクションを鳴らされてしまった。
せかされた久林は、帰りたくない気持ちとは裏腹にアクセルを強めに踏みこんだ。


つづく

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