続かないお話 キムチ⑤

2011.10.10 月曜

愛知へ帰る車内で久林はハンドルを握りながら、ずっとため息をついていた。

高校生かよ。来年また祭りに参加して、誰からも白い目で見られないような連絡先の交換をするとして、それまでに周りの同級生や、半年後に新たに出会う大学生があの子をほっておくはずがない。よく考えれば、別に高校生とはいえ連絡を取り合うだけなら何も問題は無かったはずだと、昨日のうちに連絡先を聞いておかなかった自分の臆病さに腹を立てた。

こんなんばっかかよ。中学3年間片思いし続けた塾が一緒の友だちもみんなには秘密にしていた彼氏がいた。大学4回生の時に、留学先のフィジー諸島へ行く飛行機でたまたま隣の席だった女性と運命を感じるほど仲良くなって、向こうでも一緒に旅行に行ったり、海辺で朝までしゃべったり、手を繋いだり、フィジーの異世界感に浮かれながら100%の自信を持って人生で初めての告白をしたのに、日本に結婚を約束した人がいるからと泣きながら断られたのを思い出したりした。
今回の相手は高校生か、彼氏はいないはずと安保さんは言っていたが。
はぁ。

夕方に研修先の愛知県田原市にある寮に戻り、その日の深夜からまた工場へ出社した。ライン業務に戻った久林は、60秒ごとに繰り返される全く同じ動作に体を預けて、頭の中ではさくらちゃんの事ばかりを考えていた。
ライン作業は2時間ごとに休憩が入る8時間の作業の間、トラブルがなければ480回同じ動きをする。
最初は本当に苦痛で頭がおかしくなりそうになるのだが、慣れてしまえばあまりにも暇で、みんなだいたい頭の中に詰め込んだ好きな曲を口ずさんだり、旅行の計画を立てたり、人によっては英語の発音を練習したりなどしている。

久林は作業服に着替えては毎日毎日ここぞとばかりに、い、う、いの口の動きを教えてくれた時の表情や、明るい笑い声などを思い出し、たまに実体のない年下の恋敵にイライラしたりして、
見回りのリーダーに、なににやけとるんだ、といじられたりしながら軽快に仕事を進めた。

しかし研修が終わり、正式に配属が決まって豊田市に引っ越してからは、久林はさくらちゃんの事を全く忘れてしまう。


2012.9.1 木曜

久林は仕事を辞めた。
就職するまで親には甘やかされて自分の好きなことだけをしてきたマリナーズ系の競走馬のような久林は、社会で揉まれる事を投げ出してしまった。
人によればそんなに厳しい仕事ではなかったのだろうし、むしろ動く金額の大きさや影響力などやりがいのある仕事だと怒る人もあるだろう。
ただいつからか久林は仕事が何も手につかなくなっていた。いつものように作って食べたレトルトカレーの味がしなくなった時に、このままだと潰れてしまうと気付いて辞表を書いた。
馬鹿にしたり哀れんだりする目は気にならなかったし、将来の安定や愛知県での優越感が約束された仕事なのにもったいないという意見はもうどうでもよかった。

ただ挨拶をして回りながら、この会社に入るために尽力してくれた大学の先輩や両親、仕事のできない目の死んだ若手にわざわざ時間を割いてご指導くれた設計部の主任さんや取引先の方の悲しい顔を一つ一つ潰していく作業だけが本当に苦しかった。

この先何をしようかというあてはほとんどなく、両親にも辞めることだけを伝えた。
実家に帰るのも気が引けたので、会社の同僚が部屋を持て余している東京の蒲田にある寮に、管理人さんには内緒で1ヶ月居候させてもらった。漠然と東京がどんなところかを知ってみたくていろんな街を回ってみたが、好きになるところはほとんどなかった。
だらけた生活を送っていると、もう少しで実行に移せたはずのベンチャーの起業もどこかバカらしくなり、ビジネスに関する熱は一気に冷めていった。

膨らんでくる将来への不安とは逆に、ストレスの方はリフレッシュされてきた。9月末の気持ち良い涼しさと金木犀の香りを嗅ぎながら、料理をしたり、部屋で小説を読んだり、公園でぼーっと過ごしたりしていると、日に日に心にずっと引っかかっていたものの輪郭がくっきりとしてきた。
学生時代の登山中に不便なテント生活を10日も送っていると、下山してからまず何がしたいか、誰に会いたいかなどが浮かんできて、自分が普段の生活で何気なく過ごしている好きな時間の使い方に気づかされる感覚に似ていた。

それは2つあって、お笑いをしたいという気持ちと、去年会ったさくらちゃんの事だった。

1つ目の青写真と向き合うのは簡単だった。
お笑い芸人になるためにはどうすれば良いか、とりあえず知ってる単語から適当にYahoo!に打ち込んだ。養成所なるものを検索して、人力舎なら入学金60万、よしもとなら40万、弟子入りならある程度頑張ればご飯は食べれる、など調べて自分が舞台やテレビの中にいる事を想像していくうちに、これしかないという気持ちが高まっていった。願書の受付が3月末でも大丈夫ということで一度この話は寝かせることにした。貯金はおそらく持つだろうし、この流行りの熱が冷めていなければ入学しようということにして、片隅に期限だけメモして手帳を閉じた。

もう1つはなかなか悩ましかった。
去年コンビニで手を振られてから、来年またここに帰ってきて祭りに参加すると心に決めたはずだった。しかし久林は、今年はどうするか聞いてくれる安保さんのメールを1週間ほど保留していた。

会えたとして今の自分の状況を話すのがためらわれた。社会の厳しさから逃げ出した情けない男だと思われたくはないし、これからのことを堂々と話せる自信もなかった。
仕事もろくにしていないのに例えばデートに誘うなんて考えられない。そもそも今年もさくらちゃんが参加するかわからない。いたとしても彼氏や好きな人が出来ている可能性は高い。今はもう何も考えずにゆっくりする事が一番大切だ。
久林は頭の中のデータ容量を言い訳で使い切って、
すみません、忙しいので今年は参加できません。
と安保さんに断りの連絡を入れた。

具体的な目標が何もなくなってしまった久林は、家賃の代わりにこの先もう維持費を払えないであろう愛車のRUV4を元同僚に引き渡し、手ぶらで大阪へ帰った。


つづく。

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