続かないお話 キムチ17

2019.9.10

隣のD席の女性が荷物をまとめて席をたって、進行方向のドアにバランスよく歩いて行った。
気付いたら新幹線は新横浜までもうすぐのところを走っている。

久林は記憶力に自信はある方だったが、ここまで鮮明に当時の景色やさくらちゃんの表情を覚えている事に自分でも驚いていた。
布施駅で彼女を送って家に帰り、お礼のLINEを2.3通やりとりしてからは今日まで一度も連絡を取っていない。
仕事が軌道に乗ってご飯を食べれるようになるか、そうはいかずとも全国のテレビ番組に出るような姿を見せるようになるまで連絡は取らないと自分に誓って、気づいたらもう4年経ってしまった。

あれからさくらちゃんはどんなふうに過ごしたのだろう。頭もよく常に笑顔で行動力のある彼女は、もし今仕事をしているならとてもうまくいっている事だろう。見た目や服装も東京でより洗練されて綺麗になっているに違いない。恋愛はしてるのだろうか、周りの男はほっとかないだろうが、さくらちゃんは見た目がかっこよくても中身のないやつを相手にはしないし。
かなり都合良く想像を膨らませながら、久林は彼女に送るLINEの文面を打ち終わった。
収録が終わったら送信しよう。
久林は品川駅にちょうど到着したそのタイミングで頭を仕事モードに切り替えた。

新橋駅に着いてゆりかもめに乗り換えるころには、さくらちゃんの事を考えようとしても考えられないくらいに緊張はピークに達していた。
たった2分だけの収録とはいえ、腹痛はピークに達しており、フジテレビの湾岸スタジオに入った瞬間にトイレに駆けこんで、受付の人を困らせてしまった。
楽屋についてすぐに着替えてリハーサルをしたのだが、あんなにやり慣れたネタを間違えに間違えて、長峰とディレクターさんを苦笑いさせてしまった。

楽屋挨拶でコウテイさんの顔を見るまでずっと血の気が引いていたし、東京の同期でその日に初めて会ったザ・シーツカバーの2人がうまいよ勧めてくれたケータリングのカレーも全く味がしなかった。

シーツカバーのこぞう曰く、ネタパレの名物らしいのだが、リハから本番までの空き時間が6時間ほどあったので、久林は少し眠ることにした。

全くクスリともウケなかったが無事にネタを終わらせて、最後に番組ゲストのさくらちゃんと写真を撮る時に、キムチと口を動かすのを見て、
えらい仲良いなあ2人。
と陣内さんがつっこんでくれたタイミングで
南原さんら出演者陣が楽屋入りされたから挨拶へ行こう!
と隣にいたこぞうが久林を起こしてくれた。

初めて見る全国区の芸能人たちの扉を何回もノックしては挨拶をして回り、みんな丁寧で優しいなあと月並みの感想を持って楽屋に戻って一息ついた。
歯磨きをして衣装に着替え、髪型を直してから入念にネタ合わせをし終わり、いよいよ収録本番まで30分となった17時過ぎ。
顔色の戻った久林はその空いた時間に、少し早いがさくらちゃんに用意していたLINEを送った。

久しぶり!
元気?
今仕事で東京にいてるんやけど、もしさくらちゃん時間あったら今日か明日ご飯でもどうかなと思って。

考えに考えたら結局最初の文章になってしまった。
久林は本番が終わったら返信が来ている事を祈りながらケータイを鞄の上に置いてスタジオに向かった。

本番では第一声のコンビ名を自然に名乗ることができてからはスムーズに運んだ。さっき見た短い夢よりお客さんの反応も良く、初めての全国ネットの収録をある程度の手応えとともに無事に終える事が出来た。
気を良くした久林は出番後に袖で名だたる先輩後輩らとの会話を楽しんだりすらしながら、60分ほどの収録が終わるのを待った。
そして最後に、こちらの方が夢みたいな話なのだが、ゲストの伊藤淳史さんと写真を撮って、楽屋に戻った。

久林はすぐにケータイを見たが、さくらちゃんからの返信はなかった。
少しだけほっとしたような気もする。
衣装をいつもより丁寧にたたんで私服に着替え、一通り挨拶をし終えて、タクシーに乗せてもらい今日泊まるアパホテルの前に到着した。

荷物をかるく整理してシャワーを浴びてもさくらちゃんからの返信は来ていなかったので、久林は今日は観念して、通称ハズレのホテヘル嬢こと親友のオダエダの江田を呼び出して、前に会った時から今日の収録まで溜まりに溜まった話をしながら安い飯と少しのお酒にありつこうと町へ出た。

10分ほどして江田と、シーツカバーの瀬尾とうまく合流することができた。瀬尾は元々江田や他5人と一緒にシェアハウスをしていてめちゃくちゃ仲が良いとのことで、せっかくだし一緒に飲もうという運びになった。
久林は最初こそケータイの着信があるかどうかが気がかりだったが、久しぶりの江田との会話や、∞ホールや東京のお笑いの話が興味深く、収録が終わった安心も手伝ってかなかなかの量のお酒を飲んでしまい、気づいたらタクシーでアパホテルに送り届けられてしまっていた。
起こしてくれた運転手さんに江田と瀬尾の分まで謝って、ふらふらしながら部屋に戻った。

おそらく2人が持たせてくれたペットボトルの水を一気に飲み干して時計を見ると、まだ22時過ぎだった。
もしさくらちゃんからの返信が来たらいつでも飛び出せるようにと、30分だけ寝ようとアラームをセットし、靴だけを脱いでそのままの服でベッドに転がって目を閉じた。
遠くなる意識の中でケータイが鳴ったのがわかったが、まぶたが限界だったのでそのまま短い眠りについた。

気持ち悪くなってトイレにたち小ゲロを吐いたらちょうど目覚ましが鳴った。それを止めようとケータイを見ると、3通の新着メッセージが来ていた。
1通は江田からの大丈夫か?帰れたか?というもので、そしてあとの2通はさくらちゃんからの返信だった。
すぐ江田にごめん、と無事ホテルに着いた旨を送る。そして大きく息を吸って、恐る恐る残りのメッセージに既読をつけた。

めっちゃ久しぶりです!
びっくりしました。元気ですよ!
うわ!ご飯行きたいけど、今愛知なんです 笑

久林さん頑張ってるって噂で聞いてますよ!
お仕事頑張ってください!

そうか、と久林は止めていた息を大きく吐いた。今は東京にはいないのか。
たまたま愛知に来ているだけなのか、それともそっちに住んでいるのか。住んでいるとしたら仕事でなのか、それとももう、、、。

今は考えるのはやめようと久林は思った。わかったことは今日は会えないということだ。
今日の分の肩の荷が全て降りきった久林は、身体にどっと疲れが回ったのを感じ、もう一度大きく深呼吸してそのまま横になった。
とりあえず元気でよかった。久林は返事は明日の朝にしようと決めると、心地いい疲労に背中を預け、目覚ましもかけずに眠りについた。

つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?