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2018年からタイへ移住して「3年以内にデビュー」を目標に音楽活動を行います。

すでにTwitterで少しお知らせしましたが、私は2018年からタイへ移住して「3年以内にデビュー」を目標に音楽活動を行います。
この今後の活動について、大きく4つに分けて説明します。

1、海外へ移住して音楽活動を行うことを決めるまでの大まかな経緯
2、海外へ移住して音楽活動を行う理由
3、移住先としてタイを選んだ理由
4、残りの日本での音楽活動と、今後のタイでの音楽活動の展望


★★★

1、海外へ移住して音楽活動を行うことを決めるまでの大まかな経緯


音楽活動に関わるすべての作業を一人で行うようになった

私はここ数年、音楽活動に関わるすべての作業を一人で行うようになりました。
それは、パソコンや機材やインターネットが進化したことで、音楽に関わる作業をすべて自己完結できるのではないか、と思ったからです。
歌、作詞、作曲、アレンジ、プログラミング、ミックス、マスタリング。
私が立ち上げたTRUMPという支援団体の運営。
ホームページ制作、ホームページトップのイラストデザイン。
これら以外の細々した作業も含め、私自身の写真撮影など物理的に私一人でできない作業以外は、すべて私一人で行うようになりました。

辿り着いた結論

その結果実感したことは、どの作業もなんとか形にすることはできたけど音楽活動全体のスピードが遅くなる、ということでした。
本来であればその道のプロに依頼するような専門的な作業も私が行い、まったくやったことのない作業に関しては一から勉強して手探りで進めました。なので、どうしてもスピードを上げることができませんでした。
そして辿り着いた結論は、やはり私は歌に専念した方がいい、というシンプルかつ当たり前とも言える結論でした。
しかし、事務所に所属していたときに周囲に行ってもらっていた作業ひとつひとつが、どれだけ大変な作業かを実感できたことは大きな実りだと感じています。

日本にいるうちにできることを行った今、海外へ移住して音楽活動を行うことを決めた

そしてその結論に辿り着く前、大体今から3-4年前から「海外で音楽活動をしてみたい」と思うようになりました。
しかし、そのときはまだTRUMPの運営を行っている最中でした。そして、すべての作業を一人で行ってみたいと思いつつ、まだ挑戦できていない状態でした。
なので、まずは日本にいるうちにできることを行おうと思い、TRUMPの運営を行い、すべての作業を一人で行う方向に進みました。
また、バンドを組みたいという思いもありました。日本で良い出会いがあってバンドを組むことになったら、そのまま日本でバンド活動を行うのもいいかもしれない、と思っていました。
実際に何回かボーカリストを探しているミュージシャンとスタジオにも入りました。しかし、バンドを組むにはいたりませんでした。
そしてTRUMPの活動を休止し、バンドを組むこともなく、納得いくまですべての作業を一人で行った今、海外へ移住して音楽活動を行うことを決めました。

2、海外へ移住して音楽活動を行う理由


音楽活動を行う上で新たな切り口が必要

私は、昨今の日本の音楽のインディーズシーンを見ていて、高速道路のインターチェンジあたりで大渋滞が起きてインターチェンジから出られないような状態、だと感じていました。
それは、それなりにかっこいいけど頭一つ抜けられないミュージシャンがたくさんいる、ということです。
それなりにかっこいいミュージシャンが多いのは、おそらく昔に比べて圧倒的に安く簡単にレコーディングができるようになったことや、インターネットの普及により安く簡単に音楽に触れることができるようになったことなどが、大きな理由だと思います。
高速道路を使って(進化したパソコンや機材やインターネットを安く使って)インターチェンジまで辿り着くこと(かっこいい音楽を作ること)は簡単になったけど、インターチェンジを出る(売れる)ことができない。そんなミュージシャン、いますよね。
そこで必要なのが、新たな切り口だと考えました。
そして私なりの切り口として、海外へ移住して音楽活動を行うことを思いつきました。

フットワークの軽さがフリーのソロミュージシャンの強み

事務所に所属していたりバンドを組んでいたりすると、海外へツアーで行くことはできると思いますが、海外へ移住して音楽活動を行うことに対する壁は高いと思います。
しかし、私は現在フリーのソロミュージシャンとして活動しているため、そういう壁はありません。
なので、フリーのソロミュージシャンの私には難しくなく、それ以外の人には難しいことに挑戦しよう、と考えました。

家庭環境の影響

海外へ移住する、という考えが出てきたのは、家庭環境も少なからず影響していると思います。
それは、私の父が海外出張の多い仕事をしていた、ということです。
そんな父の背中を見て育ったので、私が海外に目を向けたというのは特別なことではなく、とても自然なことだと私自身感じています。

人間についての理解を深めたい

音楽活動とは関係ないのですが、私は外国人と交流を持ちたい、という思いがありました。
日本人であれば、どんな環境で育って現在どんな環境にいるか、ということを聞いたら、こんな人なのかな、とある程度予想ができます。
しかし外国人は、どんな人なのか予想ができない。
その予想のできない外国人と、現地に移住するという形で交流を持ち、人間についての理解を体感として深めたい。
そんな思いを持っていました。

3、移住先としてタイを選んだ理由


特に競争が激しい可能性があるところを避けた

海外で音楽活動をするとなると、憧れを持ってアメリカやイギリスなどを目指す人が多いと思います。
私も音楽の好みで考えると、アイスランドかイギリスあたりを目指すと思います。
しかし私の目的は好みの音楽の追求というよりも、たくさんの人に私の音楽に触れてもらうことなので、すでにかっこいい音楽を世界に向けて発信している国々は、特に競争が激しい可能性があるため避けました。そして、あえてこういった場所以外のところへ行こう、と考えました。

日本の国民としてだけではなく、アジアの人間としての視点を持つことが可能な時代

昨今、国をまたぐための移動にかかる料金が格段に安くなりました。その影響で、日本でも昔に比べて外国人を見かけるようになりました。
またインターネットの普及により、簡単に国外の情報を得られるようになりました。
その結果、徐々に国境の存在が薄れ始めています。
しかし、移動にかかる料金が安くなってインターネットが普及しても、地理的な距離感は大きな障害になります。
そうなると、まずは近くの国との関係性が徐々に近づいていく可能性があります(すでに近づいている状態とも言えるかもしれません)。
なのでこれからは、日本の国民としてだけではなく、アジアの人間としての視点を持つことが可能な時代になる、と考えられます。
また、アジア諸国は現在、驚異的な経済発展をし続けています。
経済発展して国民が豊かになると、ミュージシャンは音楽にかけられるお金が増え、それにともない音質や技術が向上し、その国の音楽シーン全体のレベルが上がる可能性があります。
なので、これから音楽のレベルが上がる可能性のあるアジアに目をつけ、その勢いを感じながら音楽活動を行おう、と考えました。
そして、東京から大阪へ、東京から福岡へ、活動拠点を移すように、日本からタイへ(東京からバンコクへ)、活動拠点を移そうと考えました。

アジアの中でも競争が激しい可能性があるところを避けた

アジアの中でどの国にするかを考えたときに、アジアでも競争が激しい可能性があるところは避けよう、と考えました。
なので、人口がかなり多くてすでに経済発展している中国、人口がかなり多くてエンターテイメントのレベルが高いインド、ここ20年で最も経済発展をした国のひとつであるシンガポール、自国のイメージアップや国外への輸出活性化のために国家が音楽(K-POP)に対して強力に支援している韓国、すでに日本の音楽が浸透していて現地で活躍している日本人が比較的多い台湾、これらの国は競争が激しい可能性があるため、候補から外しました。

最初はインドネシアに目をつけた

そこでまず目をつけたのは、インドネシア。
現時点で人口約2億6000万人、平均年齢20代後半、天然資源が豊富、そして親日国。
2000年以降経済成長し続けている国で、将来性があり、移住先の候補として申し分のない国です。
実際に現地へ行き、観光をして街や人の様子を見たり、バーに通ってバーテンダー数人と交流をしました。
バーでは、バーテンダーにライブハウスの情報も聞こうと思ったのですが、結局ライブハウスの情報を得ることができず、行くことができませんでした。
その代わりに、クラブの情報を得られたためクラブには行ったのですが、工事中のようで営業しておらず、観ることができませんでした。
現地へ行った感想としては、もしかしたら私が行く場所はここではないかもしれない、となんとなく思いました。あくまで体感・直感です。
しかし、やはりインドネシアは魅力的な国だったので、最初はインドネシアへ行く方向で進めようと思っていました。
そこで友人何人かにその話をしたところ、別の国を見てから決めた方がいいんじゃない?とアドバイスをもらいました。

次にタイに目をつけた

そして、以前仕事でタイに長期で駐在していた親友から、タイにも行ってみたら?と言われ、タイへ行ってみることにしました。
タイは、現時点で人口約7000万人、平均年齢30代後半、仏教国、そして親日国。
中国の経済発展の下支えをしているとも言える、経済成長中の国です。
実際に現地へ行き、観光をして街や人の様子を見て、そしてBEN CHALATITというタイ人歌手のライブを観たり、ライブバーでライブを観たりしました。
そして、ライブハウスにも行きたかったため情報を聞こうと思ったのですが、タイでもライブハウスの情報が得られず、ライブハウスへ行くことができませんでした。
現地の人や、現地で芸能活動をしている日本人にも聞いたのですが、「タイにはライブハウスがない気がする」と言われました。実はインドネシアで行ったバーでも、同じことをバーテンダーに言われました。
インターネットでも調べましたが、タイには日本のような音響設備の整ったライブハウスはあまり存在しないようです。
詳しくは現地へ行ってもっと調べないとわかりませんが、現地でのライブ活動はライブバーでの演奏が中心になるかもしれません。
タイではバンコクを中心に滞在しましたが、とても活気があり、雑多でごちゃごちゃしていて楽しく、なんとも不思議な雰囲気に魅了されました。
そして、タイへ移住しよう、と決めました。

英語圏にはこだわらなかった

どこの国へ行くかを考えたとき、英語圏か英語圏ではないか、にはこだわりませんでした。
英語圏でもよかったのですが、英語を流暢に話せる魅力的な日本人ボーカリストは今の時代少なくないため、英語を流暢に話せたとしても特別感はそこまでありません。
また現時点で英語圏の人口は、世界で約18億人。
英語が話せれば18億人の人に言葉が伝わる反面、その18億人の中のミュージシャンであれば言葉の壁がないため、その英語圏の国へ移住して音楽活動を行うことに対しての壁が低いのです。
英語が話せると裾野が広がるため、ゆくゆくは英語も学びたいと思っていますが、今回私はあえてタイという、タイ語を使い英語を使わないニッチな国(隙間)へ行くことにしました。
しかしニッチとはいえ、人口は7000万人程度います。十分な規模だと思っています。

4、残りの日本での音楽活動と、今後のタイでの音楽活動の展望


すべての作業を一人で行うことは、私には向いていなかった

私は、音楽活動に関わるすべての作業を一人で行う人に対して、憧れを抱いていました。
なので、ここ数年私一人ですべての作業を行ってきました。
そして、ライブをするより制作をする方が好きだったため、ここ数年音源をリリースするという形でのみ、音楽活動を行ってきました。
しかしその結果、音楽活動全体のスピードが遅くなり、音源リリースも徐々に遅くなっていきました。
ひとつひとつの作業に、慎重に時間をかけてしまう私には、どうやら一人ですべての作業を行うのは向いていなかったようです。

ケジメをつけるためにも、現在制作中の音源は日本にいる間に仕上げてリリースする

タイへの移住を決めてから、約1年が経ちました。
現地で一人で歌うためには楽器が必要なので、約1年前からアコギの練習を本格的に始めました。
また並行して、タイ語の勉強も始めました。
音源リリースを先延ばしにしてしまったのは、これらの影響で予定を管理しきれなくなってしまったことが原因です。
ただ、自分の中でケジメをつけるためにも、現在制作中の音源は日本にいる間に仕上げてリリースし、一人ですべての作業を行うことを終わらせたいと思います。

アコギを弾きながら歌うことで、とてもライブが楽しいと思えるようになった

また、ライブより制作が好きだった、と書きましたが、アコギを弾きながら歌う練習を行い、実際に歌とアコギのみでライブを行ったところ、とてもライブが楽しいと思えるようになりました。
おそらく、音楽のグルーヴを私一人で生み出せることや、そのグルーヴが観てくれている人に伝わる感覚に、心が打たれたのだと思います。歌うことも今まで以上に楽しくなり、アコギを弾きながら歌うことが、私の中で非常に大きな変化をもたらすこととなりました。
なので今は、ライブも制作も好き、という気持ちに変化しました。

タイではライブ活動を中心に歌っていく予定

タイへ行ったら、ライブ活動を中心に歌っていく予定です。
そして、語学・歌・アコギを中心に行い、必要に応じて作曲・作詞も行う予定です。
作曲に関しては、今まで作業を行ってきた中で、比較的自分が得意な作業であることがわかったため、必要に応じて引き続き行っていこうと思います。
作詞に関しては、タイ語で作詞を行うことはハードルが高すぎるため行わず、英語・日本語で必要に応じて行っていこうと思います(できればタイ語で作詞ができる仲間との出会いがあるといいなと思っています)。
ただ現時点では、あくまで私の音楽活動の軸は歌である、と考えています。

タイでバンドを組むことが一番の希望

現時点でのタイでの音楽活動においての一番の希望は、バンドを組むことです。
やはり私はバンド形態が好きなので、良い出会いがあればまたバンドを組んで活動したいと思っています。
しかし良い出会いがあるかはわかりませんので、バンドを組むことに強くこだわるつもりはありません。
もしバンドを組めなかった場合は、もちろん歌とアコギ1本というスタイルでもいいです。
むしろ私の表現が活きるのであれば、音楽ジャンルにもこだわらないし、もしニーズがあるのであれば、歌以外の表現活動でもなんでもやろうと思っています。チャンスがあればどんなチャンスでも飛び込もう。そう思っています。

「3年以内にデビュー」という目標について

「3年以内にデビュー」と期限を決めたのは、タイで音楽活動を行っていくためには、デビューするときくらい協力者がいる状況(もしくはそれと同等と言えるくらい協力者がいる状況)をその期間で作れなければ、その先も現地で音楽活動を行っていくのは困難だと考え、期限を決めました。
異国の地で音楽活動を行うためには、とにかく力を貸してくれる仲間が必要だと思っています。

日本に向けても積極的に情報を発信していく

また活動の拠点はタイへ移りますが、インターネット上で日本に向けても積極的に情報を発信していきます。
私がタイで奮闘するリアルドキュメンタリーとして楽しんでいただければと思います。
そして「淳平もがんばってるし、私もがんばろう」と思っていただけたら、うれしく思います。


★★★

長くなりましたが、以上が今後の活動についての説明です。

タイへの移住を発表するまでに、タイへ移住して音楽活動をする考えを、複数の友人知人に話しました。
そして話した人のうち、8-9割の人から「よく考えた方がいい」「無謀だ」「やめた方がいい」という意見をいただきました。
そしてその様々な意見を聞いて、改めて「やる価値がある」と確信しました。
誰もが思いつくような実現しそうなことであれば、きっとすでに誰かがやっています。
誰もが思いつかないような、実現するのが難しく見えるところにチャンスがあります。
また、このような新たなチャレンジをする人で、うまくいっている人は少数です。多数の人はうまくいっていません。
なので、チャレンジをするときは少数派であることが大切です。

私は人生において、安定が欲しい、とは考えておらず、不安定な世界を生きていく強さが欲しい、と考えています。
おそらく、タイへ行くことで私の環境は大きく変化し、不安定な状況になるでしょう。
でもその環境で生きて、歌うことで、私は大きな成長を得られると確信しています。
迷いはありません。

昨今の科学技術の進化で、世界は大きく変わりました。
そして音楽を始めとした芸術も、国を超えて、人々の感情から世界を大きく変えることができる。そう信じています。

距離は遠くなってしまいますが、これからも温かく見守っていただけたらと思います。


吉原淳平

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