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もうワールドカップが始まるらしい

11月3日、文化の日。
本来であれば、この日にUHB杯が行われることが多い日程。

ところがどっこい、明日からスキージャンプのワールドカップが始まります。
しかも、今季はなんと最終戦が4月2日。

開幕戦が終われば、3週間の中断期間があるとはいえ、半年に及ぶ戦いが幕を開けると思うと、少々気が遠くなりますね。。。

ここ2年、ワールドカップが始まると共にプレビューと毎日投稿を続けてきました。

今年もやる気がないわけではありませんが、その前に少々自分の話をしましょう。

拠点変更・スキージャンプの旅を続ける

今年の3月、スポンサー契約を結んでいた日立ハイテクと「契約の満了と共に契約の更新はしない」という連絡が入りました。

五輪が終わり、順当な結果と言えます。コロナ禍でどん底の中、私を支えてくださった光であり、感謝しかありません。

この時点で私の心の中で、3度目の精神的な引退となりました。

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1度目の引退は大学生活を終え、茨城で国体選手となった時。
2度目の引退は国体を終え、様々なサポートが終了した時。
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精神的な引退云々はさておき、生きていくにはお金を稼がなければなりません。

そうした中で、私の「スキージャンプ」という特殊技能を評価してくださったのが現在の所属先である「山形県スポーツ協会」
自身、7年ぶり2回目の国体傭兵のオファーでした。

流石に、学生の時のように即断即答はせずに
何度か折衝を重ね、他に良い道がなかったのもあり、大きな決断をしました。

7年住んだ茨城、私を「スキージャンプ選手」に押し上げ、サポートしてくれた地を離れるのは少々惜しかった上に、新たな地に行くのは勇気が必要。

東京からスキージャンプの道をあゆみ始めましたが、下川、札幌、古河、そして山形。

中々、例を見ない「スキージャンプの旅」と言えます。

国体傭兵の戦い

「国体で優勝する」難易度としては一見低そうにも見えますが

スキージャンプにおいて、狙った試合で優勝するのは容易ではありません。

私も歳を重ねて、2月に30歳を迎えます。国体では、成年Bという種別で戦うわけで、重要なポイントの一つである入賞をすることは難しくないでしょう。

一方で優勝となると話は変わってきます。あえて個人名を挙げていきますが

ワールドカップ参戦を考えなければ、小林潤志郎さん、清水礼留飛、渡部弘晃さん、栃本翔平さんなど

ワールドカップやオリンピックで、メダルや表彰台を目指す選手たちと戦うことになります。

そうしたトップ選手たちを押し退けて優勝するというのは、半端な覚悟では不可能です。

ましてや、現在は日本で2番目に賃金が低い山形県の大卒初任給で一人暮らし
#手取り15万
道具もまともに揃えるのが困難な状況です。

寄付や年間通した応援金を常時募集しております。

NHK杯

そうした中でのサマーシーズン。

ジャンプスーツやスキーの大幅なルール変更がありました。

私の場合は、今まで使っていたスキーが使えなくなり
ルール適応していた、4年前に使っていたスキーを引っ張り出してきて使用し

スーツに関しては、7月から練習で使い始めて冬に向けて調整を開始しました。

まあ上手くいかないのなんのその、、、

下川、札幌、茨城と拠点変更した初年度は、何もかもうまくいかずに噛み合わなかったのですが

今回は拠点変更に加えて、ルール変更もあり、私の頭と体は完全に混乱しました。

そうした中で、9月末にきっかけを掴み、臨んだ全日本選手権と札幌2連戦。


調子が上がった中での現在地の把握をしようと考えていましたが
海外遠征をしたジャンプ・コンバインド選手とは違うルールで試合を行うことになりました。

私のとっては「参考にしかならない試合」

そうした中で、大きく荒れたNHK杯で表彰台を獲得し
山形県のジャンプ関係者への挨拶がわりの手土産とすることができました。


私の場合は、新ルールのスーツで競技力を上げることができるのを
練習で確認できているので、冬シーズンの方が期待できます。

ワールドカップとか世界選手権とかそういった大舞台のことは一旦おいておいて

今はスキージャンプの競技力の上げ方を探求していく作業を楽しんでいるので
仕事場である山形国体までは、余計なことを考えずに取り組んでいきたいと思います。




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