山茶花たちの人生劇場〜『砂まみれの名将 野村克也の1140日/加藤弘士』(新潮社)〜
活字野球と活字プロレス
近年、「活字野球」という言葉を盛んに聞くようになった。
かつて『週刊プロレス』『週刊ゴング』『週刊ファイト』といったプロレス専門誌で展開された「活字プロレス」というムーブメントが存在していた。
活字プロレスとは何か?現在は国会議員となった浅草キッドの水道橋博士さんはかつてこのように論じている。
その野球版と言うべきなのが、「活字野球」なのかもしれない。ただ展開されている媒体は「活字プロレス」とは少し異なる。
『文春野球』という文藝春秋が運営する野球を愛する執筆者によるコラムを掲載するサイトをはじめ、さまざまなネットメディアがそのムーブメントの発信源である。
また中日ドラゴンズ監督時代の落合博満さんを描いた鈴木忠平さんの『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)がバカ売れしたことも「活字野球」が盛り上がった要因のひとつ。
そして今回取り上げる2022年3月に発売された加藤弘士さんの『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)は「活字野球」ムーブメントが本物であることを裏付ける決定打となった作品である。
『砂まみれの名将 野村克也の1140日』
まずはこの本はどのような作品なのだろうか?
また著者の加藤弘士さんとは?
加藤弘士(かとう・ひろし)
個人的2022年ナンバーワン作品
実は元々、私はスポーツ報知やネットメディアに掲載された加藤さんの記事を読んで、かなり気になっていた存在だった。とにかく、記事が面白いのだ。きちんと情報も入れつつも、どこかクスッと笑える文章の世界観が好きで、個人的には元・東京スポーツの高木圭介さんに似ているなと感じていた。いわば私は加藤さんのファンだったのかもしれない。
でも実際にこの本を購入してその印象がガラリと変わった。
「めちゃくちゃ熱い文章を書くじゃないか!」
そして、以前から加藤さんの文章を読んでいて感じていたのは確実にこの人は「活字プロレス」に影響を受けているなというのを感じていた。
ここからは、『砂まみれの名将』について各章ごと書評していきたい。
私はこの本が「2022年で読んだ本の中でナンバーワン」だと思っている。
プロローグ
この本は2020年1月25日、日本青年館ホテルで行われたシダックス野球部OB会での野村さんの挨拶からスタートする。
野村さんとはどのような人物なのか?
この時、野村さんは84歳。シダックスOB会には、同社創始者である志太勤さん、教え子の日本ハム投手コーチ・武田勝さん、元巨人投手・野間口貴彦さんといった野村さんと共に闘った男たちが集結。
野村シダックス時代に番記者を務めた加藤さんは記者として参加。野村さんに色々と質問しながらかつての担当時代を思い返していた。
野村さんはシダックスOB会で「人を遺すのが仕事だからな。俺の教えを引き継いでくれているのは、うれしいね」と語った。覇気がなく、老化と健康面に不安がある野村さんは車椅子姿。それでも野球の話になると、生気が戻っていた。
そしてこの場が野村さんにとって最後の公の場となり、加藤さんにとっても最後の会話となった。
2020年2月11日、野村さんは急逝。その訃報を加藤さんは朝に同僚記者からのLINEで知り、急いで追悼記事を夜中まで書き続けた。そしてすべての作業を終えて、トイレの個室に駆け込んで泣き続けた。どんな状況でも記事を書き続けなければならないスポーツ新聞記者とは、なんとも過酷である。
翌日、スポーツ誌、一般誌も含めて多くのメディアを見るに連れて加藤さんはある事に気がつく。
「シダックス時代の扱いが少ないじゃないか」
加藤さんはここで「野村再生工場」なる言葉を持ち出している。これはピークを過ぎ、他球団をお払い箱になった選手たちが野村さんからの助言、その思考に触れることをきっかけに復活した事例が相次いだことから、球界の通称となった。だが、プロ野球日本一3度の名将である野村さん自も、指導者として再生した時期があった。それが社会人野球チーム・シダックス監督時代の3年間。
野村さんは2001年、阪神タイガース監督として3年連続最下位、沙知代夫人の脱税事件もあり、プロ野球の世界からはじき出されていた。「野村は終わった」と思われていたところに、親友であるシダックス会長(当時)の志太勤さんからオファーを受けて社会人野球チーム・シダックス監督を引き受けた。
加藤さんはこのように綴っている。
野村さん自身も後に「あの頃が一番楽しかったな…」と語り、プロ野球監督に復権できたあの3年間とは一体なんだったのか?という締めで、プロローグは終わっていく。
素晴らしい序章である。まずこの本の見どころ、書く理由、加藤さんという人間も含めてすべてが詰まっているのだ。また細かいところで加藤さんの取材力も生きている。野村さんのテレビ出演を広告費に換算するとこれくらいだとか、野村さんとの距離感とか。とにかくこの本の作風はプロローグで分かる。
この本は、「野村再生工場」ではなく「野村再生物語」なのだ。
第1章 転落 「『解任』じゃなくていいんですか」
いよいよ本章に突入。2001年、阪神タイガース監督だった野村さんが沙知代夫人の脱税事件による逮捕により、進退が問われた。3年連続最下位という結果だけでも、解任理由として妥当なのだが、当時の阪神は長期視点で野村さんにチームを変えてほしいと考え、来季も続投させるつもりだった。だが、急転直下の沙知代夫人逮捕により、流石にそうは言ってられなくなり、最終的に野村さんは監督辞任となった。解任にしなかったのは、「野村さんは阪神に貢献してくれた」と感謝していた球団社長の恩情だった。
沙知代夫人逮捕、阪神監督辞任により野村さんは表舞台から姿を消した。
そこから約一年後の2002年10月、野村さんは親友のシダックス会長の志太勤さんから、経営難の野球部監督をオファーする。
シダックスは社会人野球チームであり、プロ野球チームではない。アマチュアである。だがその運営の実情はなかなかシビアである。
野村さんは色々と考えた上でシダックス監督を引き受ける。年俸は、プロ野球監督時代とは比べ物にならないほど安値で、会社役員クラスの報酬だった。 当時、野村さんは67歳。思えば会社で言えば同年代は定年退職している年頃。それでも野村さんは「今までお世話になった野球界に恩返しがしたい。やるからには全知全能を振り絞って、都市対抗の優勝を目指したい」と語った。
第一章は沙知代夫人逮捕、阪神監督辞任、シダックス監督就任までをまとめた内容。ボクシングで言うところのジャブ、プロレスで言うところのロックアップやヘッドロック、グラウンドの展開といった序盤戦そのものといった感じである。だからある意味、熱さより冷静さが際立っていた。でもここからがこの本の盛り上がりどころなのだということを伝えるには最適の序盤戦だったと思う。
第2章 再出発 「野球があれば、こんなに幸せなことはないよ」
この第2章からは加藤さんの描き方は、テレビ番組のディレクターのような世界観で、取材したものをまとめて、そこから読みやすく味付けしている色合いが強い。
2003年、シダックス監督に就任した野村さんの新しい生活がスタートする第2章。ここからこの本は、マネージャーを務めた梅沢直充さん、シダックス野球部のルーキーだった野間口貴彦さんといった登場人物による多角的な目線でみたシダックス時代の野村さんと自身について描かれている。
梅沢さんは日本大学時代に野球部マネージャーを務め、シダックスに就職して、野球部マネージャーとなるも一年でクビとなり、カラオケ事業部に移動するも、客から理不尽な暴行を受けて入院に追い込まれた事もあった。それでも再びシダックス野球部マネージャーに復帰。するとまさかの野村監督就任。梅沢さんは「あの野村さんに仕えることができるだっていうのは、『まさか』の一言でした。(中略)マネージャー人生の集大成だと思っていました」 と語った。
野間口さんは高校時代からドラフト1位候補になるほどの怪物エースだったが、大学進学後に野球に挫折し、大学を中退。地元の兵庫・尼崎に戻っていたところに、シダックスから野球部へのオファーがあり、入社する。すると野村監督就任、初めてのキャンプで野間口さんは野村さんから「フォークのクセがバレとる」と指摘され、「そんなこと、わかるんや。この人、やっぱすげえな」と感じたという。
また著者である加藤さん自身のサイドストーリーも書かれている。1997年に新卒で報知新聞社に入社してから、6年間広告営業の仕事についていた。記者志望だったが、営業に配置されていたのだ。2003年によくやく異動希望が叶い、アマチュア野球担当記者となった。
だが、13文字✕15行の短い文章を書くことに大苦戦。何度も書き直しが命じられ、次第にデスクから「お前、記者に向いていないかもな」と言われた。本人にとって大きな屈辱だっただろう。
加藤さんは野村監督就任直後にアマチュア野球担当になった。従って取材対象のひとりが、球界の名将・野村さんとなったことが、彼に大きな転機をもたらした。
そしてこの第2章で感じたのは、実はこの本は、野村さんだけの再生物語ではない。一度はクビになった野球部マネージャー、野球からドロップアウトした高校野球の怪物エース、「記者に向いていないかもな」と言われた雑草記者。この3名の再生物語でもあるのだ。
この辺から加藤さんの文章にも熱が帯びてくる。昭和プロレステーマ曲研究家・コブラさんの文章に漂う一種の狂気性も感じる。「この物語が自分が伝えなければ誰が伝えるのだ!」という信念、いや情念なのだ。
中伊豆で行われたシダックスのキャンプで、野村さんは雪が降り続ける最悪のコンディションでも練習を辞めない選手たちを見て、「本当に野球が好きで、うまくなりたいと思っている。正しい野球を教えてあげたい」と決意する。
そして、野村さんといえば、昼は練習、夜は座学という指導スタイル。オリジナルテキスト「ノムラの考え」を元に行われる夜間ミーティング。
この「ノムラの考え」が最高に興味深い。
「我々の一日の中心軸は『仕事』です。仕事なくして人生は考えられません。我々の仕事は、結果至上主義の世界です。『いい仕事をする』『いい結果を出す』ためには技術だけを磨こうという取り組み方だけでは、上達や進歩、成長は大して望めません」
「真の難しさを体験して通過しない限り、本物や一流にはなれません。仕事は元来厳しいものです。血反吐を吐くほど心身を鍛え、いい結果を出すために苦悩し、そこからはいあがった者こそ本物の一流なのです」
選手たちは「ノムラの考え」を元に熱く語る野村さんの教えに、前のめりになって必死にメモをしていた。
そしてオープン戦初勝利を飾った野村さんは取材に来ていた加藤さんに「野球が好きだからな。俺から野球を取ったら、何も残らないだろ。野球があれば、こんなに幸せなことはないよ」と語った。球界の名将ではない、生粋の野球小僧。それが野村さんの真の姿なのかもしれない。
弱小チームでのし上がる感じは、まるでハリウッド映画『メジャーリーグ』を彷彿とさせ、読み手の情感に訴えるものが第2章から感じた。
やはり、この本は面白い!
第3章 寄せ集め集団 「性根入れてやれよ。好きな野球じゃないか」
第3章はいきなり野村さんのカミナリから始まる。
日本通運に完封負けを喫した後に野村さんが飛ばした檄により、選手たちやスタッフは目を覚ました。
野村さんは指導者として貪欲である。選手をその気にさせるためには「守備は高橋由伸のより上手いぞ!」ということもあるし、コーチに「何で社会人の選手は、30代になると下り坂になって引退するんや?」と聞いたり、選手から「高めのボールはどうやって打つんですか?」という質問について、ずっと考えて「俺の考えは…」と丁寧に教えたという。
この第3章では野村さんにより、選手自身が変わっている様がよく描写されていること、また野村さん自身も野球に打ち込んで、シダックスを社会人野球日本一を導くために尽力していることが分かる。そしていよいよ、シダックスは都市対抗野球に挑むことになる。
第4章 人生最大の後悔 「野間口が疲れているのは、分かっていたんだよ」
2003年の都市対抗野球大会。実はエースの野間口さんが「都市対抗の本戦は、別に何も緊張しないんですよ。予選ですよ、予選。プレッシャーで、もう死ぬかと思って」と語るように、本戦に出なければ社会人野球チームの存続に意味はない。会社から予算に見合った結果を出す最低条件が都市対抗野球本戦出場。
シダックスは予選を制し、本戦出場を果たす。エース野間口さんの好投と、「世界最強」キューバでオリンピック代表として活躍したオレステス・キンデラン、アントニオ・バチェコという二人の主砲が大活躍したことも躍進の要因だった。
当時、シダックス野球部キャプテンを務めた松岡淳さんは野村シダックスについてこのように語っています。
野村さんが率いるシダックスが都市対抗の初戦となったトヨタ自動車との一戦は東京ドームで行わわれ、4万2000人の観衆が集まった。それはまるでプロ野球のオールスター戦や日本シリーズ規模の観客動員数である。シダックスは初戦を制し、一度負けたら終わりのトーナメントを勝ち上がり、決勝進出を果たす。
相手は三菱ふそう川崎。シダックスは3点リードしていたのだが、7回にエース・野間口さんが三菱ふそう打線に打たれる。 130球を越え、さらに調子も絶不調だった野間口さんだったが、野村さんは続投を命じると、同点に追いつかれた。そこから逆転負け。野村シダックスは勝利を片手で掴みかけたところで、スルッと抜けて落ちていった。
試合後、シダックスの選手たちは悔し涙。野村さんは悔しさを押し殺し「最後の最後になって、私自身が大変な決断の時に、決断できなかった。ちょっと迷ったというかね。思い切れなかった。本当に皆さんに迷惑をかけましたと感じています」と語りかけた。
このチャプチャーはなかなかスリリングで、読み手に野村シダックスに感情移入をさせる加藤さんの文章力が光る。さらにあれだけ説得力のある理論を持ちながらも勝負のために非情になりきれなかった野村さんの人間らしさも感じる内容となっている。
第5章 エース争奪戦 「アンチ巨人は、誤解やで!」
シダックスでの指導力が再評価のきっかけとなったのか野村さんが、中日ドラゴンズ監督候補に浮上とスポーツ新聞が報じた。この事実は正直、知らなかった。確か山田久志さんが解任されてから、落合博満さん、谷沢健一さん、高木守道さん、牛島和彦さんといった球団OBが監督候補に名を連ねていた。
真実としては当時中日ドラゴンズ社長の西川順之助さんによると「野村さんの話は出たことがあるが、奥さんの問題とか色々あるので反対して、最終的には落合か谷沢の二択となり、落合を選んだ」とのこと。
この第5章はシダックスのエース・野間口さんの去就。「社会人ナンバーワン右腕」野間口さんはドラフトの目玉。彼をどのチームが獲得するのか。結局、野間口さんは巨人に入団するのだが、そこに至るまでの過程、魑魅魍魎な攻防が中心となって描かれている。
そして加藤さんも追い込まれる。巨人のオーナーは読売グループ。読売新聞系のスポーツ報知にとって、「巨人報道では他誌に負けてはいけない」という鉄の掟があるそうだ。加藤さんは来る日も来る日も現場に足を運び、野間口さんの去就を追い続けた。
ここら辺がややドロドロしつつも、読み応えがある。揺れ動く人間たちの心情描写がきちんと書かれていて、これがまた面白い。
そして野村さんはやはり策士であることがよく分かる。
第6章 球界再編 「今は書かないでくれよ」
2004年の球界再編。プロ野球チームが12球団じゃなくなるかもしれないという緊急事態。さらに「金リーグ」と揶揄された一リーグ統合計画。
これについては深く追求しない。これだけでめちゃくちゃ長文が書けるほどの事変だからである。
野村さんはシダックス監督として、球界再編問題を取り上げたテレビ番組のコメンテーターとして登場する機会が増えた。そこで野村さんはいきなりシダックスでプロ進出をしたいと爆弾発言を行っている。結局、会長の志太勤さんが乗り気じゃなかったため断念することになるが、野村さんの健在ぶりを満天下に示した。
ここは第5章と同じく策士・野村さんが爆発した内容。情だけでは生き抜けない、シビアな部分も必要なのだ。
第7章 二人の左腕 「愛なくして人は育たない」
第7章の主役は、シダックスで育った二人の左腕投手の物語。
武田勝さんは2005年に日本ハム入団。オールドルーキーだったが、持ち前のコントロールと変化球で4年連続2桁勝利をあげ、2億円プレーヤーとなったシダックス出身で最も活躍したプロ野球選手。
森福允彦さんは、2006年にソフトバンク入団。球界屈指のセットアッパーとなり、2013年にはWBC日本代表に選出されている。
二人の物語が野村シダックスの功績を裏付けたものになっている。その内容に関してはこの本を読んでほしい。
第8章 復活 「シダックスの3年間、オレは野球が楽しかったんだ」
2005年。球界再編問題は、近鉄とオリックスが合併し、オリックス・バファローズが誕生。新たに日本一のネットモール「楽天」が新規参入を果たし、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生して、12球団を保持することで決着した。だが楽天は負け続けた。いきなり勝てるほど甘くない。
野村さんの懇願により、シダックス野球部は2006年も存続。コーチの田中善則さんが次期監督に就任する。そして2006年にシダックス野球部は廃部となった。田中さんは部員23人の再就職をサポートするために、他の社会人野球チームに売り込み、選手と共に再就職の会社に出向き頭を下げた。田中さんは語る。
2005年12月19日、シダックス監督を離れ、プロ野球監督に復帰する野村さんの送別会。そこで野村さんの挨拶で異変が起こる。野村さんが泣き出したのだ。
実は楽天監督の件で、一刻も早くプロ野球に復帰させたい沙知代夫人と、シダックスで野球を追い求めたい野村さんは大喧嘩をしたという。
ここから野村さんと野村さんの教えを受けた者たちの今後について描かれている。彼らはシダックス時代に学んだ「ノムラの考え」を教科書とし、後進の育成に励む指導者として生きていた。加藤さんは小気味よくこのように綴っている。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とす」
爽やかで心地よくて深い。熱さと狂気性だけじゃない加藤さんの魅力を感じた。この人の文章の凄さは、どんなに分かりにくく、底なし沼のような深い世界でも、きちんと分かりやすく言語化して文章表現できるところだと思う。それは才能というより、記事を書き続けることで生まれた修練の積み重ねによって生まれた結晶。
これはシティ・ポップスの歌詞に出てくるような名文!
エピローグ
このエピローグでは本章ではほぼ証言者として登場しなった野村さんの息子・克則さんと、克則さんの妻・有紀子さんに取材している内容が主に構築されている。その内容は敢えて触れない。
なぜか?
実は加藤さん、最後の最後に爆弾を仕掛けていたのだ。まんまとやられた。ここからサスペンスの終盤に展開されるクライマックスに向けての謎解き。火曜サスペンス劇場のあのオープニング音楽をかけたいぐらいの衝撃展開。
これは読んで確認していただきたい。
総評 野村克也は月見草ではない、山茶花である。
やはり『砂まみれの名将』は最高に面白かった。そして感動のノンフィクション作品であった。
まず個人的には加藤さんの文章力が凄いということである。「記者に向いていない」と言われた過去を払拭するために、記事を書き続ける研鑽によって生まれた独自の世界観。
加藤さんの文章は情念や狂気性だけではない。ユーモラスさも爽やかさもある。本当にカラフルだ。まるで「活字プロレス」の鬼・ターザン山本さんのど派手な服のように。でもそれだけじゃない。人間力や取材力、コミュ力の高さやエンタメへの造詣の深さもまた加藤さんの魅力である。その魅力が抽出されたのが本書だった。
思えば野村克也さんは、現役時代、「王や長嶋はヒマワリ。私は日本海の海辺に咲く月見草だ」という名言を残している。
月見草とは、5月~9月頃に主に白い花を咲かせる植物。夜に咲くことから「月見草」という名前で呼ばれるようになったようだ。
華やかな舞台で光り輝くのではなく、ひっそり咲くから自分は「月見草」ということである。
ちなみに「月見草」の花言葉は「ほのかな恋」「移り気」。これは野村さんの人生を重ね合わせると少し違うように思う。特に「移り気」。これは興味の対象をたやすく別のものに向けること。また、そういう性質という意味である。
野村さんは豪快に派手に遊んだかもしれないが、野球に関しては、その道を極めるために追い求めた求道者だった。
では「移り気」の対義語は何か?
それは、「ひたむき」である。、一つの物事に対して一途に一生懸命努力することを表現する言葉という意味である。
「野村克也引く野球はゼロである」という名言の通り、野村さんはプレーヤー時代も監督時代もひたむきに野球に向き合い、富も名声も、結果をあげ、人も遺してきた。
では「ひたむき」を花言葉にしている植物は何だろう?
それは「山茶花(さざんか)」である。ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。別名では、オキナワサザンカともよばれ、童謡「たきび」の歌詞に登場することでもよく知られる「山茶花」。
さらに「山茶花」の花言葉には「ひたむき」だけじゃなくて、「困難に打ち克つ」がある。
そうか。野村さんは「月見草」ではなく、「山茶花」だったのだ。あらゆる困難も乗り越えてひたむきに生きていた「山茶花」。そんな新たな発見を教えてくれたのは、この『砂まみれの名将』において他にない。
確かにこの本は野村さんと野村さんを取り巻く者たちの再生物語だった。それは著者である加藤さんも含む。そしてもうひとつは、挫折や苦難を味わいながらも物事にひたむきに取り組んだ「山茶花」たちの人生劇場なのだ。
この本をTBS系の『日曜劇場』でのドラマ化に期待したい!『半沢直樹』『下町ロケット』『ルーズベルトゲーム』『陸王』で大ヒットを飛ばした福澤克雄さんのチームでの映像化となれば、私はこのように言うかもしれない。
「野村さんは財も、仕事も、人も遺し、遂に歴史に残る映像作品まで遺した」と。
『砂まみれの名将 野村克也の1140日/加藤弘士』(新潮社)
少しでもサポートしていただければありがたいです!サポート資金は今後の活動費用で大事に使わせていただきます!