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武士の血筋


 父から墓の件で相談したいので帰ってきて欲しいと電話があり、2か月ぶりに家内と二人で帰った。
今回は家内からの提案で、実家に直行ではなく、先ずは美味しい晩御飯を食べ、天気が良ければ湖の夕日を見てから行こうということになった。

晩御飯を食べるお店を調べていると、ふと以前に父が通い、私も随分前に1度訪れたことのある郷土料理のお店が駅前にリニューアルしていたので、そこに立ち寄った。
私は最近は外でもあまりお酒を飲まないのでノンアルコールビールにして、何品か注文した。その日の日の入りは午後7時半過ぎであり、天気も良さそうなので食事後は夕日の見えるスポットに行くことになった。

家内が店からなかなか出てこないので、また店の中に戻ってみるとお店の入口付近に街の観光文化の検定試験テキストブックが置かれており、それを何気なく開いたらちょうど私の本籍地の地域の歴史が書かれていたとのこと。
本籍の地域は中、下級武士が特に藩主が鷹狩りを行う際の鷹匠が住んでいた地域であったようだ。
確かに本籍からすぐのお寺に藩主のお墓があり、私の父が小さい頃からそのお寺が遊び場で、小学校の頃が学校を休んでお寺の木で昼寝をしていたという話を聞いたことがある。
私の家の墓がある寺も藩主のお墓から歩いてすぐの山寺にあり、以前に帯刀したお爺さんの写真も見た記憶があるので辻褄が合う。

家内は射手座ステリウムで直感、念が強く、今から考えるといろんな節目で大切な出会いが生まれている。今回も私がふと思い出した父の行きつけのお店でさりげなく開いたら本籍であったという流れも祖先からのサインであるに違いない。

そのお店を出て夕日の見えるスポットに向かった。夕日の見えるエリアは無料開放されており、既に地元の人や旅行者と思われるグループが夕日が沈んでいくのを待っておられた。
私は実家に帰ってもいつもこの時間は、両親と食事をする時間帯であり、このようにゆっくりと夕日が沈むひとときを過ごしたことはなかった。

そしてその日の夕日が湖と空全体にひろがる風景は本当に言葉にならない美しさであった。この街で生まれながらも、この美しさを見たのは今日がはじめてであるということもとても象徴的である。

その夜に父からのお墓の話というのは、以前から何度か出ていたお墓を平地の市民霊園等に移そうかという相談。
父も色々調べたりした結果、自分が修復した墓は父が生きている間はやはり今の山寺のままにしておくこと。私ももちろん反対する理由はなく同意した。

翌日は夜明けとともに起きて、氏神さんの2社にお詣りをした後に山寺の墓参りをしてきた。
コロナ禍で、お墓参りも家族全員では来れてなかったので今年のお盆は久しぶりに家族そろってお詣りをする予定である。

最近、祖先からのカルマ、因果を知らされる機会があり、またカルマを視点として天と地のホロスコープを観る龍頭図をまた学ぶ機会にも恵まれ、祖先からのカルマというものを意識させられる流れになっている。

龍頭図は、ネイタルのドラゴンヘッドの度数を牡羊座0度としてチャートにしたものである。私のドラゴンヘッドは天秤座13度(テイルは牡羊座)で龍頭図太陽は蠍座、月は魚座、ASCは獅子座。
ヘッドの天秤座は父と長女、テイルの牡羊座は母、月の魚座は次男、ASC獅子座は長男と親族のもつ惑星の要素と重なる部分が多い。
また私の龍頭太陽蠍座13度は家内のネイタル海王星、父の龍頭太陽の山羊座7度は私のネイタル土星と次男の龍頭太陽と同じ度数。
私の太陽牡牛座26度は母の龍頭火星、長女の龍頭MCと一致と親族で実に重なるものが浮き彫りになってくる。

龍頭図での月は西洋占星術上の、マドモアゼル愛先生の月の解釈とはまた枠組が違うようで、祖先からのカルマも因果というマイナスの意味合いだけでなく、祖先から受け継がれている才能と受け止めるとまた違った感覚が生まれる感じがある。

普遍的なことは物語を通して伝わることを意識してきた。
ネイタルのホロスコープもそして祖先からの働きがある龍頭図の枠組みにおいてもどれが正しいのかとか、どれが真実であるのか、真実の根拠は何かというような枠の中で思考したり、物語ではない言葉で説明したりすることは不毛なことではと感じてきた。

ご縁があって出合えた愛先生の月の理論も含めたホロスコープや龍頭図もまさにそれぞれが物語であり、その物語を通して働いているものを感じ自分をそして自分に直面する出来事や世界を俯瞰していくことで安らかに豊かに生きていければと思う。


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過去帳に武士の属名蛍の夜


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