ポートスタンレー1982『ブラックバック作戦』
だが……四月二十八日の早朝……。
サッチャー戦時内閣は、本当にやったのだ。
かねてよりベドフォードシャーで演習をしていた、英国空軍のアブロ・バルカンが一機当たり十九機の給油機の補給を受けつつМEZ(海上排他水域)の上空に侵入。
バルカンのパイロットは高度三二〇〇メートルから、三〇度の角度をとって降下。
高度九〇メートルの高さから二一発の爆弾を滑走路に落とした……という。
「滑走路に穴が開いたらしいです」
レーガンは目をむいた。
「キャップ、アルゼンチンにタイガーキャット(地対空ミサイル)の装備があった筈だろう?……ロックオンしなかったのか?」
レーガンは驚いたまま国務長官を見ていた。
「ECМ(電子妨害装置)です。それにチャフも使うでしょう」
チャフとはアクティブレーダーをかく乱するアルミ箔のようなものである。
切り刻んだアルミ箔を空中に散布すると、レーダーのスクリーンはその部分だけ『真っ白』な渦のようにしか見えなくなる。
したがって、ホーミングミサイルはロックオン出来ない。
ワインバーガーが英国空母「ハーミーズ」「インビンシブル」にリリースしたサイドワインダー空対空ミサイル……は、赤外線で熱源そのものにロックオンする。
ターゲットを補足する方法が全く違うのだ。
ふいにレーガンの執務室に、スタッフが入ってきた。
「大統領っ、英機動艦隊が第二波……ハリアーを二十機投入しました!」
*
『ブラックバック作戦』成功の報告を、サッチャーは丁度、ミルトン・ホールで受け取っている。
「スタンレーの滑走路の爆撃、終了しました」
国防省から電話が入ったという。
彼女は一言、
「ダウニング街十番のスタッフに念を押してほしいの」
彼女はスティーヴン・ヘイスティングズ議員のスタッフの前で呟いていた。
「国連の決議声明『五〇二号』というのは、こういうことだと……つまり、サイは投げられた……」
……判決を紙切れにさせはしない。
決意こそしていたが、現実とはこういうことである。
彼女の声がややうわずり始めていた。
震えと……泣きだしそうになる自分を必死で押さえようとするが……。
すかさずデニス・サッチャー(夫)が周囲の人々わ見まわしながら立ち上がった。
「紳士淑女諸君、聞きたまえ。いいかねわれわれはガルチェリとは違うんだよ」
普段に温厚な彼の顔だが、この時、瞳だけは真剣だった。
「不法上陸……ガルチェリのやり口は勝ち方はおかしい。勝ち方とはつまり……『名誉』の問題だ」
彼は言い放った。
しかるべき外交交渉でこの問題は解決すべきだった。
しかし、不法上陸という手に打って出たのだ。
マギー・サッチャーはようやく……普段の顔を取り戻した。
……リーダーを尊敬しなさい、愛さなくてもいいから。
サッチャーの言う『尊敬』とはチャーチルの時代にいうところの『名誉』を裏返したような意味である。ヴィクトリア朝のロマンティシズムは既にこの時代には存在すること事態がアナクロである。
この時、すでに二十機のハリアーは、スタンレー飛行場を叩いた後、さらにグースグリーン飛行場を破壊した。
フォークランド諸島に制空権を確立する第一手だったという。
ただし、この時彼女が肝を冷やしていた重大な問題があった。
アルゼンチン空母『ベインティシンコ・デ・マヨ』である。
彼女を乗せた車は、急きょ官邸に向かった。
国防相ジョン・ノットに言わせれば、これだけ最善を尽くしても『戦略的』にイギリスの機動艦隊は不利だという。
この期間、イギリス軍はフォークランド諸島にすむハム無線家たちとコンタクトを開始していた。
「ああ、あの冒険家の少佐ね」
サッチャーは頼もしげな顔をした。
先のイギリス軍少佐……ヨットでフォークランド海域を探検したという、サスビー・テイラー少佐が出したアイデアである。
かつてフォークランドで知り合ったという女性を通して、フォークランド諸島の住民たちと連携でハム無線の情報網を築きあげていた。
現地の情報はウルグアイ経由でノースウッドの中央指揮室に入ってくる。
*
この時期、今日のようなIT技術はまだ普及はしていない。
デジタル(二進法)ではなく、一般的に「ロー・ハイ」のアナログ回線がインターネット技術でも主流だったという。
GPSが民間に普及するのは、後だ。
「無線網で情報を収集する」
テイラー少佐のアイデアは、取りあえずはアテにできた。
この時期、東フォークランド島では案の定、略奪が始まっていたという。
独裁者ガルチェリならでは……である。
「先の南ジョージア島で捕虜になった、アスティス大尉ですが……」
この時臨時で法務総裁の席にあったマイケル・ヘイワーズは口を開いた。
「フランス政府とノルウェー政府からの連絡があり……つまりあの男、殺人犯の容疑がかかってまして」
サッチャーは首を傾けて、ついていけない……とばかりの顔になった。
ヘイワーズ総裁は苦い顔になった。
「マギー、第三ジュネーブ条約の適応が必要になります」
サッチャーの顔つきが、絶妙に変化し始めていた。尋常でない証拠だ。
一体、ここにチャーチルの言う『名誉』やサッチャー特有の物言い『尊敬』は存在するのか?
「尋問は紳士的にということなの?」
彼女はこめかみに指を当てた。
「まあ……」
実際にアスティスはフォークランド戦争終了後、旅客機の一等席を当てがってもらい、アルゼンチンに舞い戻っている。
マフィアそのものである。
更にこの五月、アルゼンチンの民間旅客機が、英国機動部隊の補給地である『アセンション島』界隈を頻繁に飛び回っているという。
後方を偵察しているのである。
フランシス・ピム外相は閣議室のテーブルに載った『ハンドバッキング』が妙に黒光りしているのを感じた。
「……また、サン誌(イギリスの新聞)の連中がたちの悪い記事を飛ばしそうね」
サッチャーはジョークを飛ばした。
だが、みなは笑えなかった。
(マギーが怖い)
これこそが、閣僚たちの一致した意見だ。
ソヴィエトの中枢……クレムリンですら、戦慄を禁じえないこの時、サン誌だけはフォークランド戦争を煽<あお>っていたという。
冗談のような新聞である。
彼女は国防相のジョン・ノッドに言った。
「地獄の犬たちに伝えなさい。一カ月以内にスタンレーにユニオンジャックを掲げること」
ハリアーが東フォークランド島の飛行場を叩いたのと呼応するが如く……SASを乗せたガンシップは低空からアルゼンチン軍のレーダーサイトをくぐり抜け侵入を果たしていた。
プカラIA58……。
滑走路をハリアーが叩いたとしても、この小型機はフォークランド諸島に隠すことが可能だったという。
アセンション島からフォークランド海域に向かっている英陸上部隊三二〇〇が東フォークランド島に再上陸するために、プカラはどうしても叩いておきたかった。
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