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夏が嫌いだ

 夏が嫌いだ。最近、晴れ日の雲がもう夏空の雰囲気を醸し出していて、もうそこまで夏がやってきている気配が濃い。もう、そろそろ梅雨も明ける。まず、何よりも暑い。昔から新陳代謝がよくて、すぐに汗をかいてしまう僕からすると夏は敵だ。夏に限らず、「汗をかくこと」が病的に嫌いで、どんな季節でも汗をかいてしまうとすぐに集中力が消え去ってしまう。もう何もかも嫌になってしまって、早くシャワーを浴びて、さっぱりすることを最優先してしまう。その辺の話は別のnote にちらっと書いた。そんなだから、夏を満喫することができない。

 だからといって、夏の思い出がないわけではない。むしろ、「夏」という意味合いが持つ特殊性に依存したいろんな出来事があった気がする。花火大会、海、実家に帰る、ちょっと長期の旅行、フィールドワーク、合宿、お祭り、など月並みなイベントかもしれないけども、みんな夏の属性として、記憶に刻まれている気がする。そして、そんなだからこそ、身体的な記憶として、ある種まとわりついてくる。

 毎年、夏の始まりを感じられるイベントがある。そう、京都の祇園祭だ。ある程度の年齢になってからは、毎年何かしらの形で見に行って、「暑い、暑い」とうなりながら、でも見たくなって、なんやかんや行ってしまう。当然、嫌いな汗もかいてしまうのだが、でもそれ以上に見に行きたい気持ちが勝ってしまう。

 今年もそうだった。人の多い夜の時間帯には、最近行けなくなったが、ちらっと見に行って雰囲気だけ味わう。それだけで満足できてしまう。昔と比べると簡易な夏の迎え方になってしまっているが、それはそれで好きで、なんやかんや気に入っている。

 祇園祭の前祭が終わるとだいたい梅雨が明ける。そうすると、そこからぎらぎらの太陽が、むわっとした湿気が、僕にまとわりついてくる。だからこそ、結局今年も夏が嫌いなんだと思う。

 でも、それ以上に今年の夏も身体的記憶に結びつきそうな予定が少しずつ入っていて、おそらくしっかりと記憶に残る夏になるんだろうと思う。今年の夏季休暇は初めて16連休の気配もあるので。。。

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