赤い花 第五部

 明日実家に帰ることを電話で告げると、ミキの母は少し迷惑そうにした。二つ違いの妹は既に地元で結婚をして子どもを産んでいた。可愛い孫の面倒を見ようと思っていたところに東京に行ったきり、盆暮れにも帰ってこない長女からの突然の連絡に違和感を抱いたのだろう。

 ミキの父は、妹が生まれた翌年に事故で亡くなった。ミキが物心ついた頃には母と母方の祖父母とミキと妹の5人で暮らしていた。父の墓参りに行った記憶はあるが、父と母の結婚生活が短かったせいもあってか、小学校に上がるころには、父方の親族とは疎遠になってしまっていた。

 母に兄弟はなく、祖父母と一緒に暮らしていても肩身の狭い思いもなく、のびのびと過ごしていたようにミキの目には映っていた。ミキたち姉妹は祖母に育てられたようなもので、母はまだ若かったこともあり、慣れ親しんだ土地で地元の友達たちと過ごす時間が長かった。

 働きには一応出ていた。祖父の口利きで入った地元の建設会社の事務をしていた。定時に会社に行き、定時に帰ってくるような生活で、住むところもあれば両親も健在だったため、幼子二人を抱えた悲壮感など全くなかった。 

 ミキは、中学に上がるころまでに父がいないことや母の生活ぶりをみて、周囲の家庭との違いに違和感を覚えていた。その違和感が昂じて、母との関係は悪化していた。

 決定的だったのは高校進学のときだった。ミキは都会の大学に行きたい思いから進学校の受験を主張した。ゆくゆくは自立した社会人になりたいと思っていた。母のような甘えた人間にはなりたくない。母と違った人生を歩むためには、将来の大学進学が絶対に必要だとミキは頑なに信じていた。

 母は商業科にでも入って、高校卒業後も地元で就職して近くに居て欲しいと考えていたので、当然ミキの考えと真っ向から対立した。二人はミキが中学3年に入った頃には一切口を利かなくなっていた。 

 そんな中、ミキを助けてくれたのは祖父だった。

「ミキが勉強したいと言っているんだから、やらせてあげようや。」

 この言葉で、進学校へ行くことと大学進学までも約束してくれた。ミキは高校受験はもちろん、入学後も勉強に励み、浪人することなく希望の国公立の大学に進学することができた。一年くらい浪人したとしても許されただろうが、ミキは少しでも早く母から離れたかった。その思いがミキを机に向かわせた結果だった。 

 対照的にミキの妹は、母の希望どおりに地元での生活に終始していた。学校卒業後には、歯科衛生士の資格を取った。働き出してすぐに今の夫と出会い、あっという間に妊娠した。お腹が大きくなったこともあり、結婚式はあげずに婚姻届けを出すだけのシンプルな結婚だった。

 祖父母は披露宴を開かないことを残念そうにしていたが、予想外に早く誕生した曾孫に眉がさがった。赤ん坊の可愛さと男の子だったことが重なって、何も言わなくなっていた。ミキに対して一番の理解を示してくれていた祖父も結局は、家庭に入って子どもを作ることが女の幸せだと思っている。 

 今回の自分の病気を伝えるということは、祖父母よりも先に死ぬだろうと告白することと一緒だった。大学まで出してもらいながら、まだ何も恩返しができていないことを思うと、実家に帰る気持ちはどんよりとしてきた。母が迷惑そうにしただけでなく、自分自身でも暗い気持ちに向かってしまう。

 実家に向かう電車の中から外を眺めると、ミキの気持ちに反して、季節はまさに春に向かっていた。清々しい程に空は青く、川べりの植物たちは競い合うかのように花を咲かせている。草木の緑さえも生命力を誇らしげに周囲に見せつけていた。花粉症には辛い季節もミキには関係がなかった。

 夕方、最寄駅に着くと妹が車で迎えに来てくれていた。軽自動車の後ろに「BABY IN CAR」の黄色のシールが貼られていた。

「久しぶりだね。どうしたの突然?サトルさんと結婚でもするの?」

 助手席に座って座席の位置調節が終わりもしないうちにミカが話しかけてきた。

「家に着いてから話すよ。カズくんは?」 

 後部座席に備えられたチャイルドシートの主がいないことを確認してミキが尋ねた。

「うん。カズキはジジとババが見てくれているから、あとダイゴも今日は仕事早めに上がれるから夕飯はウチで食べるってさ。ババがミキ姉の好きなオカズをたくさん用意してくれているよ。今日は宴会だね~。」

 ジワリと心が憂鬱に満ちていく。幸せな家族に対して、これから自分がしようとしている告白が一点のシミとなり、やがて家族全体を真っ黒な闇に包んでしまうのではないか。久しぶりに姉に会えた喜びを素直に表してくれているミカの横顔を、その笑顔を見つめて、ミキはさらに気が滅入ってしまった。

 動き出した車が信号で止まる。ウィンカーの音と心臓の音とが重なる。沈黙の中でミキの鼓動は徐々に早まり、車は右折して実家へと向かっていった。

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