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少年時代 【歴史奉行通信】第三号

映画『関ケ原』はすでにご覧になられましたか。司馬さんの原作を読んでいないと、ストーリーを追いにくい部分はあったかもしれませんが、迫力の戦場シーンや役者陣の力の籠った演技などは、十分に見応えがあったと思われます。
私は「菜の花忌」のパネルディスカッションで、原田眞人監督とご一緒したのがご縁で、パンフレットにインタビュー記事を寄稿させていただきました。わずかなりとも作品に関与した者として、このヒットは実にうれしいです。原田監督も「これが当たれば次がある」と仰せでしたので、また戦国時代を舞台にした映画を見られる可能性が高まってきました。

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さて、華やかな喝采を浴びて公開された映画『関ケ原』や、クリストファー・ノーラン監督の話題作『ダンケルク』の陰で、あるドキュメンタリー映画が、ひっそりと公開されました。
『ギフト 僕がきみに残せるもの』です。
この映画はALSという難病に侵された元アメリカンフットボール選手と家族の日々をつづったものですが、お涙ちょうだいの難病モノとは一線を画した力強い映画です。
ALSの詳細は、本やネットで調べていただきたいのですが、発症から五年ほどで死亡するという不治の病です。しかし彼らは「No White Flags(白旗なんて要らない⇒決してあきらめない)」を合言葉に、周囲の人々を巻き込み、ALSという難病を世の中の人々に知ってもらう活動に邁進していきます。

『ギフト』
http://transformer.co.jp/m/gift/

私は少年時代、偶然からこの病気を知ることになりました。そのきっかけは偶然、中華料理屋で読んだ漫画雑誌に載った読み切りの漫画でした。今ではタイトルも作者も覚えていませんが、『ギフト』と同じように、主人公の悲しみや苦痛を描くだけでなく、前向きに生きることの大切さを淡々と描いた作品でした。

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いよいよ死にゆく時、主人公が周囲の人々に対して、感謝の言葉を述べるのですが、それが延々と続き、その「ありがとう」の繰り返しによって起こる感動に圧倒されました。
人が最期に思うのは、「感謝」なのだと、この時、知りました。
 
われわれは日々、様々な人たちとかかわって生きています。しかし「感謝」の気持ちばかりを抱くわけでなく、怒りや憎悪といった感情を抱いてしまうことも、ままあります。人は感情の生き物ですから、これは致し方ないことなのかもしれません。
しかし俳優の榎木孝明さんによると、「悪い感情を抱いた時に悪い言葉を吐いてしまうと、自分に付いていた幸運も消えていく。逆に感謝の言葉を口にする人には、幸運がどんどんやってくる」と仰せでした。

ALSの患者さんも人です。「どうして自分が」と思ったでしょうし、毎日が苛立つことの連続だと思います。今まで当たり前にできていたことができなくなるのは、言語に絶する苦しみでしょう。それでも「今ある自分」を受け入れ、患者さんたちは生き続けているのです。
われわれは健康であることに感謝し、不幸にもALSなどの難病に罹患してしまった方々が少しでも快適な暮らしができるよう、支援していくべきだと思います。
あなたの「感謝」の気持ちが他人を助け、それがめぐりめぐって、次はあなたを助けることになります。それが人の世の仕組みだからです。

『ギフト』を見ていただきたいのはもちろんですが、彼らが戦いを続けるためにも、ALSの患者さんたちを助けるせりか基金に募金していただき、患者さんたちとつながっていただきたいと思っています。
 せりか基金の詳細と募金方法は以下の手順になります。

『せりか基金 - 宇宙兄弟ALSプロジェクト-』
https://landing-page.koyamachuya.com/serikafund/

【せりか基金ポスターの前で】
https://goo.gl/dT6qGb
手に持っているTシャツは、チャリティグッズのうちの一つ。
宇宙兄弟ALSプロジェクト「せりか基金」の寄付金を募るオンラインショップでは、
支援の金額に応じたグッズを用意。

さて、前回は少年時代の記憶を二つのエッセイから紹介しましたが、今回は私の生まれ故郷である横浜の「地縁」について、エッセイに託して語りたいと思います。

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「吉川英治文学新人賞」受賞記念エッセイより

私が歴史小説好きになったきっかけは、ちょうど小学校六年の時に放映された大河ドラマ『新・平家物語』でした。それで原作者である吉川英治先生の大ファンになった私は、『宮本武蔵』『三国志』『水滸伝』『新書太閤記』『新・太平記』などを立て続けに読みました。
しかし当時、吉川先生の生まれた地は横浜と知っていたものの、根岸とばかり思っていました。吉川先生が、どこかで出身地を根岸と書かれていたからです。
私の生まれた地は、今も住んでいる横浜市中区石川町ですので、根岸とは距離があります。つまり、地元といっても離れているとばかり思っていたのです。

ところが受賞後、吉川先生の自伝『忘れ残りの記』を読んだのですが、私の自宅から徒歩わずか五分程度のところで吉川先生が生まれ、何度かの転居後も、三分から五分ほどの距離に住んでいたと知りました。実は地区や町名の変更があり、当時と今の地区割りが変わっていたためでした。
さらに驚いたのは、吉川先生が五年間通った山内尋常高等小学校は、私の家から五分ほどの距離にあり、先生が私の家の前を通って学校に通っていたと知ったことです。
先生の四番目の家は私の通った石川小学校の場所にあったので、時代は違えど、吉川先生と私は、遊行坂という坂を互いに上ったり下ったりしていたわけです。

また、母と伯母が吉川先生のお葬式に参列したという話は前から聞いていたのですが、その理由が、吉川先生が山内尋常高等小学校で教わった先生と、母や伯母が小学校で教わった先生が同じだったからでした。
むろん私は、それだけの縁と思っていたのですが、つい先日、母が『忘れ残りの記』を読んで思い出したのですが、実はそこに、御新造先生という名で登場する二十代で色白の美人先生が、母と伯母を教えた先生で、その御新造先生は晩年、私の幼稚園の校長先生でもあったのです。

母が教え子ということもあり、御新造先生は、とても私を可愛がって下さったとのことです。幼稚園で私を教えてくれていた当時は、すでに70代後半だったはずですが、御新造先生は教壇に立っており、幾度となく私の頭を撫でてくれていたとのことです。
つまり若々しい手で吉川先生の頭を撫でていたのと同じ手で、約50年の歳月を隔て、私の頭を撫でてくれたという事実が判明したのです。
吉川先生と私の少年時代の活動範囲もオーバーラップしており、ほかにも奇遇と思えるご縁は多々あるのですが、今日はこれくらいにしておきます。
吉川先生がお亡くなりになられたのが1962年で、私が生まれたのが1960年なので、先生とは現世で2年間だけ一緒だったことになります。つまり生まれ変わりではないので、ご安心下さい(笑)。

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さて、あらためてエッセイを読んでみて、人の出入りの激しい横浜の中心部でも、「地縁」というのは脈々と引き継がれているのだなと感心しました。
私はスピリチュアルなものをあまり信じませんが、吉川先生がやりたくてもやれなかった仕事を引き継ぐ気持ちで、仕事に取り組んでいくつもりです。
ちなみに母は現在、93歳でありながら病気一つせず、横浜駅まで一人で出かけて友人と会食したり、私の著作を読んで感想を言ったりしています。

かくして石川小学校を卒業した私は、お受験をして見事、私立浅野中学に合格します。
最も多感な時期を文化的にませた連中と過ごせたことで、映画や音楽、そして小説の面白さを知ることになったのも中学時代でした。
信じられないかもしれませんが、連中の大半は山口百恵や桜田淳子といったアイドルには見向きもせず、ロックと映画に傾倒していました。逆に大学に行ってから地方の人々と一緒になり、「こんなにアイドルが好きなのか!」と驚嘆したことを覚えています。
私は中学の三年間を剣道部で過ごし、中三の時は部長になりましたが、生来の性格から人を率いていくのは得意ではなく、あまり居心地がいいものではありませんでした。
中三の時に顧問の先生が暴力事件を起こし、剣道部は一時的に廃部となりますが、その後、活動を再開した時には、もう戻る気はありませんでした。

高校時代はさほど勉強せず、様々な本を読み、土日となれば映画館に通っていました。当時はビデオデッキもなかったので、映画を見るためには映画館に行くしかありません。しかし封切りは高いので、よく二本立てや三本立ての名画座に行っていました。
私の場合、横浜の中心部に生まれたことが幸いし、徒歩圏内の名画座で見たい映画が、いつもかかっていました。当時は雑誌「ぴあ」が全盛でしたが、私は「シティロード」を愛読し、名画座めぐりをしていました。
そうした名画座も今はほとんど姿を消したか、封切館に衣替えしています。しかし、あの汚臭のする映画館に一歩入った時のワクワク感は今でも忘れられません。映画館が当時の少年にとっての世界への扉だったからでしょうね。

その後、人並みに受験勉強にいそしみ、現役で早稲田大学社会科学部に進むことになるわけですが、
大学時代の話は稿を譲りたいと思います。

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