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アンフィニッシュト 48-2

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

 第五章 虚構の果て

赤城壮一郎に会うのは容易なことではなかった。赤木は信者三十万人を擁する「神光教」の教祖に収まっており、マスコミの取材や信者以外の面会を、すべて断っているからだ。
非公式の事情聴取を拒絶されたので、寺島は刑事訴訟法第二二三条の規定を持ち出し、参考人として出頭を求めた。
 だが赤城は足を悪くしているということで、軽井沢の教団本部まで来てくれれば会うと言ってきた。
 相手が妥協してきたので、警察側も折れるしかない。
 寺島と野崎は軽井沢に出向くことにした。

「学生運動をやっていた奴が、こんな広大な土地を、どうやって手に入れたんだ」
 タクシーを降りるや、そのチューダー朝風の厳めしい門の前で、野崎が毒づいた。
「宮家の旧邸があった土地を、二束三文で手に入れたと聞きましたけど」
「どうしてそんなことができたんだ」
「さあ、何かのコネがあったのでは」
「活動家の赤城が、どうしてそんなコネを持っているんだ」
 答えに窮していると、不愛想な係員が出てきて屋敷内に招き入れてくれた。
 応接室で待っていると、秘書に支えられて赤城が入ってきた。背広姿なので、一見すると一流企業の重役のように見えるが、肩に略肩衣(りゃくかたぎぬ)を掛けているので、その手の人と分かる。
「お待たせしました」
 杖を秘書に渡すと、赤城はソファに腰を下ろした。背後で束ねたシルバーグレイの髪が、赤城の威厳を引き立たせている。
 ——これが赤城壮一郎か。
 その落ち着いた素振りから、目の前にいる男が、かつての学生運動の雄だとは、とても思えない。

 さど号事件の後、一九七二年二月に連合赤軍浅間山荘事件が、同年五月にテルアビブ空港乱射事件があり、世間の学生運動に対する好意は、急速に薄らいでいった。諸党派への加盟者はもとより、集会に参加する学生たちも激減し、運動は停滞期を迎える。追い込まれたがゆえに過激な方向に走ってしまった結果、自滅を招いたのだ。
 さど号事件の後、赤城も逮捕されたが、赤軍派議長らが十年以上の服役刑に処されたのとは対照的に、凶器準備集合の共謀共同正犯に問われただけで、懲役四年、執行猶予三年ほどで娑婆に出てこられた。
 しかし赤城は学生運動に復帰することなく、二十年ほどの潜伏期間を経て宗教家として再び世間の前に現れた。その間、インドやチベットをめぐり、仏教の神髄に触れ、宗教家になったという触れ込みだった。
 ——つまり、ほとぼりを冷ましていたわけか。
 学生運動の否定的なイメージを払拭するためには、赤城にも二十年の歳月が必要だったのだ。
 二人が名乗って名刺を差し出すと、赤城は「神奈川県警ですか。公安の方ではないんですね。若い頃、公安の方には、いろいろとお世話になりましてね」と言って、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「われわれは、川崎であった簡宿放火事件の犯人を追っています」
 野崎が精いっぱいの愛想を込めて言う。
「放火事件と仰せですか」
 寺島が、これまでの経緯を手短に説明した。
「そういうことですか」
 赤城がしんみりと言った。その達観したような顔つきには、かつて学生運動をリードした闘士の面影はない。
 教団からは一時間という枠をもらっている。挨拶と経緯の説明だけで三十分を使ってしまった寺島は、少し焦っていた。
「それでお尋ねしたいのは、中野健作氏のことです」
「彼には可哀想なことをしました」
 赤城が唇を噛む。
「私だって、半年やそこらで帰ってこられると思っていたんです。それが、あちらで行方不明になるなんて。彼を選び、送り出した身としては責任を感じます」
 どこまで本気で言っているのかは分からないが、赤城は過去を悔やむように、顔に苦渋の色を浮かべた。
「その中野さんの消息なんですが、赤城さんは何かご存じではありませんか」
 ずばりと本題に入ったので、隣に座る野崎が、たしなめるようにこちらを見た。
「全く知りません。こちらの方こそ知りたいですね」
「では、中野さんの写真をお持ちではないですか」
「持っていません」
「学生時代、石山直人さんのことはご存じでしたか」
 寺島が学生の頃の石山の写真を見せると、赤城は即座に首を左右に振った。
「いや、覚えていませんね。少なくとも在学中、彼とは言葉を交わしたこともありません」
 赤城と石山の接点は確認できなかったので、それは事実なのだろう。だが赤城は記憶を探る風もなく、あっさり言った。それが逆に疑念をかき立てる。
「北朝鮮の中野さんから、赤城さんあてに、手紙か何かが送られてきたことはありませんでしたか」
「そうしたものは一切、受け取っていません。私も獄中にいましたからね」
「では、中野さんの生存の手掛かりも、密かに入国しているかもしれないという情報もお持ちではないですね」
「なぜ私が、そんなことを知っているのですか」
 赤城が鼻白んだように言う。
「仰せの通りです。では質問を変えます」
 寺島は一拍置くと、赤城の様子をちらりと見たが、とくに身構えるでもなく落ち着いている。
「妹さんのことを、教えていただけませんか」
「ああ、妹ね」と言うと、赤城がため息をついた。
「妹かどこでどうしているかなど、私は全く知りません」
「唯一の肉親であるにもかかわらず、ですか」
「はい。すでにご存じのことだと思いますが、妹は北朝鮮へ渡航しようとして東欧まで行ったのですが、それ以後は連絡が途絶えたままです」
 一九七五年以降、東欧で消息を絶ち、北朝鮮へ向かったと思われる若者が何人かいた。その中に桜井紹子が含まれていた可能性がある。
 ——桜井は、さど号メンバーによって拉致された一人なのかもしれない。
桜井紹子は赤城の出所後、秘書のようなことをやっていたが、赤城がインドへ長期渡航することになり、そこで袂を分かったという。赤城が帰国した時、日本に桜井紹子の姿はなく、東欧で消息不明になったという噂を聞いたという。

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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