城めぐりのススメ 【歴史奉行通信】第十六号

こんばんは。
伊東潤メールマガジン「第十六回 歴史奉行通信」をお届けいたします。

〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓

1. はじめに
2. エッセイ「春の城を楽しむ」
3. エッセイ「女の城」
4. エッセイ「城をめぐる人々」
5. 俺流ベスト10城
6. お知らせ奉行通信

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1. はじめに
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桜の季節は終わりましたが、春は真っ盛り。どこかに行きたくなる季節ですね。
四月六日は城の日でしたが、どこかの城に行かれましたか。今日は城の日にちなみ、
かつて寄稿した城に関する三つのエッセイの短縮版と、「俺流ベスト10城」
を再掲載したいと思います。

暑い夏が来る前に、涼風が吹く中、城をめぐってみませんか。

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2. エッセイ「春の城を楽しむ」
2015年 「文藝春秋」誌向け 
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梅が咲き、桜がつぼみを膨らませれば、もう春である。

ほんのりと汗をかきつつ山に登れるこの季節こそ、山城派の出番である。

夏は暑すぎるし、冬は寒すぎる。
もちろん夏は草ぼうぼうで、ろくに遺構が見られないし、
冬は雪が降る地方の遺構は見学不可能となる。

となれば春か秋しかないのだが、
秋は夏の名残で藪が深いので、
やはり山城をめぐるには、春が絶好の季節となる。

ただし以下の点には気をつけてほしい。

まず山頂での酒盛りは厳禁。
だいたい山城というのは道が整備されていないので、酒を飲んでいると下山の時に転ぶ危険がある。

また防寒対策も忘れないでほしい。
下界ではポカポカ陽気でも、山頂には冷たい風が吹いている。
登っている時の暑さが嫌で軽装で城めぐりをはじめ、
山頂で寒さに耐えられないこともある。

また熊などの野生動物には気をつけてほしい。
とくに春は、冬眠明けで食べ物を探して下山してくる熊と出会うことがある。
もしも熊と遭遇してしまったら、熊は突進してくるので、
ぎりぎりまで動かず、直前に体をかわすのがベストだという。
すると熊は、そのまま真っすぐ行ってしまうというのだ。
背を見せて逃げること、死んだふりや木に登るのは厳禁だ。 

また春は狩猟解禁期でもあるので、明るい色の服装を着ていこう。
私の友人はハンターと遭遇し、
「危なかったよ」と言われたことがあるという。

城からの眺めも、春は格別だ。

有名どころでも、
栃木県佐野市の唐沢山城、
東京都八王子市の八王子城、
群馬県吾妻郡の岩櫃城、
静岡県下田市の下田城などは、
とくにオススメである。

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3. エッセイ 「女の城」
2015年 潮出版「潮」向け
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熊本城が男の城なら、姫路城には女の城という印象がある。

雄渾な熊本城と優美な姫路城という見た目はもちろんなのだが、
熊本城と言えば加藤清正、
姫路城と言えば千姫というイメージに直結するからだと思う。

慶長二年(1597)四月、千姫は伏見の指月(しげつ)城で生まれた。
父は二代将軍の徳川秀忠、母は大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』の主役にもなった江与で、
二人にとって最初の子だった。

千姫が生まれた頃、豊臣秀吉は健在で、
祖父の家康と父の秀忠は秀吉に臣従していた。

ところが翌慶長三年、秀吉の健康が急速に悪化する。
自らの死後を憂えた秀吉は、息子の秀頼(六歳)と千姫(二歳)の縁組を家康に頼み入り、六十二年の生涯を閉じた。

その二年後の慶長五年九月、家康は関ヶ原で石田三成らを破り、
天下簒奪に向けて動き出す。
その一環として、豊臣系大名を安心させるため、
慶長八年、千姫の輿入れを実現させた。

このまま何も起こらなければ、
一大名となった豊臣家の御台所様として、
千姫は平穏な生涯を送ったかもしれない。

しかし慶長二十年、家康は大坂城に攻め寄せ、豊臣家を滅ぼしてしまう。

いよいよ落城となった時、
豊臣家重臣の大野治長は、千姫を使者として秀忠の許に遣わし、
秀頼とその母である淀殿の助命を嘆願させた。
しかし、それは聞き入れられず、逆に二人は自害を強要された。

戦後、江戸城に戻された千姫は、
豊臣家の滅亡の責を一身に背負ったように病に伏せる。

それを見た家康と秀忠は再嫁先を探すが、
ちょうどよく絶好の相手が現れた。

本多忠刻(ただとき)である。

忠刻は、家康の孫娘である熊姫(ゆうひめ)と、
桑名十万石の本多忠政の長男にあたる。

元和二年(1616)、千姫は忠刻の許に再嫁した。
これにより、義父の忠政は十五万石に加増されて姫路に移封された。
忠刻と千姫も姫路に移り、元和四年には長女の勝姫が、
翌年には長男の幸千代が生まれた。

千姫は幸せの絶頂を迎える。

この時代の千姫の消息を伝えるものは少ない。
だが新妻から御方様へと、千姫は着実に女の道を歩んでいた。

しかし、その幸せも長くは続かなかった。

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