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アンフィニッシュト 54-1

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

「これで、すべてがつながりました」
 引き時を覚った寺島が立ち上がる。
「これから君は、どうするつもりだ」
「堀越一族を告発します。力を貸して下さい」
 三橋のアタッシュケースの中には、資金の出所を示す通帳や、赤城と堀越の会話テープといった証拠品が入っていた。それらは赤城から預かったものに違いない。
「それは歓迎するところだが、そんなことをすれば、君は警察を首になるどころか——」
「命を狙われると仰せですね」
 三橋がうなずく。
「覚悟の上です」
「なぜなんだ。君はどうして、それほどの情熱を注ぐのだ」
 その時、どこかで窓ガラスの割れる音がした。
「三橋さん、逃げて!」
 すぐに事態を察した桜井が三橋の顔を見る。
 七十代とは思えない身のこなしで立ち上がった三橋は、アタッシュケースを抱えると、窓を開けた。
 すると、そこには男が立っており、「そこまでだ」と言いながら、銃口を向けてきた。
 次の瞬間、部屋のドアが開き、サイレンサー付きの拳銃を構えた一人の老人が入ってきた。
 三橋が二人の男を見比べる。
「あんたらは——」
「四十年ぶりだな。中野健作さんよ」
 ドアから入ってきた男が笑う。窓際にいた男も、玄関口を回って入ってきた。
「横山さんに近藤君か。懐かしいメンバーが勢ぞろいだな」
 三橋も相好を崩す。
「あんたたち出ていきなさい!」
 桜井が怒鳴るが、それにひるむ二人ではない。
「うるさい! おっと失礼。静かにしてもらえますか、マダム桜井」
 横山がおどける。
「どうして、ここが分かった」
「俺たちは長年、こんな仕事をやってきたんだ。そこの坊やが、どの飛行機に乗ったか分かれば、ここ以外に行先はないだろう」
 ——しまった。俺もマークされていたのか。
 寺島は唇を嚙んだ。まさか自分がつけられているとは、思いもしなかった。
「三橋さん、すいません」
「もういい。こいつらは、いずれここを突き止めたはずだ」
 近藤が憎々しげに言う。
「あんたは、あの火事で死んだと思っていたんだがな。酔っぱらいを使って糊塗しやがって」
「それで、警察の捜査過程を調べたのだな」
「そうだ。どうやらお前が生きていると分かり、堀越さんからは大目玉さ。でも、ようやくこれで、未完成の仕事を終わらせられる」
 横山にとって、自分の人生にけりをつけるためには、三橋を亡き者にする必要があったのだ。
 ——アンフィニッシュト・ビジネスか。それは三橋さんにとっても同じことだろう。そして、俺にとってもな。
 三橋が言う。
「横山さん、俺もあんたも、片をつけられなかった仕事を残したまま、ここまで来ちまったんだな」
「ああ、そうだよ。だが、どちらかが終わらせても、もう一方は終わらせられない。それがこのゲームの悲しいところさ。どうやら、勝ったのは俺の方だな」
「あんたたちは、それで本当にいいの。その年になっても、政府の走狗(そうく)のままで恥ずかしくないの!」
 桜井が感情をあらわにする。
「そうだ。政府の方針に従うのが警察官の責務だからな」
「それだけではないだろう」
 三橋が苦い笑みを浮かべる。
「その通りさ。俺も近藤も、これが終われば多額の褒賞金を得られる。これで残りの人生は贅沢三昧さ」
 横山が銃で合図すると、近藤が三橋からアタッシュケースを奪った。
「横山さん、どうして堀越なんかに加担したんだ」
 三橋の問いに、「そのことか」と言いながら横山が答える。
「上層部からの特命だったからな」
「笠原警視正か」
 ——あの笠原警視正か。
 寺島もその名は聞いたことがある。だが笠原は五年ほど前に病死している。
「もっと上だよ。俺も最初は迷ったさ。でもほかに道は残されていなかった」
 寺島も、政府内に秘密機関があるという噂を聞いたことがある。普段は普通の警察官だが、特命が下った時だけ、CIAのような動きをする者たちがいるという。
 ——横山たちは警察内部のスリーパーなのだ。
 スリーパーとは、普段は一般人と変わらぬ生活をしながら、どこかから密命が下ると、非法な活動にも従事する者たちのことだ。
「嫌なら警察をやめればよかったのよ」
 桜井が非難したが、横山は苦笑いを浮かべた。
「誰だって脛に一つぐらい傷はある。そこを突かれて、金をちらつかせられれば、人は弱いものさ」
 横山と違って近藤は強弁した。
「俺たちは俺たちの正義を貫いたんだ。今の日本の安全保障を陰で担ってきたのは、俺たちなんだ」
「それがあんたの正義ってわけか」
「ああ、一点の曇りもない正義さ」
「俺を殺すことで、それが完結するってわけか」
「横山さん、そろそろこいつらを連れていきましょう」
 どうやら二人は、三橋を殺す場所をすでに物色しているらしい。
「そうだな。縛り上げろ」
 近藤は三人の背後に回ると、その腕を背に回し、手際よく縛り上げた。
 寺島は隙を見て反撃の機会をうかがっていたが、横山の銃口が桜井に向けられているため、手が出せない。
「さて、行こうぜ」
 横山と近藤が三人を促す。
 ——これで俺も終わりか。
 寺島は目の前に迫る危機よりも、四十数年にわたる事件の真相が闇に葬られる口惜しさで、胸が締め付けられる思いだった。
 やがて五人は、懐中電灯を持った近藤の先導で、かつてダンスホールとして使っていたらしい廃屋に入った。そこは、外からでもホールが見えるようにガラス張りになっている。だが、今はカーテンが閉められているので、外を人が歩いていても気づかれることはない。
「何か言い残すことはあるか」
 三人を奥のカウンターの前に立たせると、近藤が懐中電灯をカウンターの上に置いた。
「殺すのは俺だけでいいはずだ。証拠を持っていってしまえば、桜井もこの若者も無力ではないか」
 三橋が冷静な口調で言う。
「駄目だな。こいつらはすべてを知っている。後々、何かと面倒だ」
 横山と近藤が安全装置を外す。
「お前らは錘(おもり)を付けられて沖縄の海に沈む。後は魚に任せるだけだ」
 横山の笑い声がダンスホールの天井に響く。
 ——遂に終わりか。
 寺島は大きく息を吸い込むと、最後だけは堂々と死のうと思った。
「やるなら早くやれ!」
「随分と威勢がいいな。よし、お前からやってやる」
 その時、横山と近藤の背後のガラスが、わずかに振動した。
「ん、なんだ——」
 横山と近藤が振り向いた次の瞬間、耳をつんざくばかりのガラスの割れ音が響き、車が突っ込んできた。
「うわー!」
 車は、横山と近藤を跳ね飛ばして停車する。
 寺島が反射的にカウンターの陰に逃げ込むと、三橋が桜井を庇うように倒れ込んでいるのが見えた。
 ——いったい何が起きたんだ!
 三人が啞然としていると、中から男が現れた。
「ふう、何とか間に合ったな」
「の、野崎さん!」
 車から姿を現したのは野崎だった。
「どうして、ここに——」
 寺島は、ようやく言葉を絞り出した。
「話は後だ」と言いつつ、横山と近藤の銃を遠くに蹴った野崎は、寺島の縄を解いた。続いてその縄を使い、気を失っている横山の腕を背後に回して縄を掛けた。それを見た寺島も、うめいている近藤を縛り上げる。
「誰か、携帯を持っていたら救急車を呼んでくれるかな」
 そう言うと野崎は、胸ポケットから煙草取り出して三橋に勧めた。その傍らでは、桜井がスマホをダイヤルしている。
「助かったよ。どうやら、あんたは坊やを追ってきたらしいな」
 煙草を受け取った三橋は、野崎が手をかざしたライターに顔を近づけて火をつけた。暗闇に光が点滅すると、すぐに紫煙が漂った。
「まあ、そういうことになるかな」
 野崎も自分の煙草に火をつける。
「野崎さん、ありがとうございます」
「寺島、俺をなめるなよ。あの様子を見れば、お前が何かを摑んだことぐらい分かる。それで島田さんと相談し、あえて泳がせて跡をつけたのさ」
「そういうことでしたか」
 寺島は自分の迂闊さが、逆に功を奏したことを知った。
「だが、相手が二人だったので危なかった。こっちは俺一人だ。下手に踏み込めば、誰か一人は撃たれる。そうしないためには、慎重に対処するしかなかったんだ」
「これが慎重だと言うんですか」
「ああ、俺にしては慎重さ」
 野崎が高笑いする。
 遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。
「寺島、もう少し警察を続けてみないか」
「えっ」
「いろいろ考えるところはあるだろうが、お前は過去に決着をつけた。もう、すべては終わったんだ」
「知っていたんですね」
「俺を甘く見るなと言っただろう」
 野崎は眼鏡を外すと、神経質そうに拭いた。
「それでたどり着いたと——」
「ああ、そうだ」
「確かに、もう警察をやめる理由はなくなりました」

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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