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400年の歴史との対話 日本の城の魅力を語る 【歴史奉行通信】第四十一号

こんばんは。


いよいよGWですね。
皆様は何をして
お過ごしになりますか。


私は正月同様、
執筆三昧です。
取材などでの遠出も
一切なしです。


それでは令和初の伊東潤メールマガジン
「歴史奉行通信」第四十一号を
お届けいたします。


今回は、
お城めぐりにはベストな季節なので、
かつて磯田道史氏と行った
「お城対談」を再掲載します。


〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓


1. <対談>城は雄弁なり 
400年前との対話

2. <対談>滅亡の危機だった
徳川家康の一家

3. <対談>城をもつ日本人の
誇りと自信

4. 「傾聴する」という姿勢

5. 伊東潤Q&Aコーナー&感想のお願い

6.お知らせ奉行通信
新刊情報 / 読書会 / その他


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*400年の歴史との対話 
日本の城の魅力を語る
(月刊「潮」2014年1月号掲載)


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1. <対談>城は雄弁なり 
400年前との対話

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【伊東】
作家の道へ進む転機となったのは、
42歳のときに、家族で
箱根西麓の山中城を訪れたことなんです。
城の説明板をみて、
大変な激戦があったと知ったのですが、
歴史小説を数多く読んできた私でも、
山中城の激戦について書かれた作品は
記憶にありませんでした。
そこで
「この戦いの記録を残さねばならない」
という使命感に駆られ、
地域史家のように調べ始めたのが
きっかけです。


【磯田】
私も伊東さんと同じく、
歴史に興味をもつきっかけは
お城でした。
以前、故郷に帰ったとき、
隣に住んでいるおばさんから
大きな封筒を手渡されたのですが、
そのなかから、
私が小さいころにおばさんの家に
上がりこんで描き続けた
お城の設計図の数々が出てきたのです。

あまり覚えていないのですが、
小学校に上がったばかりのころ、
姫路城や岡山城の建築断面図を
私は一生懸命描いていたようです。
「磯田君はお城の本を
私の家にもってきて、
シルエットを見ただけで
どのお城か全部言えた」と、
そのおばさんに言われました(笑)。


【伊東】 
それはまた、
ずいぶんと熱心な子ども時代でしたね。
なぜ設計図を描き続けたのでしょう。


【磯田】 
恐らく「こんな城を造った昔の人はすごい」
という畏敬の気持ちから
興味をもったのだと思います。
実際、現代人が造ったビルより
高くそびえる建物は、
古墳や城しかありません。
ブルドーザーや機械がない時代に、
人間の手によって築かれた
石垣や天守閣を見ると
「私たちが今見ている世界は
実は幻であって、歴史をたどると
もっとすごい世界が広がっていた
のではないか」
と感じさせます。
因みに、
家系図や古文書を調べていくと、
私の家系には姫路城の作事や
普請方(建築や修理の職人)が
大勢いることもわかりました。


【伊東】 
400年の歳月を隔てている
にもかかわらず、
なお人の意思が感じられる。
そこが城の一番の魅力です。
なぜ、ここに堀切(尾根を切った堀)や
馬出(城の出入口を守る小曲輪)、
または土塁を築く必要があったのか。
そうした戦術的意図が、
遺構を見るだけで分かってくる。
つまり遺構を通して、
400年前の人間と対話できるのが
城の魅力ですね。


【磯田】 
城は雄弁です。
子どものころには
城から読み取れなかった情報が、
大きくなるにつれて
だんだん読み取れるようになっていく。
石垣ひとつとっても、
野面積み、切りこみ接ぎ、
打ちこみ接ぎなど
さまざまな種類があります。

素早く石垣を築かなければいけない
戦国時代には、
急いで集めた徴発労働力によって
あわてて石を野面積みにしました。
徳川家光の寛永時代にもなると、
カミソリの歯も入らないくらい
きちんと石を削り、
ピタッと合った石垣が造られます。
まさに役所の仕事です。
石垣を見るだけで、
当時の労働環境が見えてきます。

なぜ石垣は、
50mや100m続いたところで
折れ曲がっているのか。
武器の有効射程距離に
合わせているわけです。


【伊東】 
弓矢や鉄砲玉が
届かないところから、
敵に反撃できるように
しているのですよね。


【磯田】 
当時の人がもっていた
武器の射程距離によって、
城の形や濠の幅が変わるのです。
我々のような城マニアになると、
城をパッと見ただけで
武器の装備状況まで読み取れる
楽しみがあります。

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2. <対談>滅亡の危機だった
徳川家康の一家

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【伊東】 
私はこれまで、関東を中心に
600近くの中世城郭遺構を回ってきましたが、
城めぐりをしていて
作品の構想が浮かんだケースも
いくつかあります。
『城を噛ませた男』のなかの一篇
「見えすぎた物見」も、その一つです。
これは唐沢山城の佐野氏を
主人公に据えたものですが、
上杉氏と北条氏という
強大勢力に挟まれた佐野氏は、
常にどちらかの傘下に入らないと
生き残れません。
長い物には巻かれろというわけです。

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