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アンフィニッシュト 52-1

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

「おそらく政府筋から、何らかの指示があったのではないかと——」
「政府の要人がハイジャックを見逃すように、横山さんに指示したというのか」
「見逃すように指示したのではありません。やらせたのです」
「何だって」
 琢磨には、咲江の言っていることの意味が分からない。
「ハイジャックを発案したのが誰か、覚えていますか」
「赤城か」
「そうです。その要人は統学連の赤城を操り、学生運動を過激化させていったのです」
 琢磨の脳裏に、かつてアジトで赤城の通帳を盗み見た時の記憶がよみがえる。そこに記されていたのは、四千万円余という途方もない額だった。
「でも、いったい何のために」
「日米の安保体制を堅固なものとし、さらに国軍の創設へと向かうためです」
「何だって——。つまりハイジャックも、そのためにやらせたのか」
 咲江がうなずく。
「いったい、どういうことだ」
「北朝鮮の脅威を国民に知らしめ、防衛庁の予算を増額する。そして悲願の国軍創設へと向かうためです。その中には核計画も——」
「いったい、それを企んでいたのは誰だ」
「それは——」
 その時、咲江の視線が何かに吸い寄せられた。
 琢磨が振り向くと、喫茶店の外に近藤らがいる。
「なんてこった。つけられていたのか!」
「いいえ。見張られていたのは私です。あなたが、いずれ私の居場所を探り当てると見越していたに違いありません。おそらく若手が私を張っていて、ここに入ったことを近藤君に告げたんだわ。それで近藤君が駆け付けてきたと——」
 近藤と視線が合う。
「逃げて!」
「君はどうする」
「私は、世間話しかしなかったと言うから心配は要りません。とにかく逃げて」
 二人の部下を連れた近藤が、喫茶店に入ってくる。
 それを見た琢磨が奥へ向かって走り出すと、近藤たちが血相を変えて追ってきた。
 琢磨は厨房に入ると、裏口を探した。
 ウエイトレスの悲鳴が、コックの「お客さん、困ります!」という声と交錯する。
 それらを無視して琢磨は、裏口から外に飛び出した。
 幸いにして裏通りは暗くて人影がない。琢磨は暗がりの中を疾走した。

 ——何かがおかしい。
 寺島は不穏な空気を感じ取っていた。
 これまで放火事件として扱われていたものが、何の証拠も出ていないのに、失火とされて捜査本部が解散になるなど、政治的圧力が掛かったとしか思えない。
 ——となれば、三橋さんの資料は闇から闇へと葬られる。
 三橋琢磨は、一九七〇年に起きたさど号ハイジャック事件の真相解明の一歩手前まで行っていたが、赤城を操って学生運動を激化させ、さらにハイジャックまで実行させた黒幕にまでは、たどり着けずにいた。
 それでも最近になって決定的証拠を摑み、堀越利三郎にたどり着いた。当時の雄志院大学の理事長が、利三郎の弟の堀越泰造だったというのが、鍵になっていたのかもしれない。
 すでに二人とも故人となっていたが、利三郎の息子の栄次郎によって、日本の保守政治は堅固なものとなり、今でも声高に中国や北朝鮮の脅威を唱えることで、国防予算の増額を達成している。
 ——彼らの目指すものが国軍の創設か。
 それは現政権の方針とも一致しており、さほど遠くない未来、栄次郎に総理大臣の椅子が回ってきた時、父の代からの悲願を実現させようとするのは明らかだった。
 ——だが三橋の手記には、どうやって堀越にたどり着いたかまでは記されていなかった。
 それを知っているのは赤城しかいない。
 三橋は赤城に接近し、その秘密を聞き出したに違いない。だが、どうして赤城はそんな重大なことを話したのか。
 それが事実なら、二人ともただでは済まされないはずだ。
 ——三橋さんは、警察とは別の機関から追われていたのだ。その機関は、おそらく警察上層部ともつながっている。つまり警察に助けを求めても、逆に捕まる恐れもあった。だから身を隠すしかなかったのだ。
 三橋琢磨は、それから四十年近くの歳月を逃げ回っていたことになる。
 ——いや、決定的な証拠を摑むべく、必死に這い回っていたのだ。だがそれは、三橋さんの存在を堀越側に再び思い出させることになり、刺客が派遣された。刺客は簡宿に出入りしていてもおかしくない姿形と年齢で、しかも防犯カメラの位置など警察の情報をに通じている者だ。
推理は一点にたどり着いた。
——横山か。
横山なら八十歳近い年齢なので、簡宿周辺の風景に溶け込むことができる。もしかしたら近藤も手を貸していたかもしれない。
事件の全貌が、おぼろげながら見えてきた。
寺島が個人として赤城に会いたいと電話で告げると、赤城はすんなり了承してくれた。
寺島は偽名で保管庫を借りると、そこにアタッシュケースを預け、赤城の許に向かった。
刑事課長の島田には長期休暇の申請書類を郵送したが、もはや警察をやめても構わないと、寺島は思っていた。

「ここに再び来たということは、君はたどり着いたのだな」
 人払いして二人きりになったのを確かめてから、赤城は言った。
「はい。少し手間取りましたが何とか——」
 寺島が、三橋の手記に書かれていたことの要点を語る。
「そうか。奴は、すべてを書き残していたということか」
「そういうことになります」
「壮大な陰謀だろう」
 赤城が「どうだ」と言わんばかりに笑みを浮かべる。
「実のところ驚かされました」
「私たちは堀越家に大恩があった。だから彼らの意のままに動かねばならなかった」
 赤城が「私たち」と言ったのを、寺島は聞き逃さなかった。
「あなたと妹さんですね」
「ああ、そうだ。われわれ二人は、堀越さんの命令で学生闘士を演じていた」
 赤城が遠い目をする。
赤城によると、ハイジャッカーたちが北朝鮮に去り、委員長をはじめとした幹部たちも次々と逮捕された後、赤城は赤軍派を牛耳り、彼らをさらに過激化させて自滅に追い込んだという。
赤城の扇動によって、最終的にはリンチ殺人や武装蜂起にまで発展していった学生運動は、大衆や一般学生からも見放され、衰退の一途をたどることになる。
「赤軍派や学生運動は、もう用済みの存在だったからな。堀越さんは、俺に広げた風呂敷を畳むよう命じてきた。だから俺は畳んだだけさ。まあ、奴らの残党が、山岳ベースでのリンチ殺人や、テルアビブ空港での乱射事件まで起こすとは思わなかったがね。それほど洗脳が進んでいるとは、俺も思わなかったよ」
 赤城がため息をつく。
「それであなたは、学生運動を衰退させた褒美として、巨額の褒賞金を得て宗教団体を立ち上げたわけですね」
「ああ、そうだよ。それは堀越さんと、最初に約束したことだ。新興宗教の教祖なら税金もかからず、事業が左前になることもない。身を隠すのにもちょうどよい。しかし信者が三十万人にもなるとは思わなかった。日本人は他人に救いを求めすぎる。それを思えば、あの頃の学生たちは、自らの手でベトナム戦争をやめさせようとしていた。今、考えると、実に立派なことだ」
 赤城が残念そうに言う。
「四十年以上も道化を演じた末に、どうして今になって、三橋さんにすべてを打ち明けたのですか」
「道化、か」と言って自嘲した後、赤城は続けた。
「俺の人生は俺のものではなかった。それを取り戻そうとしただけさ」
「それで贖罪したつもりですか」
「分かったよ。本音を言おう」
 そう前置きすると、赤城の顔が真剣みを帯びた。
「堀越栄次郎というのは大馬鹿者さ。俺はガキの頃から知っているが、奴は北朝鮮を支配しているカリアゲ野郎と何ら変わらない。こんなご時世だから、自衛隊予算を増やすことまでは仕方ないとしても、国防軍を組織し、共謀罪を法制化して国民を監視し、さらにその先、核武装まで視野に入れている」
「まさか——」
「本当さ。もう機関車は止められない。奴に『俺をなめるな。長年にわたって、お前ら親子が何を考え、何をしてきたか、その証拠を握っているんだぞ』と脅かしたところ、怒り狂って『破滅させてやる』と息巻いたのさ。おそらくこの教団は、あることないことでっち上げられてつぶされる。俺も破防法とやらで起訴され、刑務所から一生、出られまい。そんな時、たまたま中野、いや三橋が現れたのさ。まさか生きているとは思わなかったが、その時、奴が公安だったと知った。もちろん驚いたさ。俺をそこまで騙し通せた奴はいない。逆に考えれば、いかに堀越でも、末端の潜入捜査官のことまでは関知していなかったというわけだ。それが災い転じて福となったわけだ」
赤城が愉快そうに笑う。
「それで証拠をすべて彼に託したのさ」
 話し終わると、赤城は天を仰いだ。
「これから、あなたはどうするのです」
「始末をつけるさ」
「それは、どういう意味です」
「もう生きるのはたくさんだ。俺は俺の手で、この借り物の人生に始末をつける」

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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