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森鷗外論:日本文学史序説(加藤周一)から

近代小説に関心があるのだけれども、どの作家、どの本を読んでいいのか迷うことがある。一日24時間、本が好きといっても限られた時間で何を読むべきか。(読みたい、というよりも読むべきか)

そんな時に重宝しているのが、加藤周一著の「日本文学史序説」
これだけコンパクトにエッセンスを凝縮できるのは、膨大な知識の裏付けがなければできない。名著。

森鷗外について論ずる本は多くあるが、このような文学史に紹介される鷗外論こそ、コンパクトにエッセンスが纏まっているのではないかと思う。
日本文学史序説では鷗外の文学的貢献を5つの面に別けて考えており、参考になる。

第一:翻訳と西洋文学が与えた影響

もし鷗外訳の「即興詩人」がなかったら、何人かの小説家は小説家にならなかったかもしれない。

日本文学史序説(下)

第二:扱った同時代の人物の種類の豊富と主題の多様性

医者(「麻酔」)、詩人(「青年」)、役人(「食堂」)、妾(「雁」)、犬儒的な富豪(「百物語」)、貴族の青年(「かのように」)、芸術家(「花子」)など、

日本文学史序説(下)

主題は青年の恋愛(「舞姫」、「雁」)から性的経験の記述(「ヰタ・セクスアリス」)に到り、嫁と姑のさや当て(「半日」)から芸術家の創作活動(「花子」)に及び、社会批判(「沈黙の塔」)から自伝的な哲学的回想(「妄想」)までを含む。

日本文学史序説(下)

漱石が心理小説の完成度において群を抜くとすれば、鷗外は小説的題材の多様性において日本の近代文学を代表するだろう。

日本文学序説(下)

第三:抒情詩における功績

与謝野鉄幹・晶子を中心として雑誌「明星」に集まった歌人たちに彼が与えた支持と、木下杢太郎らが創刊した雑誌「スバル」や、同じく「三田文学」に拠った若い詩人たちに及ぼした強い影響だろう。

日本文学序説(下)

第四:日本語の散文のひとつの文体の完成

漢文と欧文との表現の特徴を微妙に織り合わせた基礎の上に、口語体の散文を高度に洗練して成ったものである。その完成の時期は、およそ、彼が歴史小説を書きはじめた時期と一致する。

日本文学序説(下)

その文体の直接の影響がもっとも明瞭なのは、木下杢太郎と永井荷風の場合である。その文体の評価において鋭く、したがって何らかの微妙なし方での影響も想像できる作家は、石川淳と中野重治である。

日本文学序説(下)

第五:晩年に作った徳川時代の学者の伝記

「渋江抽斎」、「伊沢蘭軒」、「北条霞亭」の三作は、その形式がおそらく古今東西に例の少ない独特なものである。すなわち一方では、伝記作者の資料探索の過程を叙述し、他方では、当該人物の伝記とその周辺を広く描いて、その二つのすじをない交ぜ、交錯させる。
一方は伝記を書く人の現在であり、他方は書かれる人の住んだ過去の世界に係るから、現在と過去とを直接に重ね合わせる形式であるともいえるだろう。読者は伝記を造る行為のなかへひきこまれると同時に、過去の人物の生活と行動の世界へ招待される。

日本文学序説(下)

鷗外は歴史小説から次第に伝記に移った。その理由は、小説のための資料を集めているうちに、事実を尊重する念を生じたからであるとみずからいう。

日本文学史序説(下)

しかしそれだけが理由ではなかったろう。
おそらく伝統文化を、そのなかで生きた人物を通じて、確かめてみたかったにちがいない。

日本文学序説(下)

彼が抽斎、蘭軒、霞亭を択んだのは、そこにあり得たかもしれないもう一人の自己を見たからである。

日本文学序説(下)


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