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不世出のレジェンド・内村航平の素顔 ①

東京オリンピック開催の賛否は別として、この日のために頑張って来たアスリートに対しては、誰もが応援したいと思っているのではないでしょうか。

特に4度目のオリンピックとなる内村航平選手は、もっともっと讃えられるべき人だと思います。日本だけでなく世界の体操界において、こんな凄い人はもう2度と現れないでしょう。そこで、私だけが知っている内村選手の素顔をお話ししようと思い立ちました。

全く体操を知らなかった放送作家の私が、なんとか体操のドキュメンタリー番組を作れないかと奔走し、ようやく番組が作れることになったとき、間近で何十回も内村選手を見て来ました。 あまりにも強すぎて "宇宙人" とまで言われた彼が、なぜこんなに強いのか?  その秘密と素顔に少しでも迫れたらと思います。


内村選手との初めての出会い

初めて内村選手に会ったのは、ロンドンオリンピックが間近に迫った2012年の春だった。
当時、オリンピック日本選手団のチームドクターをしていた小松先生から、「今度、内村君たちとメシに行くんだけど、そのあとに行く店、知らない?」と相談され、都内の個室があるワインバーをセッティングした。すると、「そうだ、黒田さんも来ちゃいなよ」と誘われたのが、そもそものきっかけだった。
そのころの内村選手は、すでに世界選手権3連覇の絶対王者であり、ロンドンでも金メダル最有力候補の1人だった。

ふてぶてしいドヤ顔(失礼!!)と、かったるそうに答えるインタビューを何度もテレビで見ていたので、無愛想で人見知りが激しいタイプだろうと想像した。
「なんで部外者の知らない女の人がいるんですか? しかもオバさんだし」
絶対、そう思われるよなぁ。場違いだったら早目に帰ろう。          当日、店で彼らを待ちながら、私はだんだん不安になってきた。さらに私を不安にさせたのは、私の体操に対する知識が、付け焼き刃だったからだ。

一応私も放送作家なので、有名人に会うときは、ある程度下調べをする。
しかし、Dスコア(技の難度)とか Eスコア(技の完成度)とか、もうどっちがどっちなのかよくわからなかったし、技の名前もさっぱり覚えられなかった。体操はオリンピックのニュース映像でしか見たことがなく、オリンピックに行ける日本代表の人数すら、このときまで知らなかった。
そんなヤツが図々しくも、同席していいのか?   でも、会ってみたい……。
そんなことを思いながら、彼らを待っていた。

ほぼ約束の時間にやって来た内村選手を見て真っ先に思ったのは、      「わっ!  可愛いい!!」だった。
まだ23歳で、頬がふっくらとしていた内村選手は、白いTシャツに薄カーキ色のワークキャップが、とても似合っていたのだ。テレビでは、筋肉ムキムキのユニフォーム姿しか見たことがなかったので、私服だとこんな感じなんだぁという新鮮な感動もあった。

しかも、この日のメンバーは内村選手のほかに、 世界選手権東京大会(2011年)個人総合銅メダリストで内村選手の大親友・山室光史選手や、体操日本選手団のコーチで彼らが所属しているコナミスポーツ体操競技部の監督でもある加藤裕之氏、同じく日本選手団とコナミのコーチで、内村選手が鉄棒やつり輪につかまるときにサポートする姿でもお馴染みの森泉貴博氏とオール・ジャパンチームなのだ。


やっちまったな、私

私はこの場を盛り上げようと、その日に京都で買って来た中村軒の「麦手餅(むぎてもち)」という柔らかい餅に粒あんが挟まった和菓子を差し出した。
「これ、結構、入手困難なんですよ。日持ちしないので早目に食べて下さい」
私の言葉に彼らは、「美味しい、美味しい」と言って食べてくれた。
今、思うと冷や汗ものだ。
内村選手 = ブラックサンダー =  甘いものが好き= 和菓子も好き。 私の中では、完全にこの図式が成り立っていたのだが、チョコレート好きが、あんこ好きとは限らない。本当は、あんこが大嫌いだったかもしれないのだ。

しかも、初めて会う人がお土産をその場で開け、日持ちしないと言われたら、何が何でも食べるしかなかっただろう。さすが、体育会の中の体育会、礼儀正しい人たちだ。内村選手は人見知りの激しい、ぶっきら棒な人という私の想像は初っ端から崩れ去った。凄く感じがいいし、よく笑う人なのだ。
こんな感じで始まった会をさらに盛り上げてくれたのは、ひょうきんな山室選手だった。

※山室選手のお茶目な人柄がわかるエピソード、内村選手のドーピング検査 おもしろ話は次回につづく。

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