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不世出のレジェンド・内村航平の素顔④

【団体金にこだわる理由】

アテネ五輪で、28年ぶりに団体金メダルを奪取した日本。
しかし、その4年後、内村選手が日本代表として初めて出場した北京五輪では、中国に7点以上の大差をつけられる屈辱を味わい銀メダルに終わった。
その後も、世界選手権では何度も「個人総合金メダル」を獲得していたが、「団体金」は、一度も手にすることができなかった。


私は、内村選手がことあるごとに「目標は団体金」と言うのは、てっきり個人総合では何度も金メダルを獲ったので、まだ手にしていない団体での金メダルが欲しいのだとばかり思っていた。しかし、そうではなかった。

体操は、個人競技のように思われるが、実は団体競技という意識が非常に強い。
彼らは、中学、高校時代から競技会で何度も顔を合わせ、技を競い合うライバルだが、お互いを下の名前で呼び合い、プライベートでも一緒に出かけるほど仲が良い。内村選手は周りからは「コウヘー」、後輩からは「コウヘーさん」と呼ばれている。

実は吉田沙保里選手がいたため 、オリンピックに行けないまま引退した"最強の2位"と言われた松川知華子選手のドキュメンタリー番組を作ったことがある。 2019年に「ジャンクSPORTS」(フジTV)で取り上げられていたが、私はその7年前、松川選手が引退した直後に「どうしても撮らせて欲しい!!」と飛び込みで直談判して実現した私の企画だ。

その時、松川選手はライバルである吉田選手とは口もきかなかったという話を聞いた。試合に限らず、ランニングや些細なことでも吉田選手に勝つようにしていたと。常に相手に対する闘志をムキだしにし、自分を奮い立たせていたのだ。

それに比べ、採点競技の体操は自分との戦いになる。だから、ライバルに対して、そこまでの感情は持たないのかもしれない。しかし、ギリギリの状態だったら、相手がミスしてくれたら?と思うことはないのだろうか

まさにロンドン五輪の代表選考会で、わずかに点数が足りず、補欠にまわった鉄棒の名手・植松鉱治選手に取材外で聞いた。すると彼は、

「そうは思いませんよ。相手より上の点数を出せばいいだけのことで、自分の努力が足りなかっただけなんで」と答えた。


この模範回答を聞いたとき、「うっそだー」と心の中で思った。何パーセントかは、邪悪な心が顔を出すんじゃないかと思ったのだ。

しかし彼らは、悔しいという感情はあっても、本当に相手の健闘を称え合う。
これには、昔から世界の体操界をリードして来た日本人の心みたいなものを感じる。だから、相手のミスに手を叩いて喜んだり、ヤジが飛んだりする様子を見たことがない。ほんの一部の中国人をのぞいては。


「個人の優勝は1人の喜びだけれど、団体はみんなで勝った喜びを分かち合える。だから、団体金 ! 」
辛い練習をともにしてきた仲間たちと、心から喜びを分かち合えたら、どんなにいいだろう。内村選手はそう考えていた。だからこそ、団体金にこだわり続けていたのだ。


【慣れない器具への不安】

2012年7月12日、午前11時10分 成田発の飛行機で、男子体操選手団はフランス北部のアルクへと旅立った。ロンドン五輪団体予選日よりも17日も早い旅立ちだ。これには時差ボケによる体調の調整と、ロンドン五輪で使われるフランス製の器具に慣れるための最終合宿を行う目的があった。
もちろん、日本のトレセンでも、フランス製の器具を取り入れて練習をしていたのだが、さらに器具に慣れるためにも、体調を万全にするためにも、早目に日本を発った男子体操選手団。それだけ金メダルに対する期待も大きかったということだ。

ロンドン五輪で使われるフランス製の器具は、日本で使っている日本製のものに比べ、ゆかは硬く、あん馬は滑りやすい。平行棒や鉄棒などのバーのしなりも少ない。


内村選手は、使い慣れない器具に手こずっていた。
「鉄棒は勢いよく車輪を回しても、バーがしなってくれない」
「勢いとか力の入れ具合を変えないと、うまく出来ない」というのだ。

つまり、勢い良くジャンプしたり車輪を回さなければならないので、いつもより体力や筋力を必要とするのだ。


【いよいよロンドンの選手村へ】


フランス合宿を終えた日本選手団は18日、ユーロスターでパリからロンドンに移動。いよいよロンドン中心部より北東のストラットフォード国際駅付近にある選手村に入った。新しくできた国際駅から少し歩いたところにある選手村は、高いフェンスに囲まれ、入口でのセキュリティチェックも厳しい。もちろんIDカードなしでは、中に入ることはできない。

そんな厳戒態勢の入口付近とは違い、選手村の中は街路樹が植えられ、公園の芝や花壇の草木も青々と繁り、籐の椅子やパラソルやベンチが置かれ、お洒落な街並といった具合だ。日本選手団が入っている建物は、入口からかなり奥まったところにあり、窓からは日の丸の国旗が下げられていた。

しかし、万全の体勢で臨んだロンドン五輪で、内村選手は大ピンチに陥る。

※あの大ピンチで内村選手は何を考えていたのか?  私が個人的に聞いた、たぶん、どこにも出ていない話は、次回へつづく。


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