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不世出のレジェンド・内村航平の素顔③

ドキュメンタリー番組の取材を通して私が常に考えていたのは、内村選手はなぜ、こんなに強い選手になれたのか? でした。それを知るには、内村選手が「個人総合金メダル」より「団体金」にこだわる理由を知る必要がありました。

前回のリオデジャネイロ五輪では、悲願の団体金メダルを獲得した内村選手ですが、そこまでの道のりはとても長かったのです。

トレセンでのマスコミ公開練習

初めての出会いから数週間後の6月下旬、私は内村選手の演技を生まれて初めて間近で見る機会を得た。                           「味の素ナショナルトレーニングセンター」で行われたマスコミ公開練習だ。

北区の西が丘サッカー場の隣にある「味の素ナショナルトレーニングンター(NTC)」通称トレセンは、日本オリンピック委員会(JOC)が運用している施設で、様々な競技の練習や合宿が行われている。
サッカー場よりも大きい、グレーを基調とした窓が少ない長方形の建物は、映画に出てくる軍事司令部の外観に使われそうな威圧感たっぷりの建物だ。
中に入るには申請が必要で、各競技の専用練習場の扉にもロックがかかっている。
これもすべて、選手の状態が外部に漏れないようにするためなのだ。

また、併設されている国立スポーツ科学センターは、トレーニングに生かすための選手のデータを採る最新の器材が揃っていて、医学の面から選手をサポートするドクターが常駐している。
さらにアスリートヴィレッジ棟には、ビジネスホテルのようなシングルやツインベッドの個室があり、大浴場の「勝湯(かちのゆ)」、自分で栄養やカロリーを考えながらメニューを選べる大食堂もある。

このトレセンで、ロンドン五輪・日本代表メンバー全員が勢揃いした公開練習が行われた。マスコミ公開練習というのは、各テレビ局、新聞社、雑誌社などが取材できる公の場だ。
天井が高くて広い体操用の体育館も、この日ばかりは何十人もの人で溢れ、ざわざわしていた。

そんな中でも、内村選手は1人で黙々と、まるで本番のようにゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒と6種目を「1本通し」で練習していた。

体操の練習で、1つの種目を通しでやることは、ほとんどない。        1つの種目をいくつかのパートに分けて練習し、休んではまた同じ練習を繰り返す。
通しで演じると莫大なエネルギーを要し、怪我をするリスクがあるからだ
だから試合と同じく6種目連続の演技は、普通は大会直前でしかやらない
しかし内村選手は、こうした姿を見せることで、チームメイトたちを鼓舞していたのだ。
社会人1年目の選手が、ゆかの練習をする度に、四つん這いになってぜいぜいと息をしているところを何度も見たことがある。
内村選手は平然とやってのけるので、その大変さがわかりにくいが、実は私たちが想像する以上に体操は激しいスポーツなのだ。


オリンピックの目標は団体金メダル

公開練習が終わると、今度はスポンサー名が書かれた屏風の前でインタビューが行われる。テレビ局のアナウンサーが代表で選手たちに質問をするのだが、質問は金メダルの期待がかかる内村選手に集中した。

「プレッシャーはありません。むしろ励みになります」
「俺がチームを引っ張ります。だから俺について来て欲しいです」

 
内村選手は明快に答える。そしてインタビューで必ず言う言葉があった。
「目標は、団体金」

当時、体操のことをよく知らなかった私には、その意味がよくわからなかった。 なぜ、個人総合金メダルではなく、団体金にこだわるのか?
それは、内村選手が高校1年生のときに見たアテネ五輪にさかのぼる。

最終種目の鉄棒を残し、1位ルーマニア、2位 日本、3位アメリカ 。この3チームの点差は、わずか0.125点。着地が少し乱れただけで、この点差は一気に逆転する。

そんな大接戦の中、日本の最終演技者である冨田洋之選手が、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だー!!」というアナウンサーの実況とともにピタリと着地を止め、28年ぶりに日本に金メダルをもたらしたあのアテネ五輪だ。

当時、高校1年生だった内村選手は、あのときの情景が目に焼き付いているのだという。しかし……、


※試練の連続だった内村選手の初オリンピック話、そして「団体金」にこだわる理由は、次回につづく。

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