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気ままにオルガン作品紹介(1)ジャン・アラン「3つの舞踏」より「闘い」

マイナーなオルガン作品

パイプオルガンを演奏していると、オルガン作品が一般的にはマイナーであることをつい忘れてしまうことがある。オルガニスト同士がレパートリーについて会話していたら、日本でその内容を理解できる人(オルガン弾きではない人)は相当な音楽オタクであるに違いない。というくらい、知られている作品が少なすぎる。しかし、実際に生で作品を聴いてもらうと、かなり反応がよいことの方が多い。という訳で、宣伝・啓蒙活動の一環として気ままにオルガン作品紹介の第一弾。もちろん素敵でマイナーな作品ばかりである。(のつもりである)

ジャン・アラン

ジャン・アラン(1911-1940)はフランスの音楽一家に生まれた。お父さんはオルガニスト、作曲家、オルガンビルダーで、末の妹は数年前に亡くなった有名なオルガニスト、マリー=クレール・アランだ。ジャン・アランは父親同様オルガニスト、作曲家としての才能を若くして開花させた。彼の有名な作品に、妹のアルプス山中での遭難(死)を痛んで彼女に捧げられた「リタニー〈連祷〉(1937)」があるが、「リタニー」はパリのサン=トリニテにて、メシアンの作品との組み合わせで(「昇天」だったか?この辺りはあやふやである)初演されたというので、当時のパリで、アランが一定の評価を得ていたことがうかがえる。

「3つの舞踏」

「3つの舞踏」は「喜び」「喪」「闘い」の3曲から成る。「リタニー」とほぼ同時期に作曲され始め、2曲目の「喪」は「リタニー」同様、亡き妹に捧げられている。フランスらしい、そして少しメシアンを思わせる旋法がよく使用されるが、アランの作品は独特のエネルギーを放つ小気味の良いリズムがとても印象的だ。特に3曲めの「闘い」にはそれが強く現れる。しかし彼が1938年より実際に従軍して第二次世界大戦の戦地にいたことを考えると、この音楽の持つ重みは増す。クライマックスに差し掛かるところでは、「暴力的に」という表記さえある。1940年に完成したこの第3曲目を、アランは最後まで自分で演奏を聴くことはなく、1940年6月に彼は戦死した。


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