Choice of regret〜後悔を選択するゲーム〜3

土鍋に白菜と豚バラ肉を敷き詰め終える頃、理(おさむ)が目覚めた。
おはよう…とベッドの上の布団の塊がモソモソと言う。理はほぼ無音で眠る上に寝相も良いのだが 、寝起きの悪さだけが唯一の難点だ。
少しずつ日が短くなってきていて部屋の中はもう薄暗いのと理を強制的に起こすために部屋の明かりを全開で点ける。
すると毎回んー!っとまるで陽の光に苦しむバンパイアのように理が唸るのだ。何度聞いても飽きる事なく爆笑できる。
「そろそろご飯にするから起きて」と私が言うと、「うん」と答えてやっとのっそりのっそりと起き出した。
女の子らしからぬモノトーンで統一された殺風景気味の私の部屋で、これ美味いよねー!と嬉しそうに鍋を突っついている時の理は普通の20歳の男の子だ。特に笑顔の表情の端にほんの少し無邪気な少年の面影が出る所が奈々は好きだ。話す事はいつもそんなに変わり映えせず、学校の他愛ない話や理の家庭教師のアルバイトの名物生徒の話、あとは一緒のサークルの話で飽きもせずに楽しく時間を過ごせる。

「そういえば最初のお題図書、なんで白川道さんの病葉(わくらば)流れてにしたの?」と私

「学校の売店で平積みになってたから、なんとなく手に取っただけだよ」と理は例のフンっと鼻で笑う。

「例えそうでもさ、あの時の主人公への感情移入の度合は本当に鬼気迫ってたよ。」と私が目を向けると

「オレはあそこまでは壊れていないし、壊れられないよ。ただ、主人公がそれまで特別な幸運にも、そして特別な不運にも見舞われていない…その時代なりの人並みの人生から大学入学を期に一気に狂ったようなレートの博打麻雀にフラフラ〜っと夢遊病みたいに足を踏み込んでいく所に、どこか他人事と思えない感情が湧いてさ…」と遠い目をして理は答えた。

「シリーズになってるから続きをやって欲しいな。」

「気乗りしたらな。」理の生返事で会話は終わった。

私たちはサークルで出会った。read&talk、読んだ本のあらすじと感想を持ち時間15分でよもやま話風に発表するという、読書好きには発表が、お喋り好きには読書がネックになるという部員全員がジレンマを抱えるサークルなのだが、そんな所が意外と面白く人数は少ないが部員の定着率は高いサークルだった。

白川道さんの“病葉(わくらば)流れて”は昭和の高度成長期の東京を舞台に主人公の梨田雅之が大学入学を期に麻雀と出会い、そこから苛烈な博打の世界、そして夜の世界の女性と酒に急速に染まっていく様が生々しく描かれたハードボイルド小説で、理が初めての発表に選んだ作品だった。
理の紹介は総合的にはまるでダメだったが、主人公の麻雀の逡巡、勝負への熱中と甘さが出るシーンだけは麻雀をできる者達、特に私には強烈な引力となって迫った。そこだけは作品の強い引力を見事に伝える事が出来ていた。
その時に理が麻雀をできない人にも向けてそれを説明する際に「麻雀は…麻雀というのは………後悔を選択するゲーム」と言葉を探しに探しまくって、なんとか口に出した瞬間が私は忘れられない。

悩んで絞り出す寸前、あの遠い目をして…それを言い切ると、ふと寂しそうに笑んだ。

何故、あの時の理のあの表情にあんなにも私は惹かれるのか、今だに解らない。あの遠い目と笑みは彼の麻雀に対するどんな感情が滲んでいたのか…それも今だに解らない。

「…したは、バイトだから帰るわ」

え!?

「明日は朝からバイトだから、帰るわ。夕飯ごちそうさま」そっと私の頭に掌を置きながら理が席を立つ。そんな細かい事に理からの好きの感情を感じ取れて幸せを感じる。

「うん。また週明けに」

そう言って私は玄関まで送った。

理は実家暮らしで、分倍河原の近くのマンションで両親と暮らしている。
本人曰く、ごく普通の家庭で両親は共に人格者で尊敬している…と言っていたが、それ以上の事は何も話してはくれない。

それどころか理は大学に入る前の自分の事について全く話したがらない。麻雀の話も楽しそうな感じで応じてはくれるが、普通の話の時とは雰囲気が変わってしまう。笑顔の中に寂しさがあるし、瞳の色も心なしか光が減って少し深い色になるように感じ、ちょっと遠い人のようになってしまう。

私が理を知る方法は麻雀しかきっと無い。
そして、麻雀は理の大事な何かときっと繋がっている。

私の希望を掴み取りに行く麻雀という価値観を理に対して、勝てなくても良い。一度でも通用させる事が出来れば、きっと理から何かを引き出せる気がする。

そう決意を固め、私は空の土鍋を洗い始めた。

#麻雀 #小説

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