Choice of regret~後悔を選択するゲーム~6

勝負の2年次が始まった。

引きこもっていた3ヶ月間、理はあらゆる事を見る事から逃げた。

学校に通わない事で先がどうなるとか、ただ戻った所で、集団による酷い蹂躙の現実が変わらない事とか、そんな状況の息子に対して部屋のドアの前でなんで学校に行かないの!と九官鳥のように詰問に来る母親とか、視界を閉ざす事によって何とかやり過ごしていた。

トランプの束を捌き始める瞬間まで理は3ヶ月もの間 本かカードの絵面以外をまともに見てこなかった目がきちんと仕事をしてくれるのか不安で仕方無かった。

しかもポイント変動は以前の10倍…これで負けたら更なる地獄…背中に見る見る汗が滲んでいく、それとは対照的に手は氷のように冷たくなっていた。
後で約束を反故にされないためにやり取りは録音と日々のポーカーの成績記録ノートの裏表紙にデカデカと改定ルールは記載してある。後戻りはできない。

順番はどこでも負け確定であった理はディーラー(BTN…ディーラーの位置にはボタン(BTN)が置かれる)固定その他の5名はクジ引きで1ゲームごとにポジションを代わっていくという特別ルールだ。

最初のゲームはSB(スモールブラインド)佐々木BB(ビッグブラインド)安田→高橋→藤野→宮前→理(BTN)となった。

震える手で52枚のカードの束に手を伸ばした。
3ヶ月間のほとんどの時間を共に過ごしたカードの感触を手に感じた瞬間震えは止まっていた。あとは手が勝手に動いてくれる。

3ヶ月間、暗幕で光を絞った環境でトランプを触り続けた理は目覚しい進化を遂げていた。
まずカード捌きに圧倒的な余裕ができた。以前のスピードで捌くのは10%の力でできる。1番早い宮前の全速力も30%ほどの力でだすことができるだろう。
だから理はあえて50%の力でカードを捌いた。今日はずっとディーラーなのだ。要所に来たら更にペースを上げる。その為の50%スタートだった。カード捌きの速さに皆一様に動揺しているのがすぐに解った。こういう所作による無言の圧力は、全員に素早く強いプレッシャーをかける事ができる。
シャッフルを終え、各人にホールカード(手札の2枚)を配り、コミュニティカード(5枚の伏せた全員が使えるカード)をセットしゲームスタート

プリフロップ(テキサスホールデムルールではスタート時のホールカード(手札の2枚)も見ずにSB(スモールブラインド)とBB(ビッグブラインド)が強制で取決めの最小単位(SB)とその2倍(BB)分を最初のベッド(賭け)として行う)
まずSBの佐々木が白のカジノチップを1枚(最低賭けポイントの半分)BBの安田が白のカジノチップ2枚(最低賭けポイント)を置いてスタートした。
ホールカードを見た上での最初のベッドを行う。高橋はこの時点でレイズ…それも白の100倍の黒のカジノチップを1枚置いた。誰もベッドしていないプリフロップ時は最初のベッド…そのあともBBの後に賭ける順目が回って来るこの順目はUTG(Under The Gun)と呼ばれ銃口を突きつけられたような危険な順目だが、慎重な高橋が最初からこれほど強気に賭けるのはよっぽどのハイカードがペアで入っているのだろうか。
高橋の大きな勝負に関わらず藤野もノータイムでコール、宮前は勝負に関われないと判断したのかフォールドとした。気弱な高橋がUTGのポジションのホールカードから積極的な勝負に出ており、藤野もそれにノータイムで追随…明らかに危険な展開である。
だが、理はここで「レイズ」を宣言。黒いチップを2枚重ねた。

SBとBBのオプション、SBの佐々木に回る。さっさと降りてしまった宮前は緊張した卓上にも関わらず退屈そうに両手を伸ばし大あくびをした。さすがに他の3枚のカードが解らない状態で黒色のカジノコインは迷うかと思われたが、「よし!レイズだ!今日で今年1年も理ちゃんを奴隷にしてやるぜ!」と勢いよく黒のコイン3枚を叩きつけ壊れた丸い太鼓の机が低いバス音を奏でた。

BBの安田はフォールドしたが、理を含めこれに全員がコールした。

フロップに進んだのはSBの佐々木、高橋、藤野、そして理の4人

既に黒色のチップが12枚…更にこれは昨年のレートの10倍であるこの一勝負で理の1年の負債はチャラどころか既に勝てばプラスという単位にまで賭けポイントのレートは釣り上がっていた。

コミュニティカード5枚のうち3枚が開かれる。

フロップは(開かれた3枚)♦️2♦️4♠️6

ホールカードの段階で皆大きな賭けに出ているこの状況ではストレートが(ホールカードが3,5)できる可能性はほぼ無いと見て良いだろう。高めのワンペアないしハイカード(KやA単体)でのチキンランの様相を呈している。
またはこの先のターン(コミュニティカードの4枚目オープン)やリバー(コミュニティカードの5枚目オープン)のどちらかで♦️が出るか、ラッキーで両方♠️でのフラッシュか…どちらにしても掛かってるポイントからすれば相当にリスキーな展開である。それぞれのレンジの計算を相当に慎重に計算せねばならないだろう。

さすがに瞬間、場の空気が張り詰めた。

この緊張の瞬間の直後また宮前が「はーあーあ!」とまるでもう自分はこの緊張とは無関係ですよと言わんばかりの大あくびをかいた。その直後SBの佐々木が軽く鼻息を鳴らし黒チップを1枚追加し「レイズ」と宣言した。高橋は額に大粒の汗をかいてさすがに動作が止まる。佐々木が「そんな緊張すんなって!」と促すと高橋は喉が緊張で渇ききっているのか掠れた声で「レ、レイズ」と更に黒いチップを2枚追加した。藤野が更にレイズを宣言し黒いチップを3枚足した。これに理はコール、佐々木もコールとした。場のチップは既に黒色のチップ24枚、以前のレートでも1ゲームでここまで大きなポイントがかかる事は無かった。ここで負けた者はそれだけでもう3年までの2年間どころか高等部卒業の5年後まで毎日尻の穴にオロナミンCの空き瓶を突っ込まれ続けたとしてもポイントが全て消費できるか解らないレベルになっている。

張り詰めた空気の中、誰も降りないままターンに突入する。理は4枚目のカードをゆっくりとしたそれでいて軽い捌きでキレイにカードを表にめくった。出たカードは♠️2。
その瞬間高橋の額の汗は脂汗に変わっていた。高橋のホールカードは♦️Q♦️K…リバーまでハンドが決まらない事が確定した。

宮前はつまらなそうに両手を上げっぱなしにしている。佐々木のホールカードは♣️3♣️J。普通に考えたら全く勝ち目が無い。だが、佐々木は別の路線での勝利を信じ「レイズ!」気合を込めて黒いチップを投げた。高橋は脂汗をぬぐい震える指先で黒いチップを出し消え入りそうな声で「コール」とするのが精一杯だった。
藤野は❤️3♣️5でストレートが既に完成していた。更に「コール!」と黒いチップを投げた。理はこういう展開になるのを覚悟して3ヵ月心の準備をしてきた。だがいざその瞬間に身を置くと指先は凍えるように冷たくなっていた。これから5年間の学生生活がこれから先の数分で決まろうとしているのだ。本番の緊張感はリハーサルのそれとはやはり比べ物にならない。全ての感情を深い吐息に乗せて全て吐き出したあと「レイズ」2枚の黒いチップを卓上に放った。

全員がコールした。「ククっ」宮前が不気味なタイミングで吹き出し笑いをした。「ハッタリはオレ“ら”にゃ通じないんだぜ?」理を除く全員の表情が緩む。そう。この瞬間全員が理がラストになるのだと確信を得たのだ。
「まだリバーをめくってない」「解るんだよ。もう。まぁいいや。めくろうか」
なぜ宮前は理をずっと有利なディーラーのポジションで固定し続けたのか。それは宮前の2.0の視力をもってのみ発動する“イカサマ”があったからだ。ディーラー席の真後ろの天井下に一台の90cm水槽が置いてある。その一面に鏡面シールを貼る事により理の手札は宮前にだけは筒抜けだったのだ。水槽に映る理の手札は♣️4❤️9でめくる前から最下位確定なのである。
最後の1枚は♠️10だった。

SB佐々木フォールド、そして最後♦️では無かった高橋もフォールド。もう高橋には顔色が無くなっていた。勝ちを確信している藤野が10枚のうち最後の2枚の黒チップをレイズした。
藤野はフロップの時点で2,3,4,5,6のストレートが完成している。

ヘッズアップになったもののこのまま勝負を続けると負けになってしまう理の選択は…「オールイン」静かにそう言ってコインケース内に入った全てのコインを取り出して卓上に淡々と並べた。宮前は吹き出すのを堪えるので必死だが、他の面々は淡々と全てのコインをプッシュする理に完全に気圧されていた。特にオールインの選択を迫られている藤野は表情が固まっていた。
「おい。オールインなんてハッタリに決まってんだろ?」「勝ち確定のオールイン対決だぞ!?鴨がネギ背負って来てんだからサクっと応じてやって10秒後から即みんなで5年間楽しませてもらお!な!」
関西人のように軽い調子が場の重い空気の上で虚しくカラカラと鳴っている。

藤野は固まって動けないでいる。ストレートは相当良いハンドだ。これまでの経緯を考えても負けるパターンの方が考えにくい。それでも、このプレッシャーの中平然とオールインしてくる目の前の男は藤野には恐ろしい化け物として映っていた。

「藤野は降りたいってよ。そんなに言うなら特別に今までオレが負けた分全てと合わせてオールインするなら今の藤野のハンドで勝負を代わっても良いぜ」

「負けが決まって開き直ってるだけのクセにデカい口叩きやがって…藤野どけ!」
藤野は宮前がどかす前に逃げるように席を立っていた。

「勝ちが決まってる手を安いハッタリに負けて降りやがって…おいノートのオレの今の勝ち分…ちょうど1500だから今のコイン換算で黒と緑1枚ずつか…シケてんなぁ。高橋10秒だけ黒と緑1枚ずつ借りるぞぉ」自分のコインケースを空っぽにした宮前はそう言って高橋のコインケースからコインをひったくって場にコインの山をプッシュした。

「さ、ショウダウンしよ。負け頭のクセにいっぱしにハッタリなんか使いやがって!ケツの穴にオロナミンCなんてケチくさい事言わずにビール瓶突っ込んでやる!」

「はい。こっちストレート、理ちゃんはハイカードのすぺ…」と言った所で固まる。
理のショウダウンしたカードは♠️A♠️Jでスペードのフラッシュだった。

「イカサマだ!お前のホールカードは♣️4と❤️9のはずだ!」

悲鳴のようにそう叫んで宮前は水槽を見てハッとなる。ショウダウンされているのに、水槽には♣️4と❤️9を持っている理の後ろ姿が変わらず映っている。
理は3ヵ月の間、勝負を振り返っていて自分のホールカードにモンスターが入った時は必ずフロップにすら進まずにショウダウンに進んでいた事に気付いた。確率論、戦術論から言って明らかにおかしい。何か別の確信が無い限り起こり得ないと理は判断した。つまり何らかの“仕掛け”で理のホールカードは見られている。という確信の元、春休みの間に部室を徹底的に洗ったのだった。水槽を破壊する事も考えたが…理の怒りは3ヶ月の間で熟成され、感情から深く落ち着いた復讐心へと進化していた。その深い復讐思考は仕掛けを使った自滅こそが相応しいという所に到達し、トランプを持っている後ろ姿を鏡写しに撮影し水槽にマジックミラー式に封入しておいたのだ。

それに気付くのと同時に「❤️9はオレのホールカード…」と安田がボソっと言った。

「うるせぇ!汚い手使いやがって!こんなの無しだぁ!」

「無しだぁ!は無いだろ?」と脳味噌まで筋肉でできた凶悪な行為のみを愛している弱小野球部の小柳と長谷川が入ってきた。負けた時に宮前がゴネるのは目に見えていたので荒くれ者に今日のポーカーの負け頭を好きにボコって良いと声をかけておいたのだ。「理!コイツのケツの穴にビール瓶挿れて良いの!?」長谷川の目は無邪気な子どもが欲しかったオモチャを目の前にした時のように爛々としている。
「みんな行こうぜ!ワクワクするだろ!」長谷川は興奮が最高潮になっている。

理は「自分で言ってた事だから、そら良いんだろうなぁ…」

そうぼんやりと相槌を打つと小柳と長谷川は両サイドからしっかりと小太りの宮前を抱え第2グラウンドの方へと連れ去って行った。振り返ると他の面々も部室の隅で怯えた目で固まっている。特に藤野と佐々木は相当量のチップを負けている。
佐々木は既に泣いている。「頼む!宮前の命令だったんだ!オレたちじゃないんだ!」と泣き声で怒鳴っている。
「オレたちじゃないだぁ?」佐々木のこの一言は許せなかった。

理は獣の速さで壊れたパイプ椅子のパイプをひっ掴み泣きじゃくる佐々木の脳天に向かって思い切りパイプを振り下ろした。カチーン!と鉄パイプの振動音が響き渡り目の前では頭から鮮血が噴水のように吹き出して我に帰る。
佐々木は髪の毛と顔面を赤い水滴で染めながらも「オレたちです」と改めたのでそれ以上は加害しなかった。
他の面々に対しても「1学期分全部のノートを手分けしてよろしく。」とだけ伝えると呆然とした様子ながらもコクコクと頷いたので宮前の事は完全に忘れてその日はそのまま帰ってしまった。

次の日、宮前は自宅のマンションの屋上から転落して死んだと学年を上げて大騒ぎになっていた。
「アイツ!基本豚は飛べないんだから飛ぼうとしちゃダメだよ!って言ったのに!」
長谷川が見当違いな憤慨の仕方をしていた。

理は、宮前が自分が原因の一端を担った形で死んでしまったという動揺と自分の成し遂げた事の影響力のあまりの大きさへの陶酔とが入り混じった異様な興奮に叫び出したい衝動を抑えるために拳を強く握り、奥歯をギュッと噛み締めた。

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