Choice of regret〜後悔を選択するゲーム〜2

目を覚ましてケータイのサブディスプレイを覗くと午後4時過ぎになっていた。
私の横では、まだ理(おさむ)がピクリともせずに眠っている。帰ってきて、雀荘でのタバコのニオイを落とすためにシャワーを浴びて、私はお昼過ぎまで理のあぐらを枕にして眠った。
理は麻雀をしたあとは、放っておくと夜まで眠気が訪れないらしい。昼過ぎに私が起きて抱き合って、ようやく眠りに落ち着いた。理は眠りが非常に深いので起こす心配はないので、夕飯の支度をするために起き出した。

寝ている理を見て麻雀との出会いの頃をふと思い出した。高校2年の時、初めての彼氏とゲームセンターで気まぐれにネットワークの麻雀ゲームをしたのが最初だった。彼氏の方も、麻雀の最低限のルールを知っている程度で、3枚1セットの組み合わせを4つ(数字は階段状{123.234}もオッケーで字のヤツは同じのを3枚重ねないとダメ)と2枚同じのを1つというのを1番最初に揃えた人が上がり。という事だけを教わって対戦してぶっちぎりで勝った気持ち良さがきっかけで彼氏そっちのけでのめり込んだ。
その事がきっかけで彼氏には愛想を尽かされてしまったが全く気にならなかった。
しかもその当時家庭では両親が日に日に目に見えて修復不可能な関係になっていっていたが、家ではパソコンでネットワーク麻雀にのめり込んで心に余白を作る事が出来ていたので、両親それぞれの愚痴をそれなりに受け止めてあげる事もできていたと思う。

それでも家庭の空気はどんどんピリついていき、家に帰るのはもちろん気が重くなったが、その中でも特にリビングは肌に塩酸がかかっているような強い刺すような痛みを心に感じ、自分の部屋に籠ってますます麻雀にのめり込んだ。
分厚い麻雀の入門本も端から端まで何度も読み、役の種類と基本の牌効率を頭に叩き込んだ。麻雀の事を考えている間だけは他の事は何も頭を過ぎらず、自分の上がり形の可能性をひたすらに思い、途中で相手からリーチが入ったら怯え、でも自分が上がりたい思いとの葛藤に悶えながらも自分の上がりを優先しては負けて、やめれば良かったと歯ぎしりしては、次もまた同じように、うんうん唸った。そしてまた自分の作った手、惚れた手にまっすぐに捨てる牌を選び続けた。

そして、高校2年の春休みの2日目に両親より先に私が折れた。学校に行って友達と会う事がない中で1週間ほどをこの環境で過ごすのはもう限界だった。
朝、父が会社に出社したタイミングでリビングに出てきた母に「私の事を思うなら、もう離婚して」となるべく穏やかに告げたつもりだが母は、「あなたの為にこんなに頑張っているのにどうしてそんな言い方するの!」と泣き声で怒鳴り散らし部屋に戻っていった。
何となく予想はしていたが、それでも精一杯の勇気を振り絞った行動である事を理解されなかったのは奈々にとってあまりにも寂しい結果で、しばらく呆然としていた。
やっと立ち戻り、口論すらしない状態にまでなってまで夫婦関係を維持する事のどこが子どものためなのか…私へのお為ごかしとしか思えなかった。ずっとお嬢さま育ちの母は周囲から羨まれるカタチに拘る人で、その虚像にひたすらしがみついているのだ。そう思うと腑に落ちて、こぼれそうになっていた涙が冷えていくのと同時に気持ちも一気に冷え切っていった。

同じ女として母親に味方しようと思っていたが、その気持ちももう壊れてしまった。

その日の夜、最寄り駅で父親を待ち受け、駅前のファミレスのボックス席で同じようにもうお願いだから離婚して欲しい。と打ち明けると父は、まず弱い声で「すまん」と言ってくれた。
そしてしばらくの沈黙、斜め下に落とした視線の中で父が言葉を必死に選んでいるのを感じたのと同時に喉が渇いたので、父親に「コーヒーでいい?」と聞くと「あぁ、ありがとう」と言ったのでドリンクバーに飲み物を取りに行った。私のオレンジジュースと父のコーヒーのソーサーには砂糖を2つ載せて席に戻る。
父親はソーサーに砂糖が2つ載っているのを見ると少し表情を緩め、改めてありがとうと言いコーヒーを1口啜ってからポツリポツリと語り始めた。
「日々の小さな積み重ねだったんだけど、決定的だったのは奈々の進学についての事だったんだ。」
私の?
「いや、奈々が責任を感じる事は何もないんだ」怪訝な表情の私に父は大きく首を振って応えた。

「お父さんは奈々に進学の意思があるなら4年制の大学に進んで欲しいと思っているんだ。お父さんは専門学校の出身で、高校を出た後も余白の時間が一切ない状態でひたすら技能を詰め込んで、そのまま忙しく会社で働いてきたから何ていうか自分で自由に何かを考えたり振り返ったりする事があまりできなかったんだ。ただ、お母さんは自分も短大の出身だし、奈々を産んでからは家庭に入っていたから短大で十分だしそんな無駄は認めないって聞かなくってね」

お父さんはなんで4年制の大学を私に勧めるの?

「お父さんの会社は、お父さんのような専門学校の出身者と4大の出身者と両方がいるんだけど、4大を出た人の方が価値観が豊かだなって感じる事が多くてね。仕事のできる出来ないは大きな差はないし、特に新人の頃は専門の出身者の方が仕事が安定していて任せやすいくらいなんだけど、年を重ねても4大の出には負けないってそればっかりでね。とにかくがむしゃら以外の選択肢が無いんだ。4大出てる人は仕事はそこまで出来なくても、なんか仕事以外のちょっとしたモノを持ってるんだよね。何かあっても、どこかに立ち帰れる所を持っているんだ。奈々にはそんな立ち帰れる場所を持っていて貰いたいと思ってね。」

今の話、お母さんには?

「話したんだけど解ってもらえなかったよ。言ってるお父さんも4大には負けない。問題はがむしゃらに立ち向かう。だけしか実際持ってなかったしね。ただ、今のプロジェクトの部下で仕事はそこまで出来るわけじゃないんだけど、とにかくコーヒーを美味く淹れる子がいて、その事をぼんやりといっつも褒めてたんだ」

ふぅん。

「すまん。なるべく早く話を本線に戻すようにするからもう少しだけ付き合ってくれ。」と言うと父はコーヒーを口に含んだ。

「ある日、クライアントの無茶な振りで1日みんな殺気立ちながらバタバタと仕事をしていた日があったんだけど、その子がみんなにいつも通りコーヒー淹れてきたわけ。猫の手も借りたい状況だから手を動かしてくれって、文句が口をついて出る寸前まできたんだけど、それは言葉として出なかったんだ。」

どうして? ちょっと空気読めてないじゃん。その人

「それはそうなんだけど…」父は微苦笑で頬を人差し指でカリカリかいている。

「そのコーヒーの香りがさ、とんでもなく良かったんだよ。すごく複雑で果物みたいな香りもあってさ。その子のとっておきの豆を使ってくれたみたいで、本当に普通の人が知ってるコーヒーとは全く別の飲み物だったよ。本当に1分とかだけどみんなで手を止めてそのコーヒーを味わってさ。それだけだったんだけど雰囲気が一気に良くなってさ。なんとかその無茶振りにも応えられたんだ。」

良かったね。なんとかなって。ちゃんと聞いてる事をアピールする為に相槌は入れるが、そいつ空気読めてないじゃん。という思いは私の中から消えない。

「その子はうちの会社に来る子だから、大学は工学系でもちろんコーヒーは全く関係ないんだけど、純喫茶でバイトしてたのが高じて世界中のコーヒーを味わって、卒業旅行ではコーヒー豆を求めてエチオピアにまで行ったらしい。
その時に感動した豆で扱ってるのは日本だと今だにそのバイト先の純喫茶だけで、そこから今だに定期的に豆を分けて貰っていて、その時に出してくれたのはその豆で淹れてくれたらしい。ただ、その話をしてる時のその子が本当に嬉しそうで楽しそうなんだよ。全員がそうじゃないけど、4大を出た子はなんか別の視点も持ってて、それはとても豊かな事だなってこの年になると、しみじみ感じてさ。だから奈々にもそういう何かを手に入れるチャンスを得て欲しいと思ったんだ。」

お父さん、その人って女の人でしょ?

「そ、そうだけど決して変な関係とかでは…」

うん。私はそれは疑ってないよ。ただ心はその人に向いてる。私でも解ったんだからお母さんにはモロバレだと思う。

しばらくは抗うような、怒ったような目線を向けてきていた父だったが、とうとう観念して目を伏せた。

「お父さん、私とお母さんの事は心配しなくて良いから、きちんとその事お母さんに話して。お母さんにとっては特別な関係になってるかどうかは関係ないんだと思う。そういう所だけ変に潔癖だから。ただ話を聞いて4大には行ってみたくなったよ。ありがとう。」

「あぁ、それなら良かった。」

「じゃあ私、先に帰るね。」

ここまでは私は完璧だったと思う。

結局、春休み中に両親は離婚する事を決め、ゴールデンウィークには家を引き払ってそれぞれ別居する事になった。一度は母親を突き放した気持ちになった私だったが、父親と話した後はやはり心配になったので、母親についていく事にした。

父親から養育費は支払われる事になっていたが私の学費の事を考え、母は働きに出る事を決めた。なんと、その仕事先の責任者が母親の同級生の男性が務めており、しかも同じバツ1同士という事で一気に打ち解け、夏休み前には同居するから…という話にまでなっていた。さすがに私はついていけないと話し、父親に連絡すると、なんと父親の方は父親の方で、例の部下との交際が始まっていた。まさかこんな形で私の居場所が無くなる危機に直面するとは思ってもみなかった。

麻雀を人生に例えるなんてバカバカしいと理は言うが、私はあんまりそうは思わない。スタート時の手は毎回違うし、1対3の条件の中で上がりを目指すという事が1対1のボードゲームでは起こりえないとんでもない不条理が日常茶飯事として襲いかかってくる。

圧倒的に上がりに近い配牌を貰った時に限って驚くほど手の進みが遅かったりする。
そんなモタモタしている間に他の3人がグングン追いついてあっという間に自分だけ上がり競争から置いていかれてしまう。

私はこういう追い込まれ方の時いつも両親の離婚から新生活へ急激に移っていった時の事が手とダブって見える。3巡目からこの形からほとんど動く機会も得られず、結局この直後に3人から次々にリーチを宣言されてしまう。それでも真ん中の③⑤の間に④が埋まれば文句無しに七萬を切って右端の5、6に4か7がくっつけば上がりのカタチで追いつける。右端の5、6の方が先に埋まった場合の④は確率は低いものの一応の形では追いつく。また2つ同じ牌が重なってるのが現状で4つあるので、それを7つ作る変則手のチートイツに移る粘り腰の展開もできる。この手で3人の厳しい追い込みを躱し切って自分が生きる展開をどう見出すか。父親のサイドにも母親のサイドにも居場所を見出せなくなろうとしている高校3年の夏の強烈な焦燥感と母親についていくしか無いか…という諦観までしか思い出せない時は、この手は残念だが3人に追いつけない。でも、その先の一縷の望みを見出した時の興奮、鼓動の強烈な高鳴りまで生の感覚として思い出せた時は、戦える。
そう、私にとっては赤の他人の男性との同居生活が目前に迫り受験勉強はおろかネット麻雀への集中力すら失って絶望的な気持ちだったあの時、母親の新しい相手に自分だけの別居先を用意して貰うよう直談判する事を思いつき、そして決断した瞬間の事までしっかりと思い出せた時はどんなに強敵でもどんなに危なかっしい牌でも押しきれるし、事実押し切っていくつもの上がりを勝ち取ってきた。ネットでもリアルでも。
例外はたった1人、私の視線の先で今も音もなく眠っている理だけ。彼だけは絶対的な自信の感覚で打てている私を涼しい顔で看破してきた。

#麻雀 #小説

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