Choice of regret〜後悔を選択するゲーム〜5

自分の別居が2人の同居の条件という交渉の武器を携えた奈々は母親と母親の新しい相手との顔合わせの食事会の日を緊張と期待とが入り混じった痺れるような気持ちで迎えた。
自分は別居として家を確保して欲しいという意思は母親には事前に言わなかった。母親には混乱して貰って、そのどさくさで了承を得られればと奈々は強かに考えていた。

そんな奈々の下心を知ってなのかは解らないが、食事会は日本橋の方のちゃんとしたフレンチのお店である事を母親は前日に告げてきて、服装もクリーニングに出されたきちんとしたワンピースにハイヒールを用意された。恐らくこれは母親からの牽制であろう。彼女の女のカンは恐ろしく鋭い。当日はお店に近づくにつれて緊張感は高まっていき、黒の蝶ネクタイにベストにジャケットの3ピーススタイルのギャルソンに案内されて毛足の長い絨毯の上をフワフワと歩く頃には緊張の糸はこれ以上張れない程に高まっていた。
個室で先に待っていた母親の新しい相手は父親とは全くタイプの違う男性だった。釣りバカのハマちゃんのような、ちょっと小太りで人懐っこい笑顔が印象的な人だった。

父親は、あまちゃんの小田勉さんのような穏やかながらも少し神経質なところもあるというタイプなのでまさに真逆といって良かった。

「奈々ちゃんはじめまして!那須川 賢治です。」と屈託の無い笑顔で手を差し出してきた。
はじめまして。と握手に応じると、横の母親は表情を一気に緩めた。

だが、この張り詰めた緊張を持っている時に奈々は勝負をかけた。

「那須川さん。母と一緒になるのに条件を出させてください。」

「うん。できる事であれば全てやるよ」と少し声のトーンを落として那須川は答えてくれた。

母親が横槍を入れようとするのを那須川は首を振って制した。

ふぅ…と息を吸うと「私は那須川さんにはついていけないので、母とこれから一緒になるのでしたら、私には学生の間の住居を確保して頂きたいのです。聞き入れて頂けないなら私は2人の関係を賛成出来ません。」と一気に言いきった。

母が奈々の肘を強く引っ張るが私は動じなかった。

「うん。僕も正直そうしたいと思ってた。ただ、お母さんの方が一緒に連れて行くって…聞かなくてね。奈々ちゃんの声が聞けて良かったよ。」那須川はそう言うと静かに着席した。

私の意見は思いの他あっさりと通り、その後も那須川の軽快なトークのおかげでその場もそれなりに良い場になった。
ただ、母親は帰宅した後も私を手放すのを最後まで嫌った。
何度大丈夫だと言っても「奈々ちゃんを1人にできない」と繰り返すばかり。

これには本当にうんざりした。これでお為ごかしの自覚が無いのだから非常にタチが悪い。那須川は悪い人間では無さそうだったが、それでもどうしても同居はしたくない、かと言って、やっとあの母親から解放された父親の新しい生活の邪魔もしたくはない。

深夜まで平行線のやりとりが続きそしてついに「私、高校辞めてでも一人暮らしはするから」という言葉を投げていた。

母親は、呆然として何も喋らなくなった。
そんな母親の姿を見るのは辛かったが、それでも私は自分の希望を掴み取る決意にまた一歩進んだ。

そして受験勉強をする環境は決して良いとは言えない中ではあったが無事に大学に合格し私は進学と共に一人暮らしを勝ち取った。新居に引っ越しの荷物を搬入する時に初めて足を踏み入れた瞬間のあのえもいわれぬ達成感は、オーラスでラスからトップへの逆転を達成した時くらいドラマチックに感じられた。

那須川は家賃と水道光熱費の他に生活費も毎月欠かさず口座に入れてくれていた。極端な贅沢をしようとしなければアルバイトをしなくても生活に困る事は無い程度…それでも、奈々はそのお金には手をつけずせめて日々の生活費だけはアルバイトで作ろうと決めており、週に2日から3日ほどはレストランのホールでアルバイトをしている。各席ごとの食事の進み具合などを把握しつつ料理や飲み物を運び、注文を取ったり下げ物をこなしたり、卓上の状況変化とよく似ていてそこは面白い。麻雀の感覚をそのまま生かして自分の手牌と打点、相手の当たり牌の想定と打点とを瞬時に天秤にかけて展開していく感覚と本当によく似ている。
だからあっという間に私は仕事を飲み込み、周囲を驚かせた。

麻雀は打点と確率の天秤…いつも一番合理的な捨牌選択を私はしている。それこそきっと誰が後ろで見ていても文句のつけようの無い選択を私はし続けていると思う。
ある意味、レストランではそんな捨牌を並べるのと同じ事をしている。すると周囲は高い評価をしてくれ、チヤホヤしてくれる。

みんなのお墨付…少なくともネット麻雀ではそれでランキングはグングン上がっていった。

リアルは何か違うんだろうか。顔を合わせて打つという事は…理の庇護の無い所で勝って自信と腕とを磨きたい。理はほとんど束縛らしい束縛はしないが、フリー雀荘で1人で打つ事だけは強く止められていた。

確かに女1人で雀荘通いなんてイメージは悪い。それは解る。でもきっと、それ以上に理にも危機感があるのだ。ネット麻雀で男勝りのランカーの奈々がこの上、フリー雀荘になど通ったら、理をあっさり超えてしまい、自分が色褪せて見えてしまうのが怖いから、奈々にフリー雀荘を禁じているんじゃないのか…。
麻雀で理より先の世界が見えるようになったら…その景色はさぞ気持ち良いだろう…。それに理の事を麻雀の腕だけで好きな訳でも無い。麻雀で理を超えた所でその気持ちは変わる事はない。

理より先の景色の麻雀…それは今や奈々にとってのアダムのリンゴくらい欲しくてたまらないモノになっていた。

スケジュール帳をめくりバレなさそうな日に印をつけ、ネットでなるべく地元から離れたお店で手頃なレートの所をいくつかピックアップした。


例え麻雀で理を超えても、私の理への気持ちは変わらない。だからバレなきゃ良いじゃないか。奈々はそう言い聞かせてパソコンを閉じた。

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