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映画>アイデン&ティティ

アイデン&ティティ』(田口トモロヲ監督/2003)。

原作みうらじゅん。あのバンドブームの80年代半ばに、「ロック」を求めて右往左往する若きバンドマンの物語。

ちょうどその頃、ぼくはバンドの街ともいえる久留米でタウン誌を作っていて、アマチュアバンドのコーナーを毎号8ページ持っていた。アマバンといっても、かったりいのから目の覚めるようなの、聴いたこともないような新しいの、自分の人生に決定的に影響を与えてくれたのまで、ほんとにいろいろいた。

あの時代、最高のバンドをいくつか挙げろという話になると、ザ・バースデイクラブ、ザ・ローリングソバット、ザ・フィフティーズ、ジャンキー・ヒップシェイクなどという名前を思い出すのだが、熱でいえばザ・ローリングソバットは最高のバンドだったし、ロックの本筋ということでいえば、田中シゲル率いるザ・バースデイクラブも最高だった。

ザ・フィフティーズは、チェッカーズのようなオールディーズ系のバンドとして圧倒的な人気で、ポプコン全国大会で川上賞を受賞、ジャンキー・ヒップシェイクはちょっとストーンズみたいな骨の太い音で人気があった。その他、お笑い系あり、癒し系あり、超絶技巧のビッグバンドありで、あの時代の久留米のアマチュアバンドコンサートくらい、面白いものはなかったのだ。

一度、久留米(筑後文化圏)に、どのくらいバンドがあるのか数えてみようとしたのだが、とりあえずホールで20分なりもたせられるレベルのだけでも300、中学生・高校生が勢いで組んで、それなりに聴けるものも含めれば500以上はあったと思う。

で、いわゆる「イカ天ブーム」が久留米にどのくらい影響があったかというと、体感的にはまったく関係なかった。「イカ天に出たい」とかいう話も聞いたことがなかった。

それよりも、「市民会館小ホール(250名)を単独ライブでいっぱいにしたい」とか、「▲▲のやつらにゃ負けられねえ」とか、「おれらがロックちゅうもんを見せてやるとばい」とか、そういう話が多かった。

大体、あの街には一種の勘違いが満ちみちていた。「久留米で一番になれば、日本で一番ちゅうことやろう」というものなのだが、それはまったく怖いもの知らずというか、世間知らずというか、ある意味、おめでたくさえもある話ではあるのだが、またある意味、本質的に正しいといえなくもなく、また、そういう勘違いを若い衆が心に抱くと、それはそれで揺るがしがたいパワーになる。

たしかに鮎川誠に始まり、陣内孝則、石橋凌、チェッカーズと、久留米でアマチュア活動をしていて、飛び出していった人たちは多い。

久留米のロックというのは、むしろ伝統芸能に近いもので、気のきいた若い衆なら一度はバンドをめざす。それが、どんなバンドかというだけのことで、バンドを、ロックをやるということについて、ブームもへったくれもあるものではなかった。大きくなったら、女の子に恋をするように、バンドをやる。それだけのことだった。

キングトーンズの成田邦彦さんにそういう話をしたら、川崎もそうだと言っていた。町の感じが、どこかしら似ていたのかもしれない。

だもので、この映画に描かれている「イカ天で売れて、ブームが過ぎて落ち目になり、それをきっかけにロックの本質に出逢う」というような状況とは、全然リンクしないとはいわないまでも、まあ、あんまり関係がなかった。

その意味では、当時のバンドブームについては、みんな醒めた目で見ていたように思う。その何年も前から久留米や博多はバンドの街だったわけだし、それよりも、自分らが日本中をツアーするような状況になった時にどうするか、みたいなことを、たとえば田んぼの中のスタジオで熱く語っていたりした。

そういえば、陣内孝則のロッカーズは、映画になっている。できれば誰か、鮎川誠の映画を作ってくれないかと思う。マコちゃんの筑後弁とロックンロールが全編、炸裂する映画。楽しいだろうな。

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