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寅さんみたいなお兄さん

映画『男はつらいよ』シリーズが渥美清主演で1969年に第1作が公開され50年だそうで、先週は関連ニュースが多く流れていた。

劇場では、子供の頃に飯田橋にあった佳作座で祖父母に連れられ何度か観た記憶がある。
それ以降はテレビでやってるのを家族と笑いながら観ながら「寅さんは楽しそうに生きてるなぁ」と思ってたw

高校から大学にかけて、余り家に寄り付かなかった時期があった。

家が居心地悪かったと言う訳では全く無くて、単に友達や女の子と遊んでるのが楽しかったり、友達の家や下宿が快適だったりしただけで、家は家で快適だったし、祖母や母の料理も美味しくて大好きだったんだけど、モラトリアムな暮らしを謳歌しまくってた身としてはその時に楽しい事を優先してただけのアホな学生だった訳だw

大学に入ってからはバイトしてはバイクでツーリング行ったり、スキーシーズンになればヒラフのペンションで居候させてもらいながらスキーや犬の散歩ばかりして過ごし、少し家を空ける時は母も仕事で忙しくしてたので「ちょっとツーリング行ってきます。」とか「しばらくニセコに行ってきます。」とか置き手紙してフラッと出てく事の繰り返し。

社会人になって、1年目は宇都宮勤務だったんで週末は家に戻ってたんだけど、2年目に札幌勤務になってからは週末はニセコに行ってばかりで東京にはほぼ戻らず、3年目になる頃に会社を辞めてそのままニセコの住民になってしまっていた。

スキーシーズンも終わりペンションが暇になった頃、友達のジャガイモ農家に居候しようかと考えてたら、母に仕事手伝いなさいよ!と東京に呼び戻され、戻ったと思ったらそのまま父の住んでたパリに飛ばされ5年ほどをパリで暮らす事になった。

パリに居た頃は年に2回くらい東京に一週間くらい戻り、友達と会ったりniftyのデザインフォーラムのオフ会に顔出したり、妹の働いていた原美術館のメンバーミーティングに顔出したりしてたんだけど、ある日原美術館に行った際に妹を呼び出そうと受付で名乗ったら、

「あー、あの松原さんの寅さんみたいなお兄さんですね!」

と満面の笑みで言われ、ズコッとコケそうになったのは楽しい思い出だったりするw

その後しばらく「寅さんみたいなお兄さん」で盛り上がった時期もあったんだけど、言われてみれば気ままにやってたあの頃はそうだった気もするw
因みにその時期の妹の元カレは「淳道さんが寅さんだったらTはヒロシだなw」と言われてたりもして、T君は満更でもない顔して笑ってはいたけど、、、。

パリも5年も暮らすと日常のマンネリ化に少し飽きてきて、ちょうどフランからユーロに切り替わる辺りで、たまたまミラノの友人のアパートが一室空きそうって話もあって、じゃ次はミラノかなぁ、、とか思ってたんだが、ここで再び母に東京に戻ってらっしゃい!と呼び戻されたw
まぁ蛇足だけど、我が家は祖母の代から脈々と「母が絶対」な家だったりするちょっと変わった家風だったのよねw

それで東京に戻り、母の仕事の手伝いをしながらwebデザインの仕事を始めて、サイト構築からデザインから商品撮影までやってたのがまだダイアルアップからADSLに切り替わる頃の話。20年以上前なのね、、w

あー、長くなったんで、今日はここまで。「寅さんみたい」な生き方は気ままで良かったなぁ、、今となっては家族も居るから出来んけど。

この続きは次の機会に続く、、、のか?w

#男はつらいよ #寅さん #モラトリアム #パリ暮らし

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