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お金の使い方を学ぶ。でもそれは一筋縄ではいかない。

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ここ1年ほどで私はお金の考え方、捉え方を一気に変えてきた。
会計や経済学の本を読む、仕事や労働で自分がこれまでの経験を統合した結果である。

会計や経済学の本もそれなりに読んだが視点がそれなりに高いので、ここではもう少し具体的な本を紹介しながら書いていきます。

私がお金を使うとき
以下3つの点が重要だと考えている。

極力その場かぎりの浪費を避ける。
自分が応援したい人や活動にお金を使う。
自分に対しての投資活動にお金を使う。

私は、現在は酒も飲まないしタバコもギャンブルも宝くじもオカルトグッズも買わない。テレビも車も必要なくなったので手放した。
これは我慢でも禁欲でもなく、単に私がお金と時間の浪費と判断したから。

もとからこれらのことは実はあまり好きではない。しかしなんとなくお金を使っていたのできっぱり排除した。
テレビを手放したのは観るとマーケティングに取り込まれて浪費が大きくなるため。
車も引っ越したために徒歩と電車で移動するため、不要になった。

お金がなぜ必要か?

生きるために必要なのは本来のお金ではなく衣食住。それは日本ではほぼ満たされている。
お金は便利な道具である。それは時として人や世の中を動かす力にはなる。資本主義社会にいるからにはその力は活用したほうがいい。

しかし私は日銀ではないので、紙幣を刷れない(当たり前だ)。私の持っているお金は有限だ。
だからこそ、まず何にお金を使うのかに知恵を絞らないと浪費してしまったり、世の中によくないことをもたらす可能性もある。

企業会計で言えばこれらは経費を抑えて事業投資を吟味してすること。これは至極当たり前な判断で、別に非常識ではない。当たり前ながら。

個人を企業会計に当てはめるのは強引かもしれないが、個人の社会生活でも、「ストレス発散」という名目で費用が増大すれば、自己投資も貯蓄も出来るはずがない。


上の木暮太一さん著書にはサラリーマンの給料は本人の頑張りに応じたものではなく、労働に関わる必要経費に過ぎないと言っている。しかしほとんどの人は頑張ればその分給料は上がると思っている。でも上がった分、ストレスや過重労働でその対策に必要経費はかさむので、いつまで経っても豊かになれない。ラットレースから抜け出せない。必要経費は「ストレス発散料」「浪費」も織り込み済みということなのだ。

お金は貯めることと同じくらい「使う」ことを考える

一般的な日本人は「無駄遣いはするな!」「貯金をしていざという時に備えろ!」と大人から教えられる。それは間違ってはいないが、バランスに欠けている。
つまりお金の「貯蓄法」はいくらでも教えられるが「使用法」についてほとんど大人から教わらないのだ。
このことはこの藤原和博さんとDaiGoさんの本が参考になった。ここでは私が特に気づいたことのみ書く。

その中で大きなヒントが以下
お金をモノだけではなく、蘊蓄・知的財産や人やコミュニティに使おう。

私の場合、書籍購入などの自己投資や他人への応援・カンパをすることを優先的にやっている。それをお金のリターン以上に、人と人がつながって行くための重要だと思っているからだ。お金を使ってお金で買えないお金以上のものを作り出す、そんな感じだろうか。

私のミッションは
人が過ごしやすい社会を作っていくこと。それを行動としている人を応援すること。

読書と音楽」はその意味でこれからの社会をよりよく変えていく重要なものになると私は思っている。

音楽は人を豊かにさせ、個々人を繋げてくれるものだと私は信じている。そのくらい音楽はパワーがあるというのを数限りなく経験してきた。
だから音楽を心から楽しみ活動をしている人だと私が感じたら、全力で応援する。そして継続して活動をしていけるようなモデルを創り出す。

もちろん人にお金を投じるためにはそれにふさわしいリテラシーを私自身がつける必要がある。社会への知見も音楽への幅広く深い理解も大切だと思う。そういう意味でも知見を広げるための自己投資は重要なのである。

さて。私の姿勢はこのくらいにして。

お金を語る難しさ

明快にお金の使い方をここで書こうと思っていたのだが、実はかなり難しいことが書きながらわかってきた。

1.お金は人それぞれに有効な使い方が異なる

これははわかると思う。

他人から見れば「それ単なる浪費だろ」「遊びにしか見えない」というものが当人からすれば「非常に有効な自己投資」だったりするのだ。

同じハワイ旅行に行っても、
毎年の恒例行事としていくのか。
ハワイの歴史文化を知るために行くのか。
ではまるっきり意味が違ってくる。

だから、こういうことに使え!という回答はない。一般解はないということ。

とはいえ、自己投資だと思っていても知らないうちに浪費させてしまう構造がこの日本の社会には多すぎる。かつ、それに流されているのにも気づかない人も多すぎる。難しいことだ。

2.お金に対しての異常なほどに執着が強い人が多いので、そういう人に話を理解してもらうのは相当に困難


お金の使い方やリテラシーは机上だけでは学べない。失敗したり損をしたり騙されながら、知見を高めることがリアルに資本主義を体験することだとも思う。
しかし、そこで学ぶべきは「お金を失わないこと=お金を使わないこと」ではなく「有効にお金を失うこと=価値ある対象にお金を使うこと」だ
これを見誤ると、いつまでたっても「自分がお金を使わないもの探し」をし続けることになる。
本来、人間は「どういうものやことにお金を使ったら自分と周囲の人たちがより豊かに暮らせるのか」を考えてこその生活であると思う。つまりお金を失ってもそれ以上に得るものを見つけられる、作りだせるか、である。
現実には「自分が損をしたくないと思う人=お金を失うことを極度に恐れる人」向けのビジネスは多い。不安を煽るのはビジネスの常套手段だと言ってもいい。
だから、ただお金を失わないように思っていると、尚更こういうビジネスの罠にはまってしまう。
「お得情報!」「買うなら今!」「低金利の今がチャンス!」「増税前に!」と言い寄ってくるビジネスは多い(実際にトクをするのは商売人に決まっているのに)。一筋縄ではいかない。多くの人は自分のトクになると思うことにお金を使う。お金をびた一文失いたくないと思う。しかしそこには大きな落とし穴がある。それが「常識」だ。


いちいち常識を疑う(人を疑うのではない)ことを癖にしておく

しかし、こう書きながら常識を疑うことの困難さはなくならない。常識は当然と思っているから常識なのであって、それが間違っていることを気付く方が難しいのだ。(もちろん常識を破っていく色々な方法はあるが、今回は割愛)

例えば一般的に、生命保険や住宅ローンが「浪費」だと思うひとは少ないだろう。
日本が高齢社会になった今、生命保険はリスクヘッジになるのか
生命保険は様々な投資運用をされている事実。保険会社がその運用に失敗していることが事実としてあるが、それでも生命保険はかけておいて安心なのか。
災害が続いている日本では今後災害に起因する保険料の値上がりが考えられる。
高齢社会の日本では死亡人数は急激に増える。その状況で生命保険料金は相対的に上げざるを得ない。逆に保険金は下げられる可能性が強い。配当も少なくなる。
これだけでも生命保険が決して有効なリスクヘッジではないと思えないだろうか。

空き家問題が露呈しているのにまだ新築マイホームを買うのか?
いうまでもなく、昔のニュータウンが高齢化し、空き家も増えゴーストタウン化している。それでもなお宅地造成して新築のニュータウンを作り続けている。人口減少の日本でこのような大きな買い物をするのは次なるゴーストタウンを生み出すだけではないだろうか。もちろん業者は借家より低金利の今は持ち家を勧める。それでいいのか。

これらは単にお金があればいい、ということではないはずだ。一人一人のお金の使い方で社会や環境が変わるのである。「今だけ」「金だけ」「自分だけ」ではバブル時代の成金と変わらない。
やはりなんであれ、お金の使い方は学ぶ必要があるのだ。

いやはや。書き出したらキリがない。まだまだ私も学ぶことが多いのでこの辺でやめておこう。
しかしながら、お金の使い方に関しては重要なことなので、やや無謀な表題と知りながらもあえて書いてみた。

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