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私は本を買って読みます

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私は現在は本は図書館では極力借りず、書店で購入している。もちろん決して金銭的にゆとりがあるわけではないので、無闇矢鱈に購入できない。
 とは言え、他はギリギリまで切り詰めても本は買う。これは譲れない。
 なぜなら、いつでも本を読みながら考えたいからである。

▶︎本代を確保するためには浪費を減らす

 お金が有限ならば無駄遣い浪費を少しずつ減らす。まず車は手放した。アルコールもほぼ飲まなくなった。

 以前目指していたトライアスロンも金がかかり過ぎるので、無期限延期。ついでにロードバイク、小径車(自転車)もやめた。(乗る分には金はかからないが、メンテナンスや行った先での飲み食いに猛烈に金がかかるのだ。)

 カメラにも手を出したがレンズ沼にハマりかけたので早々に退散した。オーディオは趣味としては今もやっているが、ケーブルに何万円もかけることはしない。しかし気をつけないとすぐ沼にハマるので怖いところだ。

 色々見直していると、日本は「浪費大国」だということに気づく。金があると金を使わせるシステム。金がないと不足や焦燥を感じさせるシステムとも言えよう。以下の本に詳しい。

 巧妙にも「節約しましょうと誘導する」ビジネスもある。批判するつもりではないが、お掃除カウンセラーなどというビジネスさえある。

 当たり前だが節約は個々人にしか決められない案件なので、最終的には自分で考えること。他の人のいわれるがままだと当然にカモにされることは知るべきであろう。

 スマホを見ていればSNSでは広告の露出が多く、ついそれに誘導される。Amazonなどのネットショッピングをみると、自分の買いたい商品をちゃんと表示してくる。巧妙なマーケティングである。

 街を歩けば勧誘看板試食など100%躱すことは難しい。浪費することを奨励するのがこの日本社会だ。

 ▶︎社会のカラクリを知り、冷静に考えるためには?本を読んで考えることから

 何のために本を読むのか?
 私は「社会のカラクリを知り、冷静に考えるため」と答える。
 本を買って読むことがなぜ必要なのか。理由が書かれている本(トートロジーみたいだが)はたくさんある。

 ちょうど今日読んでいた本に書いてあったので、紹介しておく。


 浪費が社会の問題ならば、書籍購入も浪費ではないか?と思われるかもしれない。
 それはある面で正しい。
 私も実は書籍を購入するときはいつもどこかで「ムダな本を買っていないだろうか?」と思って買っている。

 実際に読んで「失敗した!」と思う本を過去にも買っていた。これは浪費と言いたくないが、実際はお金の使い方に失敗したとも言える。

 しかし、こういう「失敗した!」という経験もないと、良い本を買うことも読むことも出来ないのも事実である。

 人によっては図書館で読んでから買うという人もいる。それはそれで良いと思う。しかし私の場合、借りた本だと真剣に選んで借りない。借りても期限が来るまでに読まなくてはならないので、積読ができない。いつでも読めないのも最近図書館を利用しない理由でもある。

 自分のためになる本だけ買いたい、無駄を避けたい気持ちはもちろ理解できるが、失敗なくしてはそういう良い本を掴む勘も育たない。無駄遣いや浪費も時には必要悪として捉えるべきである。

▶︎大切な本は何度も読み直すために買っておく

 本を買わないといけない最大の理由は「いつでも何度も読み直す」環境をつくるためでもある。
 自分の思考や認識を打ち破るには「自分の考えや想像の及ばないことを知る」必要がある。知らないことを知るには知らない世界に首を突っ込むことが必要だ。読書において、そういう自分の想像以上のことを知るためには自分の理解を超えた本=難しい本を読むことが必須になる。
 私にとっての読書は自分の現状を超えたものでないと意味がない
 もちろん、エンタメや娯楽としての読書も否定しない。それは時々でいい。ガチで難しい本を読んでいても疲れるし、頭が硬くなるから。
 逆説的になるが、「くだらない本」や「ダジャレ」や「冗談」がかえって思考を柔軟にすることもあるのだ。

▶︎単なる消費の読書か、自分の考えを広げ深める読書か

 書籍購入は一時的には「浪費」に陥る。娯楽でしか読書をしていないと消費のままだ。
 ならば、自分の思考や想像や価値観を広げて深める読書をするにはどうすればいいのだろうか?

▶︎オスメはまず「本屋のいつも行かないコーナー」に入り込むこと

 リアルな本屋があればまず立ち寄ってみよう。図書館でもいい。
 自分が全く関心のない本が置いてあるコーナーに入る。そして、最も手に取らない本をその場で読んでみる。
 私の場合だと、例えば「医学書」だ。それも「家庭の医学」ではなく、医師や医学生が読むような学術書や専門書だ。外科のオペの本でもいいし、何でもいい。そこでいろいろなことに気づく。
 まず驚くのは医学書の価格は高いということだ。専門書は高いことはわかる。しかし医学書は解剖学書など5万円超す本も少なくない。
 それまでの文庫本で日々を暮らしている私の「本の値段は数百円から数千円」という認識を軽く超えてしまう。
 それでもこれは面白そうだ、知りたいな、という本を見つけたなら財布を痛めながらあえて買ってみる。(もちろん高い本を無理して買えばいいというものでもない)
 そして自宅に置いておく。医者でもない自分が読むのは意味があるのだろうか、などと考えるかもしれない。それもまた一興だ。時々気が向いたら目次や前書きを見てみる。
 やはり内容を理解するのは難しいかもしれない。しかし、いくつかの疑問やトピックが得られるかもしれない。もし得られたら気に留めておく。
 ノートやメモをとってもいいし、取らなくてもいい。とにかく関心ごととして受け入れてみる。
 読みたくなったらいつでも読める状態とはこういうことである。

▶︎関心のある本を5冊まとめて買って読む

 5冊でなくても3冊でも10冊でも良い。複数冊、違う著者違う視点で書かれた本を買って読む。
 この場合、全部の本をいきなり読破することを目指さない。最も自分にとって読みやすい本を読み切る程度で良いと思う。
 ポイントはその1冊以外の本では関心トピックがどのように書かれているか、チェックしてみるのである。そうすればある部分は同じことが書かれているが、ある部分では真逆に書かれていることがある。
 「どれが正しいんだ?」と思うはずだ。
 大切なのはこの時である。
 ここでどれが正しいかという結論を出す必要はない。まずそれぞれの著者の視点論点の理解だ。
 文章が難しければ周辺から攻める。例えば著者の学歴、職歴、研究対象、専門領域、他の著書などが理解の助けになる。
 そうやっていると「著者の視点や論点が明確であればあるほど、それぞれに正しい」ということに気づく。それが論争の火種になり、議論を深めることに繋がるのである。
 (日本では論争や議論を「感情的な喧嘩」のように捉えて避ける向きが多い。その問題は考えるべき点である。)
 

▶︎最も重要な認識 「正解はひとつではない」

 著者が異なれば同じ出来事同じ案件でも違う結論になることが多い。ほぼ一致することもあれば、部分的にしか一致しない、または全く一致しないことも多い。
 ということは、読んでいる私たちも視点が違うのだから、一致させることは難しい。いや、一つの正解を求めるために本を読んではいけないということになる。
 確かに受験勉強は正解を求めるが、現実社会の出来事に一つの正解はないという認識を持つことを前提にした方がいい。
 一つの正解しかなかったのなら、むしろ隠されてしまった事があるのではないかという疑念を持つことも必要だと思う。

読書とは以上のような視点や論点を広げて頭を柔らかくするプロセスだと思う。また、そうやって読書を捉えると日常生活でも様々な気づきが起きてくるだろう。

そのためには、日常的に本を読み、考える状態にしておくこと。

だから、私は本はあえて買って読むのである。


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