選ばなかった? 選べなかった?

遅ればせながら...
note創作大賞の最終結果が発表されました。

お世辞にも「note需要」が高いとは言えない長編小説。
それにもかかわらず一次選考を通過することができたのだから、ある種の満足感はありますが...

それでもやはり、最後に名前がないというのはがっかりするもので。
入賞するしないももちろんなのですが、それ以前に書評を貰えるところまで行けないもどかしさは、如何ともし難い。


それからもっと「がっかり」だったのが...

大賞:該当作品なし

久しぶりにズッコケましたよ。肘を滑らせて。


募集作品は「オールジャンル」「制限なし」「なんでもあり」。
審査員には、専門ジャンルを持った人たちがズラリ。
それでいて賞の設定は「大賞1+優秀賞3」と、極めてオーソドックス。

一体どんな作品が「大賞」として選ばれるのか?

正直、自分の結果と同等もしくはそれ以上に興味津々だったんです。
なのに、蓋を開けてみれば、大賞なし。
そして、浮いた賞金を埋め合わせるかのように、優秀賞が倍に...


主催者&審査員さんたちは、一体「大賞」に何を求めていたのでしょう?

残念ながら、選後の総評に具体性を感じる言及はありませんでした。
・noteならではの図抜けた才能
・満場一致で推せる作品
・圧倒的なコンテンツの力
・「これは新しい!」と思えるもの...
よくありがちな、抽象的な常套句が並んでいるだけで。

そして、やっぱり出てきた「noteならでは」という言葉。
これまでにも、何度か似たようなニュアンスの表現を目にしてきました。
でも果たして審査する側の方々は、この言葉に対して具体的な青写真を描けていたのでしょうか...?

答えは「No」だったのかな、きっと。

だって、「noteが求めるものはこれ」という核がはっきりしていれば、あんなふわっとした、雲をつかむような歯切れの悪い言葉を並べる必要などありません。

我々の基準を満たす作品がなかった! その一言でいいんですから。

きっと、誰も「noteならでは」の基準を明確に定義することができなかったのでしょう。
ゆえに、それぞれの分野で培った「従来の基準」でしか審査せざるを得なかった、と。
でもそれじゃ、既存の賞レースと変わらない!

その結果が、優秀賞の雨あられ…
note小説大賞、note漫画大賞、noteコラム・エッセイ大賞、note実用書大賞、noteビジネス書大賞、noteノンフィクション大賞...

別々でよかったのでは? という寄せ集め感が、拭い切れません。


果たして、「大賞」にふさわしい作品が本当になかったのか?
それとも、「大賞」にふさわしい作品を選べなかったのか?

満場一致で手が挙がるような作品がなかったのは、事実なのでしょう。
ならばあえて大賞を選ばず空席とすることで、「noteならでは」の才能探しは始まったばかりだという期待感の醸成を狙ったのかも知れません。

でも、満場一致でNo.1が決まる賞レースの方が、世の中よほど珍しい。

私からすると、選ぶ覚悟、選んだ才能と命運を共にするという覚悟は十分だったのか? という疑問の方が遥かに大きかった。

「大賞なし」は確固たる信念や理由があって初めて、理解を得られるもの。
「過去の受賞作」という揺るぎない基準のある由緒正しき文学賞のように。

初回だからこそ、しっかり「noteならでは」とは何かを示して欲しかった。


もし二回目があっても...「絶対に参加する!」とは言えない自分がいます。皆さんは、どうお感じになったでしょう?



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