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倫理や正義とは利己主義のことだ

「地球を温暖化させた人類は自然を壊す悪い奴ら」という表現があるが、地球はそんなこと思ってないと断言できる。

人類が登場する前は10万年くらいの周期で何度も氷河で覆い、生命を殲滅してきたのが地球だ。

ほんの数百年の間、ほんの数度気温が上がったからといって、いちいち気にするはずがない。

数万年後には氷期にして生物を全滅させるのが地球のデフォルトだ。

人類はおろか、あらゆる生物の保護とか、はなから意識しない。

Ruddimanという学者の仮説は面白い。

本来であれば地球は氷期に突入する時期に入っており、人類による温暖化が寒冷化を遅らせているという説だ。

http://polaris.nipr.ac.jp/~kawamura/wakateS?printstate=true

この説が正しければ、地球温暖化は人類を救っていることになる。

「自然のままに寒冷化するか、人為的に暖かくするか」という、今行われているのとは、まったく別の選択となる。

Ruddimanの説の有無にかかわらず、これまで氷期が定期的に繰り返されていたのは事実だし、自然状態ならば次に氷期がやってくるのも間違いない。

氷期がやってくる時には、温暖化は人類と生命を救うための善い政策となる。

じゃあ、なんで、今温暖化を問題にしてるかというと、「数万年先のことなんかどうでもいい」、「目前の数百年のことだけ考えるべき」だという、長期視点の切り捨てに過ぎない。

地球に優しいとか倫理がどうとかじゃなく、数万年の将来はどうでもいいほど遠い非現実として関心から外し、数百年の将来のみを重要な現実としてとらえる、今の自分たちの利益を優先すべきというリアリズムの表れに過ぎない。

今の自分たちに遠いものはどうでもいいというのは、時間軸だけではない。種族の命の大切さにも同じことが言える。

この世には二種類の存在、「私たちと私たち以外」しかいない。

「私たち」と「私たち以外」の境界をどこまで遠くまで延ばして線を引くかだけで倫理の基準が決まる。

私たち以外を異教徒の線で引けば狂暴な感じになるし、サルやイルカまで延ばせば動物愛な感じになる。

微生物やウイルスにまで延ばすのは奇特な一部宗教だけだ。

(微生物を吸い込んで殺さないようにマスクするジャイナ教とか)

一番狭く引けば「俺か、俺以外か」のホスト的生き方になる。

多数派は、「人類かそれ以外」かの線引きだろう。

人道主義といえば無条件に善良な感じがするが、人類仲間で境界線を引いて、人類以外を切り捨てる基準のことだ。

温暖化防止にせよ、人道主義にせよ、一定の時間的・生物種的な距離で線引きしているにすぎず、絶対的な倫理でも普遍的な正義でもないことは忘れずにいたい。

どこで線を引くかの距離の程度問題にすぎない。
誰しも一度は「あいつらの正義は独善的でわがままだな」と思ったことがあるだろう。それもそのはず。倫理も正義も利己主義の一種だ。
倫理とは、利己を起点として「排他」する境界線の位置決めのことだ。「利己主義の一類型」といっても間違いではない。
宗教や国家間の争いを正義と悪との戦いだというのは双方が主張するのはお約束だし、じゃあ正義と正義の衝突かというと何が何やらわからない。
利己主義同志の衝突だと分かればとてもシンプルに理解できる。

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