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語られなかった空白の半年

はじめに


皆さんこんにちは。

ジュンです。

僕は今大学を休学をして、自分のやりたい作品作りに向かって全力疾走しております。

そして今日から世界一のエンターテイメントを学びに3ヶ月程ですが、アメリカに行ってきます。
(マジで楽しみ✨実はこれを書いてるのも飛行機の中。)

今では自分のやりたいことが見つかって、後はやることをやって結果を出すだけです笑。


そんな僕もちょうど1年前までは全然やりたいことがありませんでした。

ただ単位を取るために大学に行き、サークル活動に励みながら、飲み会の日々を過ごしていました。
(今思うと、この時間も楽しかったし、大切な仲間と過ごした大切な時間で、僕にとっては良い思い出です。)

将来何するんだろう。

こんなんで成功するんだろうか。

刺激があまりない日々を過ごしながら、ただ時間だけが過ぎていく毎日。

このままでは駄目だと、なんとかして、この日々から抜け出したいと思い、

もがいてもがいて
動いて動いて
失敗しまくって
それでやっと今があると思っています。

そんな日々から抜け出そうと思い始めた去年のちょうどこの頃。

この時の思いや苦悩を、記憶が鮮明なうちに、忘れないように今これを書いています。

エッセイを書くのは、初めてですが、是非読んでもらえると嬉しいです。

かといって、エッセイだと少し長くなってしまうので、
簡易版(何があったのかの事実だけを時系列順に並べたもの)を下記に書きましたので、軽くだけでも読みたい(知りたい)という人は是非読んでくれると嬉しいです。


(簡易版)


20歳の誕生日を迎える(2021年10月2日)

何もやりたいことがなくて焦る

けど、行動しないと何も変わらない
俺が好きなん何だっけ?

映画だ!
俺もすごい映画を作ってみたい!

よし!とりあえず映画を撮ってみる

作り終えて、めちゃくちゃ楽しいと思えた

めんどくさがりの僕は、地道に映画を作れば良かったのに、もっと早く成り上がれる方法がないかと探し始める

そして、成人式(2021年1月)
同級生の前で「世界一のエンターテイナーになる!」と断言!

その頃まさかまさかのキンコン西野の会社のインターンに書類合格!

自分が1番尊敬する人と一緒に働けるチャンス

このチャンスをものにすれば大きい!

よし面接を受けに東京に行こう!
いざ、面接へ!

だが、結果ボコボコにされる

面接が終わっても悔しくて、東京周辺を茫然としながら歩き回る

そして、その夜、大阪に夜行バスで帰る。

しかし、あの時見た東京の景色、憧れが消えなくて、どうにかして東京に行って一発かましたかった。

そんなところに、東京のショートムービーマーケティングをしてるベンチャー企業にインターンがあると知る。

東京を諦めきれなかった僕は最後のチャンスと思い、応募する!

そして、3回の面接を経て無事合格!

そして、大学を休学して、いざ憧れの東京へ!

初めてのことだらけで、何もうまくいかない。
しかし、「俺は人生に変えにきたんだ」という想いを頼りに、気合いで乗り越える。

しかし、1ヶ月死ぬほど働いたが、「これがやりたかったことだったっけ?」と思うようになる。

けど、大阪から東京に来て、休学までして選んだ自分の選択肢を正解にしたくて、頑張って耐える

しかし、やっぱりその後1ヶ月経ったが、その自分の違和感は変わらなかった。

辞めるわけにはいかないし、かといってやりたいこともないし。
俺何のために休学したんやろ。
ただ単に強がって、休学までして、結局口では偉そうなこと言って、「キンコン西野みたいになりたい!」みたいなこと言うて。
休学して西野にちょっとでも近づけるんかな思ったら、全然近ならへんし、遠ざかっていく一方。
マジで、どーしよ。詰んだわ。

低迷してた時にちょうどゴールデンウィークがやってくる。

そして、頭を冷やしにタイに一人旅に行く。

自分と向き合い続け、自分のやりたいこと、自分の進路、今後何をすれば良いのか、ありとあらゆることを考えた。

そしてタイの自由気ままな生活に翻弄される。
そしてこのまま帰っても何も変わらない、あと少しで自分が本当にやりたいことが見つかるもしれないと思い、タイにいることを決意!

そして、ついに自分の本当にやりたいこと、大切な価値観が見つかる。

そして、帰国してすぐさまインターン先に謝罪に行く

そして、自分のやりたいことと会社との方向性の違いで、インターンを辞める。

そして、映画を作り始める。

脚本とか、編集とかちょっと学ぶも、あまり進まない。

そーいえば知り合いに映画作りたいって言ってた人おったな。

一回話をして、意気投合して一緒に映画を作ることに!

それで現在❗️(2022年10月2日)
(絶賛、制作中!)


■20歳になってからの焦り


2021年10月2日。
僕は20歳になった。
20歳になっても特に何も変わらないと周りの人から聞いていた。
実際にそうだった。
しかし、ある気持ちだけはますます強くなる一方だった。

将来の焦り。
その気持だけは全然なくならなかった。
年頃の悩みでもあり、以前から抱いていた。
しかし、いざ20歳になるとその気持はますます強くなり、次第に焦るようになっていた。

まだやりたいことが見つけられていない。
こんな状態でホントに将来大物になれるのか?
西野さんみたいなエンターテイナーになれるのか。
(僕はキングコング西野さんを尊敬していて、人生のロールモデルでもある。彼からエンターテイナーとしての生き方を学んでいる。この時も西野さんを目標にしていた。)

刺激のない毎日。何か自分を変えてくれるモノに出逢いたい!
『何か』に出逢えば自分は変われる気がするみたいな他力本願ばかり願っていた。
そんなんあるはずないのに。

まーでもとりあえず行動!
行動しないと何も始まらない。
俺が好きなのって何だったっけ?
映画だ!映画!
よし、映画を作ってみよう!
そうして、僕は映画を作ることになった。

■映画を作ってみた


最初はなるべく工数の少ない映画!
素人の作る長い映画なんて誰も見ない。
短くて、面白い映画。
それにしても何を作ればよいのか。
それでネットで色々調べていると、「スティーブジョブズ、社員に激怒。エレベーター内で社員をクビ。」という記事が出てきて、これを面白く映像にしたら面白いのでは?と思った。
#それは映画じゃないやろという反論は認めません !!!
#素人は何の実績もないから 、何かにあやからないといけない。そうなった時に偉人の凄エピソードを面白く映像にすればワンチャン見てもらえると思った。

そして、すぐにシェアハウスのメンバーにお願いして、協力してもらって作った。
そうして出来上がったのが、アップル創業者スティーブ・ジョブズが主人公の映画である。


作り終えて、個人的にはめちゃくちゃ上出来であった。
クオリティや自分の演技力はさておき、何回見ても面白くて、ツボる。
山田の演技というか絶妙な表情が最高に面白いのである。
(共演者の山田(通称:ダック)は天性の才能を持つオモロイ奴だ。)
そして何より、仲間と作品を作る時間が好きで、良いモノにしようと話し合う時間が好きだということに気付いた。
そしてこの気持が僕が作品を作ろうと思える理由である。
今思えば貴重な原体験であった。

そして、僕が所属する起業サークルの顧問にも見せると
「最初はこんな感じでいいやんかー。とりあえず作ってみて、段々上手くなっていけばええねん。」
褒めてもらえて嬉しかったし、何より冗談なしに心の底から笑っているのを見て、作って良かったと思えた。

そして、この言葉に素直に守り、愚直に映画を作り続けていれば、ちゃんと話を聞いていれば、こんな遠回りをせずに済んだ。
ちゃんと地道にコツコツ頑張っていれば、この休学期間はなく、遠回りせずに済んだ。
#なんてバカなやつだ

それがどっこい、プライドが高くて、飽き性の僕はその言葉を受け入れながらも、内心
「こんなレベルで、将来凄い映画作れるようになるんか?」
「俺はもっと凄い作品を作りたいねん!」
(今思うと、この時の僕は正直この時は焦りに焦っていて、早くゴールに辿り着きたかったのだろう。)

最初は出来ることを地道にやらないといけないのに、僕はそれを放棄してもっと近道はないのか?と探し始めるようになった。
そうして僕は出口のない迷路に放り込まれたのである。

■成人式での誓い

そんな気持ちのまま、月日が過ぎ、1月になり成人式になった。
久しぶりに会ったみんなと再会。
そして、成人式で親に感謝の言葉を述べる時間があった。
そこで僕はオカンにサプライズ。
オカンが1番好きなブランドであるカルティエのネックレスをプレゼント。
#会場どよめく
#サプライズ大好き人間
#オカン号泣 。あのときの顔今でも忘れられん。
#お金吹っ飛んだ

そして皆の前で締めの一言
「世界一のエンターテイナーになります!」と宣言。
#自分で自分の首を絞めに行くスタイル
#自分の夢みんなに公言するん大事やん

そして成人式は無事終了した。
親へのサプライズは無事成功した。
しかし、僕の心の中には将来の不安と焦りがあったし、みんなの前で、世界一のエンターテイナーになると宣言してしまった。
もうこんなんやるしかないやん。

んで一体どうすれば俺は西野みたいになれるんや。
西野さんみたいなエンターテイナーになるにはどうなればいいのか?
焦りに焦っていた。

■西野インターン1次審査にまさかの合格。面接へ!

そこから数日が経ったある日、一件のメールが届いた。
そのメールというのが、西野さんの会社のインターンの書類審査に通ったので、是非面接に来てくださいとのことだった。
え、まじで!?
俺が尊敬する西野さんのインターンの一次審査にうかってしまった!
まさか、まさかだった。
巷では、応募数がとんでもなく、書類審査に受かるのもごく一部の世界。
僕みたいな何もなせていない者が受かるとは思っていなかった。
これとないチャンスが回ってきたのだ。
これをモノにするしかない。
このインターンで経験を積めれば西野さんに近づける。
そんな淡い期待を抱きながら、僕は深夜バスに乗り東京に向かった。

面接は五反田であるということなので、東京駅から慣れない山手線に乗り、五反田に向かった。
そして、スタバで面接のシミュレーションを終え、いざ!

会場に向かうと、チムニータウンの社長のヤンさんが待っていた。
(キンコン西野さんの会社は西野さんが社長ではなく、ヤンさんという人が社長をしている。)
これがヤンさんか!
なんかいかついな!
そんな感じで面接が始まった。
そして、結果ボコボコにされた。
全てが甘かった。
こんな生半可な気持ちで受けるべき場所ではなかった。
僕の上部だけの思いや、なんでこのインターンに来たのか。
そこを全部見破られた。

僕は初めて一流の人との差を感じた。
こんな凄い人なんや。
それは、今の俺じゃ無理やわ…
えげつなく頑張らなその境地に行かれへんやん。


そして、メンタルがボロボロになった状態で東京をふらついた。
あんまり記憶にないが、映画を観たのだけは覚えてる。
#気を紛らわそうと必死だった
そしてその日バスに乗って大阪に帰った。

■諦めきれない憧れの東京

その後大阪に帰るも、やっぱりあの時に見た、東京の景色が忘れなくて、このまま現実世界に戻るのが嫌で、

どうしても東京の憧れが諦めきれなくて、そして僕はどうにかして東京で働けないかと模索し始めた。

このままじゃ、ふつうに3年生になって、またダラダラと大学生活を送るだろうと思っていたから。

そして、知り合いの先輩の友達にショートムービーマーケティングの会社に行ってる人がいることを知った。

そして、ネットで検索して、会社のサイトを見ると、なんともイケてそうで、活気あふれるベンチャー企業だった。

ここなら、俺も成長できるかもしれない。

すぐにその先輩に連絡をし、繋げてもらった。

■東京のベンチャー企業に合格

「キン君がやりたいと思ってることとはちょっと違う気がするけど、キン君は本当に大丈夫かな?」
「はい!大丈夫です!」
この時の僕は東京に行きたい!という気持ちが強くなりすぎていて、手段が目的になっていた。
(インターン先の会社はショートムービーを使って企業のマーケティングをお手伝いするのだが、僕がやりたかった映画制作やCMとは違っていた。けれども大きな括りでエンタメをしてることに変わりはないので、まー大丈夫だろうって思っていた。)

そして、念を押してくれたインターン先にも、問題ないと言いきった。
そして、僕は東京のベンチャー企業にインターンすることになった。
ここから一生をかけた大勝負。
僕の胸は高鳴っていた。

■全てが初めてのインターン生活

入社してすぐに20歳の現役大学生が入ってきたと噂になっていた。
やる気を買ってもらってるんだから、はよ結果出そう。
インターンとは言っても、フルコミットで働くので、他の社会人とは全く区別なく働く。
だからインターンだからという生ぬるい言い訳なんか通用しない。

当初はめちゃめちゃやる気のあるやつだった。
上司に言われたことはまめにメモを取り、知らないことは事前に調べて、その上で上司に質問していた。
しかし、インターンが始まって二週間位で自分の心の中での違和感に気づいた。

これが俺がやりたいことやっけ?
これって誰でもできるやん。
何で俺がこれせなあかんの。
わざわざ休学して来てんのに、なんか全然将来に直結してないねんけど。

それを上司に伝えると、もう1ヶ月ちゃんと向き合って取り組んでみ。
そしたら、また見えてくるものがあると思うで。と言われた。
生半可な気持ちで東京に来たんじゃないんや。
俺は人生変えにここに来たんや。
そう自分をふるい立たせて、僕はもう1ヶ月頑張ってみることにした。

■どうしようもできないジレンマ


しかし、1ヶ月頑張ってみたが、自分の中での考えは変わらなかった。

その時期、親や友達とオンラインで話す機会があったが、そこで僕は「楽しくない。やめたい」と言えなかったし、逆に
「めっちゃ楽しい。毎日成長してる気がする!」と強がっていた。
だって「成長して帰ってきます!」といって、わざわざ大阪から東京まで休学してきたのだ。弱音など言えるはずがなかった。
自分にも自分がした選択は正しいと何度も言い聞かせた。

辞めるわけにはいかないし、かといってやりたいこともないし。
俺何のために休学したんやろ。
ただ単に強がって、休学までして、結局口では偉そうなこと言って、「キンコン西野みたいになりたい!」みたいなこと言うて。
休学して西野にちょっとでも近づけるんかな思ったら、全然近ならへんし、遠ざかっていく一方。
マジで、どーしよ。詰んだわ。
当初の気合いもすっかりなくなっていて、メンタル的にももう限界だった。

■タイへ国外逃亡


ぼくはもう何をやれば良いのか分からなくなっていた。
わざわざ休学して、自分の目標に向かって突き進むべきはずなのに、大切な目標を失っていたのだ。
「なんのために休学したのか。」

そんな負のループを永遠と繰り返してる、矢先にゴールデンウィークがやって来た。
そして、このタイミングで色々と整理をしたいと思い、インターンで稼いだお金を全てはたいて、僕はタイに旅に出ることにした。
#タイって一人旅の王道じゃないっすか
#初海外一人旅

■気づいたこと

一週間ほど経ってすぐに気づいた。
俺何してたんやろ
何をそんなに気難しく考えてたんやろって

タイって国風が自由な感じで、仕事してるよりずっと楽しく遊んでる感じで、ずっと働き詰めでインターンしてた自分にとっては、あまりの衝撃だった。

世界はこんなにも広かったのか
ぼくが見てきた世界はなんて狭かったのだろう
(海外に出て、日本を客観視したことで、日本の小ささ、自分のちっぽけさを痛感したのだ。)
そして、なんでこんなにも僕はもがいていたのかと思って、バカらしくなった。
もっと気軽に考えればよかった
せっかく、休学して自分の好きなことできるねんから、そんな深く考えずにもっと好きなことすれば良いねん。

ここでは長くなってしまうので省くが、このタイの一人旅は僕に色んなことを教えてくれた。

そして、その一つに
人生一回きりであり、他人の目や他人のことに構ってられないということ。

てなれば、自分が将来をかけて、やりたいことに全力投球するしかないのだ。
やりたくないことにわざわざ時間をかける必要がない。
#もちろん 、やりたいことをしようと思えば、やりたくないこともしないといけない。
しかし、この場合でいうと、僕は映画というものがあるのに、わざわざ別分野のインターンをやる必要がないということ。

その後僕は日本に帰国し、すぐにインターン先に行って、謝罪した。
(僕の実力不足と責任不足であった。本当に申し訳ないと思っている。)
そして、この期間思っていたこと、自分がやりたいことが見つかったこと全てを話した。
そして、僕はインターンをやめた。
そして自分がやりたいことをしている。
今仲間と映画祭にむけて映画を作っている。

(終)

■さいごに

今までのことを一言でまとめると、
「映画(作品)が好きで、作り続ければ良かったものの、他に近道がないかと探し求め勝手に焦り、東京に行けば何か変わると思い、東京に飛び込むも、何も変わらず、現実逃避のためタイに逃亡して自分を再発見して、やっぱり映画しかないと、1年かけて、またスタート地点に立った何とも馬鹿な大学生ということです!笑」

まーそんな感じの半年を過ごしていました。
なんかこんなに長々と書いたんですけど、特にオチっていうオチもないんですが、締めとして、ぼくがここで伝えたいのは3つあります。

①行動しないとなにも変わらない

マジでこれに尽きるかなと。
そもそも行動してないと、巡り合わせるチャンスを失ってるわけで、そのチャンスを少しでも上げるためにも、行動し続ける。
自分がこれ!と思った分野に関して行動しまくる。
もっと言うと、打席に立ちまくる。
これは有名な話ですが、超天才画家のピカソの作品数は他の画家と比べて、作品数の桁が2つ、3つ違っています。

これはつまり、他の画家より10倍、100倍作品を出しているということで、他の画家より打席に立ちまくってるということです。

その結果かの有名なゲルニカであったり、ほにゃららといった作品が生まれたのです。
#ゲルニカ知りまへん

天才がそうであるならば、何も結果を出せていない素人なら言うまでもないです。

②日々の努力でしか将来は変えることができない

地味に努力するしかないということ。
そもそも、1日は24時間あるわけで、時間は皆平等に与えられている。
そして、その時間を遊ぶのもよし、勉強に使うのもよし。
けど、その時間の使い方を変えること、日々の努力でしか将来は変えられないし、現状の自分を変えることはできない。

僕が尊敬する西野さんも1日平均20時間働いて、ずっとアトリエにこもって作品を作ってる、大の努力家。凄い人たちはみんな驚くほどの努力をしているのだ。

時間を変えるか、付き合う人を変えるか、環境を変える。この3つでしか人は変わることはできないとどこかの有名な経営者が言っていたが、ホントにそうだと思う!

それを人事のように、
「いや、西野さんだからできるんだよ!」
とか、
「それは生まれ持った才能を持つ人しかできないことじゃん」
とかそーいう再現性のない負け惜しみで終わらすのは違う。
ただ単に努力していないだけのことだ。

③自分の強み、好きなことでしか続かない

まーもちろんそれが見つからないと思うかもしれないが、それはさっき①でいった行動していった先に必ず見えてくると思う。
その上で③なのだが、
└そもそもその分野を好きでやってる人がいるのに、嫌々やってる人はどう考えても勝てるはずがない
そもそも、好きでやってる人は掛けてる時間が違うわけで、かつ嫌とも思ってないので、寝食忘れて夢中になってやれるのだ。
そんな人を相手にするくらいなら、他に自分が夢中できる分野を探した方がいいと思う。
あと、これは西野インターンでボコボコにされた時に社長に言われたことだが、
社会人をやっていると、ある分野において、絶対にこの人には勝てない!と思えることがあるだそうで、てなればその人に勝てるとこはどこだろう?って思うようになり、その積み重ねで自分の強みがわかってくるのだそうです。
ある分野における自分の才能に見切りをつけて、他の分野で極めて勝つ。
#勝てない戦はしない 。勝てる戦しかしない。
#孫氏の兵法

みたいな感じです。
まー僕もやっとスタート地点に立てた感じです。
ほんまに遠回りしました。

まーでもこの遠回りは自分の映画が作りたいという思いを再認識できた意味でも、ムダでは決してなかったと思います。

何より
自分が人生で初めて自分が考えて悩んで選んだ選択肢で失敗したということが1番の経験値かなと思っています。
今まで自分の進路を振り返ったときに大きな選択(主に受験先)をしたことがなくて、ほとんどが親の選択であったし、自分で選択したことがあまりありませんでした。
まーそんな感じで壮大に失敗しましたが、今では笑い話。

まだやりたいことが見つかってなくて、焦ってる人がいれば、こう言ってやりたいです。

焦ってもしゃーないから、地味に頑張るんや!
「誰々みたいになりたい!」とかそんな表面だけで判断せんと、しっかり努力しろ!
そしたら、道が見えてくる。

ほんまに1年前の自分に言ってやりたいです。

人生うまくいかないことだらけですが、頑張ってたら、頑張って良かったと思える、嬉しいことに出逢えると思います。

こんなに偉そうに言ってますが、僕もまだまだ三流者です。

はよ、一流になれるように頑張ります🔥

これ読んでもらって、少しでも参考になることがあれば幸いです。

地道に毎日、お互い頑張りましょう。

それでは、また。

안녕

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