Jagatara2020@渋谷クラブクアトロ

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2020年1月27日(月)

渋谷クラブクアトロで、Jagatara2020「虹色のファンファーレ」。

開演前、会場には昔のじゃがたら(じゃがたらお春)のライブテープが流れていて、「もうがまんできない」がかかったとき、観客みんなが江戸さんの声に合わせて歌っていた。この時点で、これから始まるライブはバンドがステージで演奏して観客がそれを観るだけのライブではなく、ステージの上も下もなしにそこにいる全員が自分自身の思い(じゃがたらへの思いだったり、あれからの日々の暮らしの思いだったり)を確認したり昇華させたりする場になるのだと悟った。

予定開演時間が15分ほど過ぎたところで暗くなり、オープニングは吹越満さんとトロンボーン・村田陽一さんふたりだけのパフォーマンス。吹越さんのあのパフォーマンスを言葉で説明するのも野暮なのでしないが、突飛で可笑しくてカッコよくて、膨らんで客席にまでビヨ~ンと伸びたアレは何かを象徴してもいるようだった。

そのビヨ~ンと伸びたアレに気を取られているところでバンドメンバーがぞろぞろ登場して定位置に。メンバーたちは物販でも限定で売られていた虹色のTシャツ(真ん中にフェラ・クティのような江戸さんがプリントされている)を揃って着用し、南流石さんだけが江戸さんの絵(エンドウソウメイさんの手によるもの)がどーんと大きく描かれた白衣を着ていた。

Jagatara2020の今回のメンバーは、Oto(ギター)、Ebby(ギター)、中村ていゆう(ドラムス)、南流石(うた)、ヤヒロトモヒロ(パーカッション)、関根真理(パーカッションとコーラス)、吉田哲治(トランペット)、村田陽一(トロンボーン)、エマーソン北村(キーボード)、宮田岳(ベース)。中盤からここに北陽一郎(トランペット)とko2rock(サックス)も加わった。

昨年3月の「TOKYO SOY SOURCE 2019」では不在だったヤヒロトモヒロさんが今回参加されていたのがとても嬉しかった。ヤヒロさんがいてこそのじゃがたら、というのは、昔のじゃがたらのライブを観ていたひとに共通する思いであるはずだ。がしかし、「TOKYO SOY SOURCE 2019」にはいらしたユカリさん=Yukarieが今回いなかったのが気にかかった。単にスケジュールの都合みたいなことならいいのだけど。

↓こちら、昨年3月の「TOKYO SOY SOURCE 2019」の感想文です。

江戸さんの立っていたステージ中央には南さんが立って、まずは挨拶。「ぶっちゃけノンストップで3時間越えるから。安全第一で助け合っていこう。今日は思いやりのあるラブリーな時間にしたいと思います」と宣言し、1曲目が始まった。「裸の王様」だ!。「TOKYO SOY SOURCE 2019」のときもそうだったように、あのイントロのギターが鳴った瞬間、自分を含めそこにいるみんなが感じたはずだ。「ああ、(紛れもなく)じゃがたらだ!」と。ヴォーカルはEbbyさんがとった。

じゃがたらメンバーだけの曲がもう1~2曲あるかと思っていたが、この日の司会進行を務めた南さんからここで早くも最初のゲストヴォーカルの名前が呼ばれる。田口トモロヲ。江戸さんの顔がプリントされたTシャツをジャケットの下に着ていたトモロヲさんが歌ったのは、「でも・デモ・DEMO」だった。カラダ全体を躍動させて歌いながら激しく客を煽る。久しぶりに観る、こういうトモロヲさん。早くも興奮の坩堝状態。

続いて「ロマンチック狂気の男」と南さんから紹介されたのは大槻ケンヂだ。「ナゴムレコードが続きますけど」と言いながら登場し、歌ったのは「タンゴ」。この曲が大好きで、よく自分のライブでも弾き語りで歌っているのだそうな。が、今回のそれはハードロック風のアレンジになっていて、確かにオーケンのヴォーカルにピッタリなのだが、何百回と聴いて馴染んできたあの曲とは別物のようだった。かっこいい、新鮮だ、と感じたひともいただろうけど、ちょっと戸惑ったひとも少なくなかったかもしれない。アレンジしたのはEbbyさんで(嘘かほんとか「モトリー・クルーを参考にした」とのこと)、オーケンは「こうやって今もじゃがたらは進化し続けてる」みたいなことを言っており、うん、確かにそうだなとも思いつつ、しかしやっぱりこの曲はオリジナルのあの感じで聴きたかった気もしないでもなかった。

でもあとで思い出したんだが、「タンゴ」というか「LAST TANGO IN JUKU」は、もともとロックっぽかったものを、Otoさんがバンドに入ってレゲエっぽいアレンジに変えたと何かで読んだか聞いたかしたことがあった。もとのロックっぽさと今回のアレンジのロックっぽさが似たものなのかどうかはわからないけど、もしかすると今回のアレンジはもともとのあり方に通じるところもあったのかもしれない。

3人目のゲストは、鮎川誠さん。「シーナ&ザ・ロケッツとじゃがたらは一緒に80年代をぶっとばしました。仙台ロックンロールオリンピック、渋谷LIVE INN……。今日はアケミの追悼だけど、“新しいじゃがたらのお祭り”みたい」。そんなふうに言ってギターを弾いたのは「Black Joke」。ヴォーカルをEbbyさんとOtoさんがとった。鮎川さんのギターがよく映えるロックンロール曲だが、聴きながら、これをやったのはフールズへの思いも?と頭をよぎったり。Ebbyさんは大リスペクトする鮎川さんと共演できたことが本当に嬉しかったようで「興奮冷めやらぬ…」とも。

4人目のゲストは、DEEPCOUNTのNobuこと桑原延享さんだった。「TOKYO SOY SOURCE 2019」では七尾旅人と「都市生活者の夜」を歌ったNobuさんだったが、ここでは「FADE OUT」を。歌う前にこう言った。「40年くらい前、スタジオを訪ねたとき、あんた(江戸アケミ)はこの曲のリフを繰り返していた。あの日は一緒に外で光を浴びて…。あのときの新曲”FADE OUT”にオレはオレの歌詞を書いてきました。40年かかったよ」。それまでのこのライブの祝祭的なモードとは変わって、音も、言葉も、実にヘヴィなものだった。Nobuさんの書き足した言葉は確かに40年分の変わらない現実と氏の思いが横たわったもので、ズッシリと響いた。それは確かに「FADE OUT」の完成版というか、まさにJagatara2020の「FADE OUT」、2020年の「FADE OUT」なのだと思った。江戸さんの歌を死後に聴いてリスペクトしてここにいるひともいるが、Nobuさんは江戸さんとひとりとひとりの関係性で向き合ってきて、今もそういう形で内側に江戸さんが存在し続けているのだろうと、甘さの少しもない表情で歌われる2020年の「FADE OUT」を聴いていて、そう感じた。

続いては町田康の歌った「アジテーション」。「FADE OUT」同様、これまた強力にヘヴィだ。Otoさんのギターリフがやばい。もってかれる。それと南さんと関根真理さんによる「チュッチュ~、チュッチュ~、ワ~」というあのコーラス部分を聴いて、昔が甦る。後半、町田康さんは「ガッツでのりきれ」という江戸さんの言葉も加えて叫んでいた。

6人目のゲストは、この日の出演者のなかで最年少となる折坂悠太さん。「アケミさんが亡くなった年に生まれました」と言う現在30歳で、「同世代のミュージシャンたちから、自分もそこに行きたかったと羨ましがられた」とも話していた。つまり、この世代のミュージシャンのなかにも、じゃがたらの音楽をちゃんと聴き継いでいるひとがいるということ。バトンを受け取っているひとがいるということだ。弾き語り(Otoさんらが静かに音を重ねはしたが、印象としてはほぼ弾き語りに近い形)で歌われたのは「中産階級ハーレム」で、その歌は確かに江戸さんの魂とか心といったものを引き継いでいる感じもあって、かなり揺さぶられた。最後の「だ~いじょうぶ、マイ・フレンド」の意味までも彼は自分なりに理解し咀嚼して口に出しているようだった。だからか、歌い終わったときの観客たちの拍手はとても大きなものだった。

続いてはこだま和文さんが登場。なんだかいつもより柔らかでにこやかだった。歌ったのは「ある平凡な男の一日」だ。「今日は~、とっても~、よい日だぁ~」。こだまさんがそう歌うと、どうしたってこだまさんのエッセイにあった江戸さんとのエピソードを思い出してしまう。別れ際に「こだまちゃん、今日はいい日だったよ」と江戸さんが言ったというあのお話。ひそやかな”いい日”の価値というか概念というかがきっとふたりは一緒で、こだまさんはいまもずっとその価値を音楽や言葉や写真にしていて、だからこの日歌った「ある平凡な一日」の最後のほうではポエトリーでこんなご自身の言葉を織り込んでいた。「大切な日々の暮らし。誰にもおびやかされない日々の暮らし。生きていること」。

次に呼ばれたのは向井秀徳さんだった。歌われたのは「つながった世界」だ。向井さんもまた歌の途中で、「繰り返される諸行無常」などとご自身の言葉をもとの歌詞に加えていた。Nobuさん、こだまさん、向井さん、それからライブの後半で登場したいとうせいこうさんのラップもそうだが、このように、この日じゃがたらの歌に自身の言葉を加えて歌ったひとが数人いた。そうすることで、じゃがたらの歌は自分の歌にもなり、2020年現在の歌にもなる。じゃがたらの歌、江戸さんの歌詞というのは、そういうふうに育っていく特性がもともとあったということなのかもしれない。

このあと30年ぶりのじゃがたらの新曲のうちの1曲が初披露された。新CD『虹色のファンファーレ』に収録された1曲「れいわナンのこっちゃい音頭」だ。ギターを桜井芳樹さん、ヴォーカルをこの曲の歌詞も書かれたTURTLE ISLANDの永山愛樹さんがとった。「新しいじゃがたらの曲を作ることに携われて本当に嬉しいです」と言った永山さんは、まさに全身で歌っていると思えるほどに激しく熱が入っていた。この曲を初めて聴く観客ばかりであるはずなのに、音頭の「なんのこっちゃ~い・なんのこっちゃい」というところをみんなが歌っていて、自分も歌ってみながら江戸さんだったらこうして完成したこの歌をどういうふうに歌っていたか想像してみた。

続いて呼ばれたのは、不破大輔さんと七尾旅人さん。ほろ酔いの不破さんは「宇宙で一番大好きなじゃがたらというバンドの、その中にいることを光栄に思います」と言い、七尾旅人さんは「アケミさんと同じ高知の出身だけど、アケミさんは四万十川。一回行ってみてください。どれだけアケミさんが凄いか思い知ると思うので」と言って、それから「都市生活者の夜」を。「TOKYO SOY SOURCE 2019」の感想として書いたことの繰り返しになるが、「昨日は事実、今日は存在、明日は希望」という歌詞は、誰が歌ってもリアリティを持つものではない。が、震災のあったあとからいままでそれに向き合った表現をしてきた七尾旅人さんがその言葉を歌えば、そこには実感が伴う。ということを今回もまた思いながら聴いた。曲後半のふたりのアドリブの掛け合いが凄かった。

この夜、帰ってから書いたという彼の一文も鋭くて素晴らしいです。↓

続いては、高田エージさん、いとうせいこうさん、そして近田春夫さんが順に呼ばれてステージに。ハルヲフォンのTシャツの上にビブラストーンのパーカーを羽織っての近田さんの登場は、どこか自分のバンドの最後に出てくるジョージ・クリントンを想起させた。「オレがでてきたのに盛り上がりが足りない!  もう一回やり直しだ!」と言ってやり直しをさせる……というネタをぶっこむ近田さん、やばい。エージさんが歌って、せいこうさんがラップして、近田さんがシンセを弾いたその曲は「みちくさ」だ。因みにここから4人となったじゃがたらホーンズによって、あの始まりの部分が吹奏された瞬間、観客の何人かが「おお~っ」と声をあげた。そう、じゃがたらのライブでこの曲はいつもこうして始まったことを、その頃から観ていたひとたちが思い出してハッとなったのだ。それにしても「みちくさ」のホーンによる前奏部分は本当になんて美しいんだろう。涙が出そうになる。そしてそこからファンキーに展開し、近田さんの鳴らすシンセ音はどこかP-ファンク的でもあった。元歌に対してフシの忠実なエージさんの歌も、フリースタイルっぽく次々繰り出すせいこうさんの言葉も、圧倒的な迫力と威力があった。

ゲストが順に登場して歌い繋いでいったのはここまでだ。本編の最後は、マイクスタンドの前は無人で、その横に南さんがいた。演奏が始まった。「夢の海」だ!    無人のマイクスタンドにスポットライトがあたり、歌が響いた。江戸さんの歌だ。そう、無人じゃなかった。江戸さんが、いた。江戸さんが、見えた。ここで涙腺決壊。南さんも歌って踊りながら、涙を拭っているようだった。「何度となく夢の海をひとり漂ってた」。江戸さんが精神的にたいへんだったときのことを書いた歌詞だけれども、「雨があがれば~、陽はまた~昇る~」と繰り返されるその歌からはただただ希望がいっぱい感じられて、こんな世界でもまだ僕たちはやっていけるんだと思えた。「最後のこの歌のヴォーカルは、じゃがたらの江戸アケミでした」と、誇らしげに南さんが言った。

「みんな本当に、30年間待っててくれてありがとうございました」。そんな南さんの言葉で本編は終了し、アンコールへ。メンバー紹介のあと、事務局スタッフらがコーラスのファンファーレ隊となって、そこで演奏されたのは新CDからのもう1曲の新曲「みんなたちのファンファーレ」だ。歌うは南流石さん。観客たちは予め配られた小さなフラッグをふって、いかにも南さんらしい歌詞の明るいこの曲を盛り立てた。

続いては、これを聴かずには終われない…「クニナマシェ」。ていゆうさんと宮田岳さんがときどき笑顔で目を合わせながらものすごいリズムを叩きだす。やらせろせ~ろせ~ろ。じゃまったく~るね。観客たちはそれぞれがそれぞれのやり方で声を出して歌に重ねている。

そしてこの日の最後はゲスト全員が再びステージに出てきて、メンバーは「もうがまんできない」を演奏。2コーラスめから南さんはフロアの真ん中あたりに分け入って、そこで自分も歌いながらもう一本のマイクを観客に渡して歌わせた。そのマイクは客から客へとリレーされ、渡された者と共にそこにいるみんなが大合唱。「こ~こ~ろの~、も~ち~よ~さ~」。僕がそうだし、恐らくここにいたほとんどのひとたちが、生きてて辛いときに頭のなかでそう歌ってなんとかここまでやってきたはずだ。そんな、ある意味で心の支えになってきたそのフレーズを、部屋で自分ひとりで歌うのではなく、こうしてみんなと歌うということ。その意味。まわりを見れば歌いながら泣いているひとも何人もいた。ステージ上のメンバーとゲスト陣もみなそれぞれの表情で歌たったり叫んだりしていた。けど、どちらかというとこのときはステージの下のみんなが精一杯歌っていた。江戸さんはよく、じゃがたらがどうしたみたいなことを言ったり、オマエらがじゃがたらだみたいなことを言ったりしてたし、ステージから降りて客と歌ったりすることもあった。そういう江戸さんがこの光景を見たらさぞかし嬉しかっただろう。生きていれば、こういう日があるのだなぁ。と、「TOKYO SOY SOURCE 2019」でこの曲を聴いたとき以上にそう思いながら、自分もどんどん声のボリュームをあげてしまっていた。

こうして約3時間半に及んだ江戸アケミ・音楽法要。え? 「3時間半もやったのか?」って。なーに、飽きる瞬間などまったくなかったし、長いなんてまったく思わなかったよ。あの頃じゃがたらは、パルコ・パート3の劇場で単独で4時間ライブを続けてやったりもしてたからね。

階段をおりて外に出ると、今にも雪に変わりそうな冷たい雨がふっていた。30年前、ひとり歩いた三鷹の夜道も確かこんなふうに寒かった。

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じゃがたらのライブのあとは、じゃがたらのことばかり考えてしまう。あの頃と同じようにあの曲の歌詞のフレーズが頭のなかにグルグルまわったり。今まで気にとめてなかった歌詞のフレーズの意味に気づいて、それがグルグルまわったり。ライブが終わって、「あー楽しかった」じゃ終わらないこの感覚。余韻というのともまた違う、何かが心のどっかに張り付いてとれないみたいなこの感覚。なんと呼べばいいんだろう…。それ、もう少し張り付けたまま過ごしていこうと思う。

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