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『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3』(感想)

2023年5月6日(土)

グランドシネマサンシャイン池袋で、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3』(IMAX 3D)。

*多少のネタバレ含みます。

社会不適応のはみ出し者で、居場所がなくて、どこまでいっても不完全。だけどありのままの自分であることを受け入れてくれる者(たち)と出会って愛だったり友情だったりを知り、その気になれば人生はやり直せるんだと気づいて成長する。古くからドラマや映画にまあまあよくある展開でありテーマ性だが、ジェームズ・ガンはその「不適合・不完全」っぷりを描くのが実にうまく、その上そういうやつの「憎めなさ」も描いて観るものの共感性を発動させるのも本当にうまい。『ザ・スーサイド・スクワッド』も『ガーディアンズ~』もそうだが、特に今作はそれが極まっていて、ひとりでは居場所の見つけられないはみ出し者たちに対する優しさが出まくっていた。

自分も不適合を自覚しながら生きてきただけにそういう物語にはどうしたって思い入れてしまうんだが、じゃあいつからこの手の物語を好きだったかと考えると、実はけっこう子供の頃からで、そういえば70年代の初めに『アパッチ野球軍』を好きで見ていたのが始まりだったのかもなと思ったりも。

それはさておき、今回のガーディアンズ3は、ピーター・クイルのみならず主要キャラクター全員に寄り添い、全員の成長を平等に描いてみせたのがいいところ(うまいところ)。そういう意味でシリーズのひとまずの集大成をガンはしっかりやってみせたと言えるでしょう。

よくやったなーと思うし、「これだよ、これ」と血が躍るような見せ場もあった。うん、面白かった。

とりわけあれこれのバトルが終わったあとの終盤。話の締め方。めちゃめちゃよかった。それが今作の評価を決定づけたとも言えると思う。

ただなぁ。全体の構成力に関しては自分はもうひとつのように思った。中盤がドタバタしぎで、もうちょっとシャープに整理できなかったかなと。盛り込みすぎというか、「これでもか」と言わんばかりに観る者を驚かせる描写が続きすぎて、中盤はちょっとそれに麻痺してしまった。ワサビのあとにカラシを盛られて唐辛子も入れられてタバスコかけられて、すげえ辛いんだけど何がどう辛いんだかわからなくなっちゃった、みたいな。もう少し静かなシーン、会話で成り立つシーンが中盤にあってもよかったんじゃないだろうか。一通りバトル的なシーンが終わってからの終盤のほうが自分は味わい深くて好きだったし、そうやって全体を見てみると手放しで傑作!と言いたくなるものではなかったというのが正直なところで、3作のなかではやっぱり『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』が最高傑作だったというのは自分のなかで揺るがない。

今回はクイル以上にロケットをフィーチャーしたストーリーであり、彼のヘヴィな過去が明らかになって、どうしてロケットがああいうやつ(本当は心優しくて繊細さも持つのにいつも粗暴で不機嫌そうにふるまうやつ)になったかがわかるわけだけど。わかりすぎてしまって自分のなかでちょっとつまらなくなっちゃったようなところも正直ある。わけがありそうだけどわからない、それ故ミステリアスな魅力もあるという、ロケットのかっこよさもそういうところにあったんだけど、こんなに説明されちゃうとなー、っていう。例えば(例が唐突だが)『ルパン三世』の次元大介が、五右衛門が、過去に何があってああいうクールなキャラになったのか、知りたい気もするけど、知ってしまったら魅力が減じてしまうみたいなところ、あると思うんですよ。まあ、そういう心理。とはいえ、ロケットの過去話の辛さ・惨さに感情的にはだいぶもっていかれたのも事実なんですが。

ガーディアンズといえば、かかる曲のセレクトのセンスのよさ(うまさ)も大きな魅力で、大事なところ。今回も唸らされるところはあったがしかし、やや曲に頼りすぎではないかと感じたところもあった。そもそも1と2と、今回の3とでは曲の選び方に大きな違いがある。1と2は主にピーターにとってのフェイバリット曲・最強曲が入った「最強ミックス」カセットテープの曲がここぞというところでかかっていたわけで、それはクイルの性格をよく表した曲でもあったわけだけど、今回はそうとは限らない。レインボーのあの曲なんかはいかにもクイルっぽいけど、始まって早々のあの曲はロケットの内面性を言わせるものとして見事に機能していたし(しかもアコースティックバージョンだったので尚更)、ほかにもクイルはこういう曲聴かないだろうなっていうものがけっこうあった。クイルの好きな曲というよりは、ガーディアンズそれぞれを反映させたいろんな曲が選ばれていたという印象だ。で、だからこそ終盤、それぞれが好きなアーティストを言い合ったあと、「彼」がクイルを象徴するようなあの曲を選んだことに僕は嬉しくなりながら泣いてしまったわけなんだが。ここで本当に1から繋がった感じがしましたよね。

現代のデジタルオーディオプレイヤーはいつでもどこでも億単位の曲のなかから聴きたい曲が選べるわけだが、昔のポータブルカセットプレイヤーは厳選された10数曲しか入れられなかったわけで、クイルはそこに自分の最強ミックスを入れて持ち歩いていた。カセットを壊され、DAPで曲を聴くようになり、そうすると最強な曲ばかり聴くことにはならないし、デジタルでみんなで曲を共有するようにもなるわけで(つまりその曲が自分だけのものではもうなくなるわけで)、だから今回のような幅広い選曲になったのだろうし、さらに深読みすればガンはそのようになんでも聴けるDAPの長所と短所、限られた曲数しか聴けないかわりに自分にとって最強の曲だけを入れようという気持ちになったカセットのよさ・ステキさもメッセージに込めたかったんじゃないかと思ったりもする。

まあそんなことも踏まえつつ、もう一回劇場で(3Dはやっぱり目が疲れたので)今度は2Dで観てみようと思っている。

それにしても今回のビランは嫌なやつだったな。あと、初めに襲い掛かってきたマザコンのあいつはなかなかいいキャラだった。それから、今回3を観に行く前にディズニープラスでガーディアンズのホリデースペシャルを観ておいたんだが、あれ、観といてよかった。意外と重要ね。



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