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「マッチ1本火事の元」〜その背景にあったもの〜

火の用心・・・と言えば「マッチ一本火事の元」を思う人は少なくないだろう。

今、私は訪問診療所で働いている。
在宅で過ごす患者さんを医師と共に訪問し、患者さんの状態を看る。
ある日の訪問で訪れた患者さんのお部屋に額に入ったとても古い賞状を見た。
漢字とカタカナが混ざった文章の賞状だ。
症状が出されたのは昭和15年の12月だった。
患者さんの名前の横には「○○尋常高等小学校」と記されている。
防火に関する標語の賞状らしい。
「二等賞」
となっていた。
その標語が「マッチ一本火事の元」だったのだ。
先生と私は興奮してその賞状の写メを撮らせていただいた。
その間しきりに患者さんは
「二等賞だから恥ずかしいのよ」
と笑っていた。
いやいや・・・すごく知名度が高い標語だ。
私の人生で「マッチ一本火事の元」の方に出会うなんて思いもしなかった。

「一等賞はどういう標語だったんですか?」と尋ねたら
「みんな一緒に火の用心」だったと。
申し訳ないが知らない。確実に二等賞の方が有名だ。

〜なぜ「マッチ一本」だったのか〜
昭和15年といえば戦争中だ。
患者さんによるとこの年の夏頃からマッチも配給制になったらしい。
しかも1日1本にまでなったそうだ。
患者さんはお祖母さんから

「マッチ一本でも粗末にしたらいけないよ。」

と毎日言われていたから「マッチ一本」が頭の中に残っていたと。
そしてその「マッチ一本」で灯された火が「火事」となることもある。
空襲が来なくても、空襲で命が助かったとしても
「マッチ一本」の火による火事で命を落としたら元も子もない。
そんな想いから生まれた標語が
「マッチ一本火事の元」だったそうである。

時代背景だなと。
私は「火の用心」だけだと思っていた。

戦争中に作られていたなんて知らなかったし、当然その背景も知らなかった。
患者さんは景品の鉛筆が欲しくて応募したのだそう。
外側に金色と銀色のコーティングがされている当時ではとても珍しい鉛筆。
二等賞だったから銀色だけ貰えたんだって。二本欲しかったなぁって言っていた。

これから「マッチ一本火事の元」と耳にするたびに思い出すのだろうな。
そして一等賞の標語を聞いて私が思ったこと。

みんな一緒に火の用心」

日本人らしいなと。
「みんな一緒」だよ。そもそもがこの時代の教育から「みんな一緒」が来ているわけだから当然なのかもしれない。
そしてそれが一等賞ということも。

それではまた。

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