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縄文時代に思いを馳せる~縄文流星群来たる

昨年末からとても忙しくて、2月の第三週くらいまでは毎日のように家を空けていました。

以降、予定が落ち着き家にいます。
自分が両極端なタイプであることを知りました。
今度は全く予定を入れず、ずっと家にいます。

少し前まで本当に忙しかったので、家でお昼を食べることも稀でした。
外にいたり家にいても食べなかったり。
昨日はお昼を食べながらしばらく見ていないYoutubeを観てみようと思い至りました。わたしは映画は好きだけどテレビを見るのは好きではありません。その延長かYoutubeを見るのも好みません。どうしても時間の無駄と思ってしまいます。良質なものが色々あるのはわかっているのですが、つい敬遠してしまいます。
めったに見ないYoutubeの中で好きなのはTOLAND VLOG。若い男性サムが朗々と神話を考察していく。世界中の神話が実はつながっている(いそうな)のがわかります。相棒のマサキさんはいつもニコニコと相槌を打ちますが、話し手と聞き手の絶妙なバランスがこのチャンネルの味で、わたしはしゃべりまくるサムさんの計り知れない勉強量と説明能力に驚くものの、マサキさんの傾聴力があってこそのチャンネルだなといつも思っています。

昨日選んだものは「縄文時代すごい」という趣旨の動画でした。
人類の起源からひもとき、縄文人を特定し、世界で土器を発明した場所は三か所あるとのことだけど、圧倒的にそのうちのひとつ縄文土器は前の時代であること、1万年以上争いなく縄文時代が続き、やがて大陸からの渡来人と稲作文化が流れ込み弥生時代になった流れの説明。
サムさんは農耕が日本に浸透するのに1000年近くかかったことに言及しました。明らかに縄文人が農耕を拒んでいたことがうかがえるそうです。
特に中部から関東地方にかけては完全に稲作の広がりが数百年に渡りストップ、東北に先回りするルートで稲作が広がった。
世界の他の土器の発祥地では農耕が必ずされるようになっていたのでかなり異例と言えます。
なぜか。
サムさんは縄文人の心にフォーカスします。
自然のいたるところに神がいると捉え八百万の信仰をしていた縄文人に所有の概念がなかったこと。話が飛びますがホピ族も「所有すると人間の欲望が争いを生み不幸をもたらすことになる」という教えがあるそう。縄文人はそもそも神のものを所有するという思想がなかったし、所有することで人間の欲が現れ禍となることをわかっていたのではないかと結論付けました。

数年前に九州の縄文期の層から大量の稲のプラントオパール(化石)が発見され、縄文人は米作りをしていたことがわかっています。大規模なものではなく、自分達が食べる分だけ栽培していたと考えられています。
弥生人が来て稲作農耕を伝えたということもグラッと来る事実。
もともと稲作の技術も持っていた。

原始人みたいな縄文人の世界に弥生人が来て色々教えてもらって整った、と教科書では教わったけれど、知れば知るほど縄文人の豊かさがわかります。

理解度かなり低いけれど邦題「サピエンス全史」で知られている洋書「Sapiens」を読んだ際にも、農耕をするようになってから人間は一日の多くの時間をそちらに取られるようになり、それが仕事の概念となったと書いてありました。人類の不幸の始まりとまではいわないけれど、そんなニュアンスをつたない英語了解能力で感じました。

縄文人は食べるための狩猟採集時間は一日のうちほんの数時間で、後の時間は祭祀に費やしていたのではないかという記事を読んだことがあります。
その精神性の深さ、研ぎ澄まされていたであろう感覚、それを原始人と呼ぶのはあまりにも浅はかだと思えました。

縄文に影響を与えたのはカタカムナ。
たまたま松永暢史氏の著書の読者だから始めたカタカムナ音読ですが、壮大なことになってきました。

動画を見た後、フォローしているブログが科学系のものでも縄文のゲノム解析とか、社会全般のものでも縄文に学べみたいな内容だったり、縄文ネタがわたしに降り注いでくるのはなぜだろう。そんなパラレルワールドのようです。

縄文時代に思いをはせるとなんとなく安らぎませんか。
土でできている土器、土偶の表情。
そして、固有名詞は伝わっておらず主人公は民。
名を知る歴史上の人物はいわゆるエリートや何かを究めた人が多く、自分との距離を感じてしまう。その下にいた庶民の生活は苦しかっただろうなと思ったり。
だからか、縄文時代は等身大な気がしてしまう。
遺伝子のなせる業かもしれません。

よかった、ありがとう。





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