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13年前の今頃~出産、母との思い出

毎年思い出すわけではないけれど。
昨日3月11日、早々に1日にすべきことを終わらせていたのになぜか深夜まで起きていました。さあもう寝なきゃと洗面所で鏡に映る自分を見つめていたら13年前を急に思い出しました。

当時わたしは妊婦でお腹がすぐに張ってしまい切迫早産気味と言われ、家で寝ているようにとの指示、出産前にしておこうと思ったことを全然できずに1日中ベッドに寝ていました。4月の予定日よりだいぶ早いけど実家に近い病院で出産予定だったので千葉県流山市にある実家に帰ることにしました。

あの日。母はテレビ朝日の刑事ドラマを見るのが好きで一緒に「おみやさん」という渡瀬恒彦主演のドラマを観ていました。
15時前、東日本大震災。あまりに強い揺れにテレビが消えたのを覚えています。父が庭に大きなコンテナを置き金魚を飼っていたのですが、そのコンテナから水がざっぱんざっぱん庭にかかり、家にいたはずの犬が飛び出して降り注ぐ生臭い水の中を惑っていました。

あちこち家の状態を確認する母、身重のわたしはリビングでテレビを見ていて東北の津波の中継に驚き母を呼びました。

交通機関が機能しなくなり都内で働いていた父は帰ってくることができませんでした。母はたくさんおにぎりを作ってお皿に盛り電気やガスが止まっても大丈夫なようにしました。そしてすぐに逃げられるように一階の和室で二人で寝ることにしました。
落ち着かない夜中、グググっという音がして明らかな違和感がお腹に。トイレに行くと下着が濡れています。あれ?と思いトイレにあった生理用ナフキンをあてました。破水という単語が浮かびましたが、わたしは破水というのはバーンと派手に羊水がぶちまけることと思っていたので、それにしては静かすぎると思い無視することに。あまりに頻繁にトイレに行くと母が心配するかもしれないので、母の寝息が聞こえるとトイレに行き絞れるほどになっているナフキンを取り替えました。まんじりともせず朝を迎え母が起きだしてから異変を伝え、病院に電話したら「すぐに来てください」とのこと、その時もまだのんきで予定日はひと月先だし「まだ入院セットはいらないね」と言い身支度をしました。

車を運転できる父がいないので、タクシー会社に電話しても震災の後で出ずっぱりなのか不通。母が隣の家の人に頼んで車を出してもらい病院に向かいました。陣痛があるわけでもないのに元気なのにこんなことしてもらって申し訳ないと思いながら。

病院について診察をしてもらったら、「破水しています」のひとこと。先生が何かしたらじゃあじゃあと床に羊水がこぼれ、わたしのイメージに近い「破水」になりました。
このまま入院して出産になります、あ!入院セット持ってきてない!
一週間くらいの入院になります?と病棟に向かう途中看護師さんに聞いたら「そんな悠長じゃないと思いますけど」と言われ、え!そうなの?!

だんだん陣痛だなとわかる痛みが来るようになり、母が腕時計を見ながら間隔を測ってくれました。お昼ご飯のアサリご飯を頂きながら陣痛が来ると箸をおいて耐え、去ると食べ始めるという何とも楽天的な状況でした。いよいよ間隔が狭くなり、待機室みたいなところに行き、分娩室に行きカーテンに仕切られた左右の分娩台でも出産の真っ最中。わたしも教えられたとおりにいきみ、「早く先生来ないかしら」という看護師さんたちの声を聞きながら待ち、先生が到着し、余震でガタガタ揺れる分娩台であれやこれやという間に出産が終わりました。時間にして16時前。おなかに大きくマジックでわたしの名前が書かれた赤ちゃんの顔を見せてくれ感動したのもつかの間、すぐに連れていかれ、ひとり分娩室でそのまま休み、夕飯が運ばれてきたのを食べました。

退院までは震災直後のためイレギュラー続きでした。
黄疸がひどく、息子は一日遅れの退院になり心配しましたが、すくすくと育ち、13年後の今日13歳になります。

昨日ふとあの日を思い出しました。
息子を出産したことも感慨深いものですが、母とふたり寄り添い乗り越えた震災当日と翌日の二日間が特別に思えました。
明けた朝、母にあれは二人だけの思い出ですねとメッセージ。

息子よ、お誕生日おめでとう!

よかった、ありがとう。


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