見出し画像

だるまさんが、転んだ

最近、異常にやることが多く、疲れ果てて珍しく弱音を吐きたくなることがあります。なんだか、本当に忙しいのです。そして、そんな中で、アメリカ社会にいるからだと思うのですが、多様化しすぎた世界に対しても、ちょいと草臥れてしまっているようにも感じます。

多様化って、素敵な言葉ですよね。でも、多様化と言いながら、みんなが単なるバラバラになっていないかなぁ???

「なんかみんな、言いたいこと言うよなぁ」
「色んな人が、いろんな権利主張するよね」
「多くの人が、気づけば自分のことばかり話しているよね」

あれ? なんか、おかしいぞ? Me、Me、って騒ぐ人は増えたけど、社会って「We」の視点で考えなかったら、回らなくないかな?

「ねえねえ、もっと異なる価値観に、興味もってみようよ?」
「ねえねえ、人は違っていいじゃない?」
「ねえねえ、自分とは違う気持ちでいる人もいるって、認めようよ!」

なーんか。ほんと、そんなことを言いたくなる瞬間が増えて。それと比例するように、疲れたという弱音が口から出そうになってしまう。
あああああーーーーこれはいかん!

しかし、ちょっと考えてみました。

我慢強いことは美徳かもしれないけれど。
弱音を吐かずに前向きでいることも大事だけど。
不可能はないと挑戦し続けることも、価値はあるけれど。

疲れていることは認めないとなぁ、と。
私も人並み。ちょっと小休止が必要ってことだろう。

人間は、誰も「だるま」のようになってはいけないと思います。手も足もなく、転んでも勝手に起き上がるしかなく。それでも前に進もうと思ったら、誰だって血まみれになるだろう(爆)

だるまさんは、転ぶんだ。転んでいい。誰かが転んだら、それを助けてあげられるような自分でいよう。自ら転んだ時には、「あのー、ちょっとすみません。起き上がるの助けてくれる?」と言うのも大事だよね。

コロナでみんな、疲れている方が多いと思うのですが。そういう方、みんなでこの際だから、小休止を楽しみましょう。私は、今週はもう飛ばさないことを決めました(笑)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?