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記憶の改ざん

 シアトルは、とてもシアトルらしい「曇りのち雨」の季節に突入。この写真のように、雲一つない青空が楽しめる季節は、当分お預けになりました。

 さて、この青空のように澄み切った状態で、嘘や裏表なく人生歩いて行きたいものです。しかし、どこかで嘘とか自己防衛のための小さな「雲」を作ってしまった人の人生は、辛いだろうな、って感じます。

 昨日ビジネスパートナーからビックリな話を聞いてしまった。数年前にちょっとだけお会いしたことのある自分が付き合ってもいない人が、自分を「親友」と周囲に説明し、仕事の道具のように使っているらしい。パートナーもその事実が分かった際に驚いて、すぐに連絡くれたのですが。もうほんと、二人そろって超唖然。そういうことって、誰にでも経験あるのかもしれませんが、嘘はいけませんね、、、。ちょっと久しぶりに、「残念だなぁ」と思ってしまいました。

 「真実は人の数だけ存在する」と、私は思います。自分が「これが本当だ」と思っていることが、実は相手にとっては「本当じゃない」なんてことも多いと思うし、むしろ世の中そんなことばかりな気もします。だから、この方が私を「親友」と語ることは、かなり無理があるとは思うけれど、真実なのでしょうが(困)

 人との間に誤解が生まれたり、上手くいかなくなったりした場合、相手の言い分や説明に納得できなくても、「自分も悪い部分があったかも?」と、少なくともちょっと立ち止まって考えてみることは、真のフェアネス。ただし、それは相手とのコミュニケーションが継続している場合です。

 交流がないのに交流があるようなことを言うのはアウト。また、相手が反論できる隙も与えず、コミュニケーションもシャットダウンするってのは、一番フェアではない……。ましてや、その人と過ごした素晴らしい時も含め、すべて「なかった」ことにしたり、何もなかったのに、何かが「あったような」説明を周囲にしてしまうのって、とてもよくない。

 でも、こうした記憶の改ざんをする人は、心の底で自らが「雲」を作っていることを、潜在的には気づいているんだと思います。自分が相手にフェアではないことをしたことが、小さくても治らないカサブタになっていることにも、うすうす気づいているんだと。雲は晴れないから、いつも不安を抱えたり、その雲を補うための自己正当化を続けるしかなくなり、結局自分が苦しむことになる。いいのかなぁ、、、そんなんで。

 記憶の改ざん。自分だけが正しいと主張したい人でも、フェアネスに欠くことをしてしまえば、そうした後に残るのは、心の雲…… 何があっても自分が正しいと信じる人は、ある意味アッパレだけど単なるアホ。私はいつでも晴天がいいな。


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