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大好きなバンドのLiveに行こうとしなかった理由を思い出した

今日、明日と、大好きなバンドのLiveがある。
応募したけど抽選に外れたオレは、流れてくるSNSのコメントや写真、当日のセットリストなどを見て「いいなぁ行きたかったなぁ」と息を吐く。

今回、珍しくこういった類のものに応募した。
ずっと昔から大好きなバンドなんだけど、Liveには行ったことがない。
そして今回抽選に外れて今上記のような気持ちを抱えて、何故自分が今まで応募しなかったか、その理由を思い出した。

結論からいうと、ズバリ、自分の欲望を煽ってしまうからである。

そもそもド田舎生まれド田舎育ちのオレは、アーティストのLiveに自分が参加できるなんて感覚を持ち合わせていなかった。
Liveは完全に別世界、オレはアーティストをCDで楽しむ。
Liveにお客が入っているのは流石に知っていたが、テレビの番組に出てるお客さんみたいな感じで、そのポジションが自分にもあり得るなんて考えてなかったのだ。

CDに入っているLiveの先行抽選券なるものを目にして段々
「あれ?これもしかしてオレにもワンチャンあんじゃね???」
と思ったのを覚えている。

しかし、オレは遂に一度もLiveの応募に手を出さなかった。
まだ別世界だという感覚が残っていたのかもしれない。
でも一番の理由は今となってはハッキリと分かる。
それが先ほども言った“自分の欲望を煽ってしまう”というものだ。

Liveの抽選だって、他の抽選だって、宝くじだって、まずは挑戦しないと当たらないのだ。
しかし、これは裏を返せば挑戦すれば当たる確率が発生してしまうということなのだ。
もしかしたら当たるかも。と思ってしまう。

だがその確率は極めて低い。
それも分かっている。が、期待してしまうのだ。
当たったらどうしよう。どんな会場だろう。どんな曲が聴けるだろう。
初めて会えるかもしれない。やっぱ感動するのかな。余韻すごいんだろうな。
そんな想像をたくさんする。してしまう。

その挙句に当たらなかった時の欲望の後始末がめちゃくちゃ辛い。
現実的な頭は「どうせ当たらん、行けない」と思っていても、欲望は行く気満々。
そして案の定外れる。
そうなった時、欲望が言うのだ。「行けるはっずだったのに!!!」と。
更に厄介なのが「どうにかして行けるようになる手段はないのか」ともがくのである。
あぁ見苦しい。
Live当日までモヤモヤし、最悪のパターンだと行ける人を妬み始める。
当日も「オレだって行けるはずだったのに」と落ち込む。

そうなりたくないのだ。
そうなるくらいなら初めから挑戦しない方がいい。
確実に参加できない、Liveとは別世界の自分でいた方が健康的だ。
そんな自分を知っているから、オレは今まで応募してなかったのだ。

今回、まんまと欲望がグダグダと駄々をこねている。
またしばらくは大人しくしていようと思う。
欲望が大人になるまでは大人しく。

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