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「近松人形振り 夢芝居」を見て【近松門左衛門の人生】

 2023/09/04、「近松人形振り 夢芝居」を見て、近松門左衛門はどんな気持ちで芝居を書いていたのか探りたくなりました。
 そもそも近松門左衛門ってどんな人?!と疑問が生じまして、今回noteを作成するに至ったわけです。

 めーちゃくちゃざっくり、どんな人がいいます。

武士の家に生まれながら、町人となり下働き。江戸の文化が花ひらく明るさの影にあるアングラな視点から世界を見、劇作家として独立し人間の表裏を描き出した。

 です!!!なんか厨二心くすぐられました。ふうっ⤴︎

 では、詳しく人生を見てみよう〜!

近松門左衛門の人生

・1653年、誕生(出生地京都?)家族構成は父(浪人)、母、兄(武士)、弟(医者)、妹?(女流俳人)このほかにもう1人、僧侶の兄がいたって説もあります。杉森家は武士家系であり、文芸の趣味に富んだ家系だったみたいです。
・20代前後の数年間は公家奉公する。(公卿が浄瑠璃を戯作していた。)僧侶やってた説もあり。
・1675年(23歳)京都で旗揚げした宇治嘉太夫の元に行く。宇治嘉太夫の旗揚げ公演「虎遁世記」は大盛況。
・1677年、宇治嘉太夫が宇治加賀掾好澄となる。
・1683年(31歳)近松初めての作「世継曽我」宇治加賀掾の芸風を生かし、曽我物語の題材を脚色したもの。浄瑠璃の歌舞伎化と言われる作。
・1684年、竹本義太夫旗揚げ。
・1685年(33歳)義太夫から頼まれて「出世情景」を書く。劇作家として独立。「佐々木大鑑」に初めて近松の名が残る。
・1686年(34歳頃)生活の町人化。「その徳おしむべきは此人」と言われている。
・1687年(35歳)浄瑠璃本や狂言本に署名し始める。
・1689年(37歳)2-3ヶ月に1本のペースで創作。
・1693年(41歳)歌舞伎の作劇に専念。(元禄歌舞伎が全盛期になりつつあった。)挿話的な恋愛を大きく取り上げる手法をとった。また、劇的な葛藤の根を金銭や愛情と義理のしがらみに求めた。
・1697年(45歳)浄瑠璃の作劇を精力的に再開
・1701年、竹本義太夫が筑後掾となる。
・1703年4月、曽根崎心中事件。大阪北の新地、天満屋に勤めていた女郎お初は、大阪内本町の醤油屋平野屋の手代徳兵衛と恋に落ちた。しかし、徳兵衛が主人忠右衛門の妻の姪と夫婦にさせられて江戸の支店に送られることになり、またお初も豊後の客に身請けされることとなった。2人はどう誘われぬなら、と曽根崎に逃れてその境内で死を遂げた。お初21歳、徳兵衛25歳。
・同年5月(51歳)「曽根崎心中」事件発生時、大阪にいた近松は義太夫のために筆を取り書き上げた。あらすじは「言わずと知れた」で、済ませておきます。
 「曽根崎心中」は大当たり。制作費用が極めてわずかだったため利益が多く、これまでの莫大な借金返済も叶う。
・1705年(53歳)京都から大阪に移住。歌舞伎から浄瑠璃戯曲の作者として専心。筑後掾と関係が深まる。
・1709年、梅川忠兵衛事件。大坂・淡路町の飛脚問屋亀屋へ養子に行った忠兵衛と、遊女梅川。亀谷忠兵衛はもともと小百姓四兵衛の息子で清八と言った。忠兵衛は遊郭で、その場の勢いから武家屋敷に届ける300両で梅川の身請けをしてしまう。梅川と奈良の旅籠屋や三輪の茶屋などを転々と逃亡し、親類を頼って新口村にたどり着く。やがて両名は捕縛。忠兵衛は処され、梅川は生涯忠兵衛を弔った。また、300両は四兵衛が返済した。
・1711年(59歳)「冥途の飛脚」のあらすじ「言わずと知れた」で、いいですね?
・1720年10月、網島大長寺での心中事件。小売紙商紙屋治兵衛と、紀伊の国屋の妓婦小春の心中。妻子ある治兵衛と遊女の小春が一緒になることは叶わなかった。
以下、2人の遺書です。
「今宵ありがたき御おしえにあずかり忝く存奉候、
私共浅間敷身の果、みらいのほどもおぼつかなく存候
何とぞなきあとの御とむらい被下候はば忝存奉候、
これのみ御頼み申上度書遺申候 以上
十月十四日 大長寺殿  治兵衛 小春」
・同年12月(68歳)「心中天網島」あらすじは〜…(略)
・1722年(70歳)この頃から体調を崩しがちになる。添削のみで創作はほとんど無しに。
・1724年(72歳)逝去。

ラストショーに関して

 幸せだった2人の話を書いていたけど、筆が行き詰まったからぐっちゃぐちゃに崩してやったら、大成功(大儲け)できたよ〜的な内容でした。(多分にたぶん)

🌾💬めっちゃ勝手な純米解釈

 近松先生、あんまり金に頓着なかったそうで、周りの条件もことごとく飲みながら脚本してるような人だったみたい。
 だから、もはやラストショーの近松は近松先生が描いた自分自身ということにして私の中で落とし込んだ。ラストショーの近松すら、大先生の脚本によって操られていた存在という!
 武士の家系を捨ててでも劇作家をやりたくて下積み30年、地道に腕を磨いてきた先生。曽根崎で大当たりして大儲け。その後も老衰で死ぬまでその速筆を生かして心中事件を切り取っていった。そんなご本人が「近松という登場人物を描くとしたら、もう少し欲深さが方が物語としてはおもろいのにな〜、付け加えたいな〜」と思ったかも!わくわくする!(よかったね)町人の世界で生きて欲深い人(とか、人間の汚さとか、それすら含めた人間の愛らしさとか!)をたくさん見てきて、生々しく脚本に落とし込むような作家だと感じましたのでね。
 あと心中した人々、最初から祝福されたような幸せなカップルじゃなかったろうから、そこら辺も先生の腕ですよね。幸せを見せておいて、心中するしか道のない現実に引き戻す残酷さ。でも心中で2人は一緒になるという幸せな結末に繋げてあげる優しさ。なーんか先生から「人って欲深くてずるくて仕方のない生き物だけど、それすら愛おしいよね」みたいな人間愛を感じるんですよね。
 江戸時代って実在の事件をそのまま忠実に舞台にするのがタブーだったっぽい(だから時代設定をいじったりして舞台にしてた!)から、その流れの中でメタ的な遊び心があってもおもろかったろうにね〜。わ〜っ、劇中劇的な概念を強く植え付けたい。

おまけ

 「心中ってハッピーエンドだと思いますか?」に対して「本人たちにとっては、ハッピーエンド!(?)泣いて死ぬけど幸せなのでは?」と、ご返答いただいたの解釈一致だった〜◎!!ありがとうございました〜!!

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