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ゴッホの青い手紙 28

 テオよ。僕はすこぶる元気だ。昔、君にミレーの版画をお願いしたことがあったね。私はミレーとブルトンが好きなのだ。ただ絵が好きと言う画学生が言うのと訳が違う。分かってくれるね。
 僕はブルトンからある種の神聖なものを感じる。それは絵からではない。彼はさほど絵自体は上手くはないと思っている。絵画の裏側に意味を持たそうとはしていない。あくまで絵そのもの。見えるものに何かを込めている。 
 見える者には見え、見えない者には見えない狭間の世界を私はブルトンから学ぶのだ。ミレーは農民を描いている。彼はたぶん農民画家と呼ばれるだろうな。でもそれは少し違う様な気がする。サン・レミで僕がミレーの版画を模写していることは君も知っているね。
 ミレーに心酔しているから模写していると多くの人々は思うだろう。
 君はどうかね。僕は修正しているのだよ。分かるかな。
 「種を撒く人」知っているだろう。あの絵こそ彼の最高傑作さ。あの画面からあふれる速さ、動き、凄い。躍動感と言っても良いのだろう。たぶんあの絵で彼は彼自身を抜けられた、超えられたんじゃないかな?あれはモデルにポーズさせようがない。そこに目覚めたのさ。
 私は最近彼の版画を元に絵を描いた。模写だと思ったら大間違いだ。あれは私が修正しているのだ。藁を束ねる女性のスケッチがあるね。私は頭と女性の左腕左足は物差しで測って寸分の狂いなくキャンバスに写し取った。もちろん縮尺率を考慮してね

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 水平線の位置もぴったり合わせている。そこは合わせて私が微妙に体の軸を正しく描いたのさ。スケッチを見てすぐに分かった。あれは実際の作業を見ていないモデルのポーズさ。死んでいる。
 死んでいるポーズなんだ。あれではだめだ。みんな私が修正した。後世の人々が私を評価するだろうが、私がただミレーを模写したと思うだろうね。

 ミレーが大好きなゴッホさんが描いたとね。僕の種まく人の模写観てくれたかい?あれは逆にミレーに対するお礼さ。今までのミレーだったらこう描くだろうとね。だからあの模写は絵としては良くないはずだ。でもそんな意味を込めて描いているんだよ。ますます意欲が湧き上がってくる。この湧き上がる情熱をどうしていいかわからない。こんな喜びがあるだろうか。パリに行ってもう一度ルーブルの絵を片っ端から見直してみたい。元気で。焼却は忘れないでくれよ。

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