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るろうに剣心とわたし(90年代産)

「るろうに剣心」劇場版を見に行った。
 なんかこうめっちゃ色んなとこでやってる映画を見たくなった。

 剣心との付き合いは長い。
 多分ファーストコンタクトはCS放送のアニメ版だった。そこから90年代音楽シーンという別の沼にズブズブに足を取られるのはまた別の話である。JAMにラルクにイエモン。フェスでも揃わない面々が歴代主題歌を担当したエグいコンテンツ。主演の涼風真世さんもべらぼうに格好良かった。戯けた声音、柔らかい声音、ガチギレの声音と巧みな声音の使い分けが成り立ったのは単に涼風さんの好演が成せる技だと思う。
 で、そこから原作を履修した。なるほど原作は少年漫画であり、作者のこだわりと趣味が良くも悪くも全力投球されていて、人気絶頂への理解を進めるとともに、実はこの作品のテンション、合う合わないが結構でかいんじゃないかと思った(私は嫌いじゃなかった。好きなものへの情熱で作るものは独特の熱があっていい)。
 そして10年ほど前から劇場版の話が聴かれるようになり、それはやがて公開された。漫画原作の実写映画であるが、概ねの好評と一部界隈の絶賛を伴った。

 コンテンツとしては30年級の長寿コンテンツ。
 なぜ今、こうも熱を帯びて語られるか。
 なぜ今、剣心は映画化されたのか。

 私は映画評論家でもなく、なんならるろうに剣心の熱心なファンでもない。強いていうなら幕末(歴史全般)オタクではある。ただ、これのきっかけもよく考えたら大河ドラマ『新選組!』だったので、「硬派な」時代劇クラスタからしたら寝言は寝て言えと思われるかもしれない。
 ただ長く漫画・アニメの近くにいたので、「実写映画を忌避したがる原作ファン」の事象は世間一般の人より見聞きしている。ひどいもんです、ええ。どこの権利者なんやお前はと言いたくなるくらい口いっぱいの批判を繰り広げる「原作ファン」は多い。ただ一方で、「まあ…そう言いたくなる気持ちわからなくもないよ…」と言いたくなる作品もまた少なくはない。役者目当てで見に行って辛かった作品。なくはない。でもそれはどちらかというと、媒体ゆえの向き不向きの問題という気もするし、どんなに製作サイドが限界はあるよね、どうしてもね、と思うトラブルも多々ある。だって漫画とアニメと実写映像は全く別の媒体だからだ。比較的、小説原作の実写映像化はそのギャップが大きくないことが多い(にしても、大胆すぎる脚色は受け入れられないこともある)が、漫画やアニメは予めビジュアルとして浸透しているものが大きいのも無関係ではないだろう。
 ただ役者のファンとしてはビジュアルを寄せに行った結果、役者の持ち味が損なわれてコスプレみたいになってても辛いものがあると思う。難しいね。

 話を剣心に戻すと、赤髪長髪優男で凄腕剣士、というチートみたいなキャラクター造形をそのビジュアル一発で黙らせた佐藤健は本当にすごい。私の観測した中で、まず佐藤剣心のキャラクターを批判している人は誰もいなかった。アクションやってすごい。顔も二次元並に整っててやべえ。まず佐藤健という人自身が仮面ライダー電王で鮮烈な印象を残しているので、その道の人がよく知ってる役者というのもの大きいとは思う。
 彼だけではない。斎藤一(藤田五郎)こと江口洋介、四乃森蒼紫こと伊勢谷友介、相楽左之助こと青木崇高、志々雄真実こと藤原竜也、比古清十郎こと福山雅治。いやいや、どんなキャスティングやねん。大河でも撮るんか? これ大河ドラマか? シリーズものとはいえ意味がわからん豪華さでちょっと笑う。全員主役級。そしてこの全員が、まあまあ再現度高い。というか、この時空で剣心にとってこの役割を果たす人物像、として尋常ならざる説得力を持って登場してくる。すごい。すごすぎてよく意味がわからない。とかく豪華なシリーズなのだ。

 ちなみに我らが綾野さんは映画オリジナル(というか諸般の事情? で改変された本来なら終章に出てくるキャラを序盤に配置換えした)外印というキャラクターで出てくる。なので単純に原作と対比できない役回りなのだが、抜けるような金髪のショートという他所でちょっと見られないビジュアルが結構最強なのでファンの方は必見。超高速アクションも必見。必見だけど尺が足りなくてヤキモキするので、足りねえ!!!って人は「亜人」を見ましょう。好きなだけ見れるよ!

 で、先日見に行った終章、私はまずThe Beginning を見たんですけど、大河ドラマ度合いがまた加速してた。木戸孝允(桂小五郎)こと高橋一生。沖田総司こと村上虹郎。なんそれ! 他にも色々あるんだけどこの二人に関しては割と頭から離れませんでした。やばい。やばすぎる。私に都合のいい夢でも見てるんか? そして今までの回想でも散々語られてきた清里くんこと窪田正孝、巴こと有村架純。いやー、これこの布陣、最強すぎました。これでもかっていう圧を感じました。こんだけ揃えてさ、どう転んでもダメなものができるはずがないよ。凄まじかったですね。凄すぎてうっかり「武曲」見返したもんね(名作なので見てほしい)。俳優部の充実具合に何も言えなかったです。ちょっと手違いと時間の都合でThe Finalを見れてなくて、でもこれは絶対見たいなあ。それこそ原作とアニメ(とOVA)であんだけ見てるのにまだ感動させてくるってすごくねえすか。特に巴の一幕なんて、散々語られ尽くして、そこへ行き着くと分かりきっているのに。
 メインビジュアルとしても使われている雪の中に斃れる巴、それを掻き抱く剣心の図、劇場で見ると鳥肌ものでした。言葉にならない美しさがあったし、古典文学的な悲劇性と情緒に満ちていて、映画史に残る名シーンだった。最後の巴の表情も良かった。有村架純が天才すぎる。多分あそこは何度見ても泣くシーンですね。

 あと、映画全体に関して言えることなんですが、るろうに剣心の美術スタッフさん、本当にすごいんですよ。これは別に原作批判でもなんでもないんですが、剣心ってめっちゃ「明治」イメージで語られてるが故にやや生活水準が近代寄りすぎるところがあって。明治初期ってまだ絶対そんな近代化してないよなあいくら東京とはいえ、と思うところが映画の中ではしっかり描かれている。民衆のどこか土っぽい感じ、旧時代の遺恨や傷を簡単になかったことにできない感じ、江戸の延長としての東京の姿。京都もそう。今回、しかも映画は幕末の京都だったんですが、飲み屋の描写や宿屋の間取りなんかが今までの剣心のどの媒体よりちゃんと前近代で感動した。撮影の都合で広々とはしていたけど、飲み屋の茣蓙や土間の足元、水場の使い方に時代への誠実さを感じる造り込みがあった。これ、結構難しいことだと思うんです。時代に即した風俗生活描写というの。その時点でこの映画はめちゃくちゃ真摯で、今までのどの剣心よりも時代劇をしている。そういう生々しい剥き出しの人々の傷に向き合う造形に、私は全く「今さら」感を感じなかった。なんなら、きっとゼロ年代よりも高い解像度で理解できるとすら思う。
 だから30年もののプロジェクトが今完遂したんだなあと思ってみたり。延期はあったけど、公開されて本当に良かった。見に行って良かったし、広く見られて欲しいと思います。

 最後に、めっちゃ考えてたんですが、数いる剣心キャストの中で、結構要を占めているのが平成以降の役者っていうのも面白いなあと思います。
 瀬田宗次郎=神木隆之介の驚異的な再現率は語種ですが、有村架純もすごかった。ちょうど彼らは自分と同世代なので、剣心シリーズとの関わり方も私と似たようなものだと思うんですが、生まれてからずっとそこに存在していたような長いコンテンツで、主だって活躍できるのって冷静にすごいですし、そういう意味で世代的にネイティブ世代なんだなあと思います。ほんとはアニメ見てたけど、アニメ見てその程度かよと思われたくなくて、未視聴ですって貫いてた有村さん微笑ましい(インタビューより)。
 いやまじで神木隆之介は何回見てもすごい。そう、神木くんFinalの方に出てるって聞いたから、やっぱ行かなきゃなんですよ。行きます。忙しすぎる仕事を憎みながら行きます。行きたいよお。

 喚いて失礼しました。
 またよろしくどうぞ。では。

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