見出し画像

コトバのセカイ: そこにないのにあるもの 杜甫からフラカンまで


生きててよかった
生きててよかった
そんな夜を探している

すぐに「あっ」と思う方も
なにこれ?と思う方にも
知ってほしい、言葉が起こす魔法の世界を紹介します。

邦ロックファンはもちろん、
たくさんのアーティストにカバーされていて
聴いたことがある人も多いけど
道端で聞いてみると、案外10人に1人くらいしかいないかもしれない。

歌詞はこちらを

もちろんフラワーカンパニーズの圧倒的なパフォーマンスが素晴らしい
のだけれど、この歌詞には、実は凄い魔法がかけられている。
そして構成も含めて、恐ろしく練られている歌詞が
人々の心を離さないのだ。

青春ごっこを今も 続けながら旅の途中
ヘッドライトの光は 手前しか照らさない
真暗な道を走る 胸を高ぶらせ走る
目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ

青春ごっこを今も

この言い方でハッとする人も多い。
青春をしているか、と聞かれたら、ほとんどの人がNOを言うだろう
10代の男女さえも、自分達を「青春」とはくくらない
でも青春は誰もが憧れて、誰もが
いつの間にか終わっていたような
なにもせず過ぎてしまっていたような。
つまり、「青春ごっこを今も続けながら旅の途中」だと思う人は
これを聴くほぼ全員の胸に「これは自分の事だ」
と思わせる表現になっている。

手前しか照らさない

ヘッドライトとは、目の前の事しか見えない
将来とか夢とか、そんな事わからないよっていう
子供から大人までみんなの気持ちを代弁している。
手前しか見えない暗い道を、僕らは皆走っている。
目的地(夢や目標)もないし、
帰り道も忘れた(=過去には戻れない)。

この最初のフレーズだけで
「これは自分の歌だ」と老若男女全てに思わせてしまう
歌でも映画でも、名作は観客全員に「自分の物語だ」と
思わせる要素があると聞いた。

壊れたいわけじゃないし
壊したいものもない
だからといって全てに 満足してるわけがない

このフレーズも、誰もにハッと思わせる。
映画や過去のロックの名曲(例えば尾崎豊)のような
破壊的な青春感へのアンチテーゼ。

リフレイン

80年代を最後に、聞くことがなくなった言葉の1つ。
「何度も繰り返す」事で心に染み込んでいく表現方法。
邦楽ではロックを中心に
あまりにポピュラーだったので
これが技法だと思われないが実は非常にパワフル。
僕がやっているコーチングでも
「同じ質問を何度もする」という技がある。
そして問われる度に、違う気持ちや考えが出てくる。
それは、言葉は変化しなくても、感情は変化していくからで
2度目に問われた時は、1度目を聞いて心が動いた後の自分に刺さる。


生きててよかった
生きててよかった
生きててよかった
そんな夜を探してる

生きててよかった
生きててよかった 
生きててよかった
そんな夜はどこだ

この歌の最大の魅力はもちろんこのサビにある。
何回も何回も繰り返される「生きててよかった」
という普遍的で平易な言葉なのに
ただ生きている事を良しとする「究極の許し」がある。
人は「価値が無いといけない」と誤解しがちだが
「ただ生きているだけで価値がある」事を誰もが望んでいる。

この言葉を何度も何度も音楽と共に聞くことで
自分の心に「許し」が染み込んでいく。
辛い事もあるかもしれない、希望が無いかもしれない
でも、誰もが言って欲しい言葉をここで言ってくれるのだ。

スクリーンショット 2020-08-13 16.42.24

Youtubeのコメントの1つ
僕の中にも、これを見て浮かんだ顔が幾つかあった。


意図的な「誤解」

最後に、
今回お伝えしたい、最大の「魔法」が
この「意図的に誤解させる」表現。
リフレインと違ってほとんど気づかれていないが
実は多くの歌に国内外問わず使われるテクニックでもある。

もう一度上のサビを読んで欲しい。

生きてて良かった そんな夜を探してる
生きてて良かった そんな夜はどこだ

そう、この歌の中の人物、もしくは歌っている鈴木圭介さんは
「あ〜生きてて良かった」とは言っていない。

「生きていて良かったって、思えるような夜はどこにあるの?」

と、願望を口にしていて
「今全く逆の状況」である事が歌詞を読むとわかる。
歌詞を読むとわかるのに、
歌を聞くと「生きてて良かった」という歌だと感じる。
これが「ミスディレクション」もしくは
「否定による強調」表現だ。2つめは自分で名付けた。

これは何が凄いか?凄いのだ。
1つ目は

今あなたがそう思えなくても刺さる

例えばこれが花*花だとすると
「あーよかったな あなたがいて」となる。

しかし、もし「あなた」が誰か思い浮かばない人にとっては
花*花は「自分にとって関係ない歌」を歌っている
悪く取ると「あー幸せで良かったですね!」と反感すら覚える。

しかしこちらの場合
「生きてて良かった」と思える人にとっては現状の肯定
そして
今はそう思えない人にとっては願望のシャウト
どちらにも「自分の歌だ」と思えるのだ。
ファンが偏りそうにも見える邦ロックにおいて
どんな状態の人も包み込む懐の深い表現になる。

もう一つは

否定されるからこそ、強く信じられる

という魔法が起こる。
何のことかよくわからない人には
「友達にやめておきなと言われる程好きになる彼氏」
に置き換えてもらいたい。
愛情の反対語が無関心だと言われる通りで、
否定こそは強い執着である。
嫌い嫌いこそが好きなのである。
フラカンは言っている「そんな夜が来ないんですけど〜」と。
「生きてて良かったとか全然思えないんですけど〜」と。
言えば言うほど
聞いているあなたにも、歌っている鈴木さんにも
「生きてて良かったと思える時が来る」
という希望が染み込んでいく。そんな瞬間は必ずあると。

ちなみにこういった
言葉のミスディレクションは

ミスチルがよくやっている

しかも、どちらかというと、
ちょっと意地悪く使っている。例えば「君が好き」

君が好き
この響きに
潜んでいる温い惰性の香りがしても

ドラマの主題歌用で
「抱きしめたい」的な甘々な歌を求められたミスチルが
「いやもう今更そんなのやりたくないんですけど」
的に作った歌
だと勝手に妄想している。
サビでは甘い声で「君が好き」を連呼するので
とにかく「君が好き」なラブソングだと思わせつつ
直接的に言わないので「歌詞をあんま読まない桜井ギャル」
をまんまと騙す形で「温い惰性」という落し方をする。
「がしても」とか「これ以上の意味はなくたっていい」とか
一瞬やっぱりラブソングなんじゃん感を出しつつ
「じゃあなんでわざわざそんな歌詞を入れたのか」を考えると
結局これがどんな歌なのかをじんわりと伝えるという
非常に高等なテクニックである。
「汚れていってしまう僕ら」と「煮え切らないメロディ」が
恋愛の不都合さを表現しているという意味で、非常に大人の歌である。

そしてこの否定による強調、多分世界で一番昔からやっている人を
最後に紹介して終わりたい。
国語で習ったのを覚えているだろうか?

杜甫

である。
杜甫は、712年、当時「唐」と呼ばれていた中国で生まれた
中国二大詩人の1人。
彼の代表作「春望」はこの否定の魔法を使っている。

国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻短
渾欲不勝簪

訳はこちらのサイトでどうぞ

世界一有名な書き出し「国破れて山河あり」は
自分が務めていた唐の国が戦争で崩壊し、
仕事を失い家族と離れて辛い状態を見事に表すが
この詩全体に、BEFOREとAFTERが対比で語られている。
今の辛い状況=自然的な表現
過去の良き時代=人工的な表現

と完璧に対比しながら
「ああ、簪をしていたり、家族と優雅に暮らしたあの国はもうないのだ」
と悲しげに歌うことで、
その時の幸福感を見事に強調している。

否定する事で人の心に届かせるという言葉の魔法は
実は時代を越えて多くの表現者に使われてきた秘伝なのだ。


最後に、今回の歌「深夜高速」カバーの中で
最高に素晴らしかったバージョンをご紹介します。
一人でじっくりと、ヘッドフォンかイヤフォンで聴いてください。


あなたにも、生きてて良かったと、
思える夜が来ますように。

サポートされたら、俺はその倍額を寄付する。倍返しだ。