上田順平

生と死、家族、愛をテーマに写真と文章で作品を作っています。自死遺族。 ❁2013年 N…

上田順平

生と死、家族、愛をテーマに写真と文章で作品を作っています。自死遺族。 ❁2013年 Nikon三木淳賞受賞 ❁2017年 写真集「 Picture of my life 」出版 ❁2023年 写真集 「 形見の鏡 」を制作中

マガジン

  • エッセイ「Picture of My Life」

    このマガジンは私が「両親の相次ぐ自死」を題材に20年かかって作品を制作した経緯を10話のエッセイとしてまとめたものです。 以下は作品の紹介文です。 写真集「Picture of My Life」は、両親の相次ぐ自死という、作家自身の悲劇的な体験をとおして夫婦愛、家族愛の意味を問うた作品であり、自死した両親への感謝と強く生きる決意を込めたメッセージでもあります。 父が描いた絵、家族の記念写真、上田が撮影した写真とテキストで構成された本書は、2016年に限定21部で上田が制作した手製写真集「Picture of My Life」を元に制作されました。21部の手製本は完売しましたが、オリジナルの質感を再現した普及版として、イタリアの出版社CEIBAから500部の刊行となります。 ”幸福とは愛する人と生きること”  上田は両親から貰った愛を世界中の人たちと共有することを願っています。

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1) 父の絵

ふるびた集合団地の一室。リビングに敷かれた緑色の絨毯に親子の影が伸びる。 9歳の頃、父から小遣いをもらって絵のモデルになっていたことがある。 11月の気持ち良く晴れた日曜日。窓の外には黄色く茂った銀杏の並木と、うろこ雲、どこまでも透明な青い空が広がっている。 やわらかな午後の光がはいる窓際に椅子をおいて腰かける私。2メートルほど離れた場所にイーゼルを立て、キャンバスに向かう父。 「カサ、カサ、シュッ」 じっと遠くを眺める次男の姿を、乳白色の画面に木炭で彫るように描き

    • 娘たちへの手紙 〜 はじめに 〜

      眞綾と綾乃へ この手紙を書いている今は、2024年2月21日。 パパとママは47歳で、眞綾は13歳、綾乃は8歳です。 10年後ぐらいに20歳になった眞綾と綾乃に読んでほしくて書いています。 だから、今のあなた達が読むと少し難しいことも書くつもりです。 そして、ここからは大人になったあなた達を子供扱いしないためにも、客観的な書き方にしていきます。 って思いましたか? それはね。 私は今は元気だけど、急に死んでしまうかも知れないから。 災害、事故、急病。 人は

      • 10)写真集を出版したこと

        2015年に東京の写真ギャラリーRPSで開催された手製写真集製作のワークショップに参加し、RPSキュレーター後藤由美さん・写真家のヤン・ラッセルさんと「Picture of My Life」をつくった。 由美さんとヤンさんに相談しながら、大まかなストーリーラインをつくり、写真を分類分けして流れをつくる。 1人で滞っていた編集作業が、由美さんと話し合うことで、無駄がそぎ落とされて物語として纏まっていった。 布張りのハードカバーで家族アルバムのような装丁。 表紙には父が描

        • 9)写真家としてのデビュー

          娘の誕生を撮った写真を見ることで、私は両親と会話するような感覚を持つことができた。 そして、長く忘れていた両親の自死を思い出した。 生と死。 私にとっての充足と欠落の出来事を1つの塊として見たい。 自分の人生を物語としてまとめたいという欲求が膨らんでいった。 それからは過去の写真を見返す、今の家族写真を撮る、プリントした写真の束を作品として人に見てもらう。 という一連の制作サイクルを自分のために行うようになった。 写真家として現時点での全力を見てみたい。 20

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        1) 父の絵

        マガジン

        • エッセイ「Picture of My Life」
          10本

        記事

          8) 新しい家族

          2004年4月。 写真で生計を立てることを諦めた27歳の私は、兄と一緒に家業の運送会社で働きはじめた。 職場の人たちは私の知らない父の話を聞かせてくれた。 ここでは父は不幸な人として扱われるのではなく愛されている。 仕事内容は体力のない私には不向きな、深夜勤務のトラック運転手。 いつも睡眠不足で仕事に面白みは感じなかったが、両親の自死を隠す必要がないこの場所に救われた。              * * * 何とか仕事にも慣れた30歳のとき、知人の紹介で香織と知

          8) 新しい家族

          7) 色が消えた家

          「今年の7月に世界が破滅するって、予言者が言うてたらしいけど、なんも起こらんかったな。 うちの家族は去年ぶっ壊れたけど…。もう世界なんか終わったらええのに…」 1999年12月の午後、両親の一周忌が終わり親戚が帰ったあとのリビング。 私は深く吸い込んだハイライトの煙を吐きながら、ソファーに座る兄に言った。 両親の死後、時間は何もなかったように流れてこの世界は私に生きることをしいる。 みぞおち辺りに内臓をもぎ取られたような鈍い痛みがあり、思考を前に進めることが出来ない

          7) 色が消えた家

          6) 父が遺した家族アルバム

          旅から帰宅して唐突に両親の死に近づいた私は、目の前で起きている事の理不尽さにただ呆然としていた。 寝て起きたら夢だった。 なんていう落ちはついてないみたいだ…。 いくら心が痛くても、大声で泣きわめいても、酒をあおって酩酊し気絶するように眠っても、時計の針はただ前に進む。 絶望に飲み込まれながら、私は目の前のありのままを記録して、今しかないギリギリの感情を残そうとした。 写真を撮る事で自分を死の淵に連れてきたこの出来事に、少しでも抵抗したかったんだ。 2人の遺影が並

          6) 父が遺した家族アルバム

          5) 死の淵

          重たいバックパックを背負って、23時過ぎに自宅のインターフォンを鳴らすと、生気のない顔をした兄が玄関を開けてくれた。 1ヶ月半ぶりの自宅は、12月の外よりも寒い。 線香の匂いがする。 タイで見た悪夢が続いているみたいだ。 2階のリビングに荷物を下ろして階段を上がる。 仏間の引き戸は取り外されて、見たことがない大きな祭壇があった。 冷たく張り詰めた空気。たくさんの供花。暗闇をぼんやりと照らす灯篭。 並んで遺影におさまった2人はずっと笑っている。 リアルすぎる夢は

          5) 死の淵

          4) 悪夢の知らせ

          「なんでそんなとこで正座なん?ソファか椅子にすわったらええやん」 「ここがいいの。落ち着くから…」 真昼の日差しが入るリビングのすみで、母がカベを向いて正座している。 「夜は寝れた? 体は大丈夫?」 「寝てない。頭が重たいの。脳が圧迫されるみたいで不安になる。ごめんね…。私が悪いの」 2畳ほどの衣装部屋で、包丁をもってしゃがみこむ母。 仕事から帰宅した父がリビングに母がいないことに気づいて、母の名前を呼んでいる。 リビングのソファーで父の声を聞く私。 閉じ篭も

          4) 悪夢の知らせ

          3) 錆色の空

          「ノストラダムスの予言では、1999年7月に地球は滅びるらしい。あと1年しかないんだよ?」 テレビが大袈裟に騒いでいるのを、深夜のリビングでぼんやり眺めていた。 この頃、母は49歳で更年期障害から鬱病を発症。不眠が続き、頭痛、めまい、不安感に襲われていた。 「お前はなんでそんなに弱いんや。頑張るて言うてたやないか。俺までおかしなるわ!」 月曜日の夕方。包丁をもって狭い部屋に閉じこもった母を見つけた父が大声で怒鳴っていた。 父が母に対して声を荒げるのを聞いて、とても動

          3) 錆色の空

          2) 両親がくれたもの

          あけ放たれた縁側から差しこむ光。 畳の部屋。 土壁にもたれて、ちょこんと三角座りをする制服姿の少年。 長袖のブレザーはブカブカで、半ズボンからヒョロリと細い足が伸びている。 野球帽を斜めにかぶり、前髪は額の真ん中あたりでピシリと横にそろえてある。 本を手にして恥ずかしそうな、はにかみ笑顔。 祖母がつくった家族アルバムで見た、たて型名刺サイズの古いモノクロ写真におさまった10歳頃の父。 おそらくは1950年代後半。 親が子供の写真を撮るのは珍しいことだったのかも

          2) 両親がくれたもの