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8) 新しい家族

2004年4月。

写真で生計を立てることを諦めた27歳の私は、兄と一緒に家業の運送会社で働きはじめた。

「社長はええ男やった。神戸の震災の時なんか1番最初に自分でトラックにのって新聞持って行ったんや。あん時、あの辺りの駅売店に新聞つけたんはうちの会社だけやったんやぞ」

「あけみさんが亡くなって社長が後追いはったときはびっくりしたけど、まあしゃーないわ。あの2人仲よかったもんな~」


職場の人たちは私の知らない父の話を聞かせてくれた。

ここでは父は不幸な人として扱われるのではなく愛されている。

仕事内容は体力のない私には不向きな、深夜勤務のトラック運転手。

いつも睡眠不足で仕事に面白みは感じなかったが、両親の自死を隠す必要がないこの場所に救われた。


             * * *


何とか仕事にも慣れた30歳のとき、知人の紹介で香織と知り合った。

控えめだけどしっかりと自分の意思をもった美しい女性。

明るくて大きな笑顔が母に似ているかもしれない。

家族をつくれば何かが変わるような気がしていた。


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彼女も私のことを気に入ってくれて2010年3月に結婚。

翌年の春、妻は妊娠した。

何故だろうか?大きくなっていく妻のお腹を見ていると無性に写真を撮りたくなった。

春には桜と海を見るために和歌山の高津小山を歩いた。

夏には私が幼少期を過ごした団地のある片山公園を歩いた。

秋にはまっ黄色な銀杏並木がしげる緑地公園を歩いた。

妻の笑顔と太陽の光、季節の色を見ていると、胸が暖かくなり世界は平和で明るくなる。

色とりどりの風景の中を妻と一緒に歩き何枚も何枚も写真を撮した。

家族とすごす何でもない幸せ。

5年前、26歳で独りぼっちの写真学生だった自分には撮れなかった写真がここにある。

              * * *


そんな11月末、日曜日の夜。

「そろそろ産まれるかも」

夕食後、額に汗を浮かべた妻がリビングで小さくつぶやいた。

太鼓のようなお腹に赤いクッションを抱え、体をくの字にまげて絨毯敷の床に横たわっている。

陣痛の間隔がじょじょに短くなってきた頃に、産院に電話をして出産の準備を行った。

大きなお腹をさする妻を助手席に乗せて、暗い夜道を産院に連れていく。

目の前を残したい一心でカメラを持って妻の出産に立ち会った。

入院から10時間後。

ベットで顔を歪めて獣のように呻く妻の股ぐらから、破水とともにこの世界に登場したあたらしい命。

初めてみる産まれたての人。

細い手足と小さくて繊細な指、全力で声を出して、息を吸うために波打つ腹と胸。

そのすべてを動かして泣き喚く小さな命。

「この子が俺の子供…」

暖かくて、目が離せなくて、なぜか愛おしい。

当たり前すぎて忘れていた私の中の欠落がゆっくりと埋まっていく。

失っていた臓器が新しく造られるような感覚。

娘を見る私の眼差しは、両親が私を包んでいたものと重なる。

そして妻と私が交わす眼差しは、両親が見せてくれたものと同じだ。

私はこんなにも愛されていたんだ。



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