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7) 色が消えた家

「今年の7月に世界が破滅するって、予言者が言うてたらしいけど、なんも起こらんかったな。

うちの家族は去年ぶっ壊れたけど…。もう世界なんか終わったらええのに…」

1999年12月の午後、両親の一周忌が終わり親戚が帰ったあとのリビング。

私は深く吸い込んだハイライトの煙を吐きながら、ソファーに座る兄に言った。

両親の死後、時間は何もなかったように流れてこの世界は私に生きることをしいる。

みぞおち辺りに内臓をもぎ取られたような鈍い痛みがあり、思考を前に進めることが出来ない。

“現実を受け入れる” なんて言葉があるけど、自分ではコントロール出来ない力でこの言葉を拒否している私がいる。

両親の自死を思い出すことと憐れみの目を向けられることが苦痛で、人とうまくコミュニケーションが取れなくなった。

「早すぎたな。かわいそうに」

深刻そうな顔をつくり私たち兄弟に不幸の烙印を押してくる人々を憎んだ。

「お前に何がわかんねん!俺の両親は最高にイケてるんじゃ!ボケ!!」

両親の自死が人に言えない自らの欠落となり、人の目を見ることができない。

私にとって自慢の両親が、人に言えない存在となり、その自死が負目になることがたまらなく悔しかった。

父が作った家族アルバムは押し入れにしまって見ないようにした。

やることと言えば映画を観るか本を読むこと。

夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、アッバス・キアロスタミ。

「黄桃の味」は生きても良いかなと思わせてくれた。

他人がつくった物語に入り込んで現実逃避するのが心地よかった。

それ以外は何もせずに眠る日々。

目を覚ますたび、両親の不在は動かない現実だと思い知る。

毎日こんな気持ちになるくらいなら、もう目覚めなくても良い。

でも、どんなにこの世界を憎んだって、夜は明けて朝はきたんだ。


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祖父、祖母、父、母、兄、私。

家族6人で暮らした鉄筋3階建ての大きな家に22歳の私1人で住んでいた。

脱いだままの服が散らかり、観葉植物は枯れ、あんなに綺麗だったリビングが埃にまみれた廃墟のようになった。

家は住む人によって生き物のようにその姿を変える。

家族みんなで住んでいた頃の清潔で安定した空間は、あっという間に不安定な私の内面を反映した。

ただ、時間が流れて少しづつ両親の記憶が薄れることは、私にとっては救いでもあった。

食べるために働き、新しい情報を入れ、目の前を写真に収めて前に進む。

生きるための作業を行うことで、少しづつ両親を思い出さない日が増えていった。

それでも胸に残るのは、父が自死を前に編集した家族アルバムを見たときに私を貫いたあの感覚だった。

両親の自死を核にした写真作品を作りたい。

悲しみにくれる自分とは別に、作家として冷酷に両親の自死を値踏みしている私がいる。

両親の相次ぐ自死が表現する愛と絶望を直視して具現化すること。

あの家族アルバムに私が見たのものは愛だった。

父は自分のために絵を描き続けたが、私だけに観せた最後の作品はこの家族アルバムだったのだ。

しかし他者からすれば、何処にでもあるような家族アルバムにしか見えないだろう。

私がこの家族アルバムに見たキラキラと光る宝石のような愛を人に見せることが出来れば、凄い作品になると確信していた。

これができれば、自死した両親を不幸の象徴にして、私たちを憐れんだ奴らを見返せると思った。

そのために私にできることは、今しかない目の前を写真に残して、私の感情を眼に見える形に残すこと。

両親の遺影を並べた祭壇、小さな骨壷に入った骨、枯れていく母の花壇、父が描いた油絵たち、無気力な青年が住む散らかった部屋。

いつか違った気持ちでこの写真を見る日が来ることを願ってシャッターボタンを押し続けた。

23歳で写真学校の夜間部に入学して技術を学んだが、両親の祭壇や遺骨の写真を人に見せることができなかった。

この頃の写真を見ると感情が乱れて、まだ写真を素材として扱えない。

この作品制作を続けていくために写真で生計を立てることを考え、雑誌で人物紹介の写真を撮ったが気持ちが入らない。

何度か試して自分が撮影する意味を見つけられずに辞めてしまった。

私の思う写真はこれじゃない。

だけど、自分のために身の回りを撮った写真は孤独なものばかりで、人に見せられなかった。

自分の求める写真がどんなものなのか分からない。

このころの写真は私に自らの孤独を突きつけるだけだった。

次第に写真に関わることの全てが苦痛になっていった。

「両親の自死を扱った作品なんて今の俺には作られへんわ…」

26歳の私の人生を前に進めるのは写真ではなく、自立した大人になることだと思った。

家族で過ごす、なんでもない幸福が欲しかった。




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