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40代の日常 POP LIFE ~プとサと何か ep.1

 また10か月ぶりの投稿。タイトルも変更した。今年で40代半ば。未だに独身、日々20代の感覚だ。これが良いのか悪いのか。周りは家族がいたり、組織で地位を築いている。羨ましいとは思わない。”一般”、”普通”、”常識”そんな基準からはとっくに外れているマイノリティ側の人間だと自負している。
だから、毎日が絵のように曇って靄っている。
でも、生きていきたい。この先に希望を持ちたい。これまでの人生に後悔はしていない。

病気

 ちょうど4年前、職場での人間関係で鬱を発症した。軽度ではあるが、今でも病院に通い、薬を飲んでいる。この4年間で職場も変えた。心理療法も受けた。自分の内面に覆い隠しているものが少しだけ見えた。以前よりも感情を直に出し、自責する癖を矯正した。
油断すると眠れなくなるし、仕事もプライベート何も出来なくなるが、以前に比べるとかなり減った。だいぶ回復していると思うし、必ずしもマイナスの経験ではなかったと思っている。自分にとっては避けれなかった。

プロレス

 病気を発症、職場も変えた。その時、世の中はコロナ禍だった。そんな中、旧Twitter(現X)で何気なく目に留まったのはプロレスリング・ノアのYO-HEYがドロップキックでピンフォールを奪ったという記事?投稿?だった。えぇ、ドロップキックがフィニッシュ??
 プロレスは小6~大学1年まで趣味を公言していた。いわゆる90年代四天王+三銃士時代だ。毎週、週プロを買い。バックナンバーも買い集め、ムック(ミスターX著とか)を買い集め、テレビ中継は毎週のワールドプロレスリング、全日本プロレス中継を録画し、繰り返し見ていた。もちろんファイプロも全作品プレイした。そのためにセガサターンも購入した。身体ばっかりはデカいのに運動音痴の私はとことんネガティブだった。そんな思春期に憧れとなったのは、四天王と三銃士。周りが部活、恋愛、バンドに夢中になっているなか、新日本-全日本の対抗戦の実現を夢見ていた。しかし、馬場逝去、1・4事変(生観戦)、PRIDE台頭、四天王、三銃士のコンディション低下etcによりプロレスから離れてしまった。その後は、ネット記事やTwitterで見るくらい、レインメーカーショックにも乗れたわけではない。(10年代初期は何度か観に行ったが)
それ以外は宝島からのゴシップ記事とYouTubeで過去の試合を観る程度だった。そんな中でドロップキックがフィニッシュ。30分睨み合いの試合、最年少GHCチャンピオン、”いま”のNOAHが気になり始めた。そして、現在に至る。仕組みやネガティブ要素は、格段に当時よりも理解している。しかし、プロレスはプロレスで変わらず続いていたし、当時と変わらないぐらい楽しめている自分がいた。
 気が付いたら、週末は生観戦の予定を優先した生活になっていた。

サとサッカー、そして他

 プロレスから離れて中心となったのはサッカーだ。フランスW杯予選に始まり、中田英寿、トルシエ、オシム監督、巻誠一郎、ザッケローニ、リバプール、ジェラード、バルセロナ、本田圭佑etc スカパーのアンテナを立て、
サッカーブログを漁り、サッカーマガジン、サッカー批評、戦術本を読み漁った・・・と今回はサッカーの話はこれぐらい。
 あとは仕事(転職3回経験)、婚活、珈琲生活、40代がどんな生活をして何を考えているか、アウトプットしていければ。つまらない事かもしれない、何気ないものかもしれませんが・・・

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