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ありがとう新宿FATE

新宿FATE 初めて地下アイドルでファンになったのがSPEAK SPEAKER(スパスピ)で、スパスピのHOMEだったのが、ココ新宿FATEだった。スパスピってグループは、アイドル事務所ではなく、WE LOVE RECORDSさんってバンドの音楽事務所から出たグループで、作詞作曲とかはコノ事務所の株本鉄社長やソノ仲間のミュージシャンの方々がやっていた。それで、スパスピは(今のレイワンみたいに)ソコのバンドさんやミュージシャンと毎週のように対バンしたり、アコースティックライブしたりして、腕を磨いていた、そんな場所が新宿FATEだった。バンド界隈から来た自分にとっては、アイドルアイドルしてる現場より入りやすかったし、スパスピ以外のバンドやアーティストの皆さんとも仲良くなれて、ワンマンライブやら対バンやらも色々行った。初めてアイドルの生誕祭っていいなと感じたのも、ココでやった朝日向星羅生誕祭だった。アレがなかったら、今頃、コムライズドでアレコレとイベンターみたいな事はやってない(笑)年末には毎年ココでカウントダウンライブしてたり、クリスマスもバレンタインも、本当に思い出や出会いがいっぱいあった箱だし、色々な事を勉強させてもらった。
中でも大きなターニングポイントの一つがAIBECKとの出会いだ。だいたいどことやっても完勝するスパスピの対バン相手で互角と思える動きのキレや楽曲の良さがあった。スパスピの名曲『WAY』(#東京花魁物語などのプロデューサー ハシバタカナリさんが書いた曲)をココで共演したことがすごく思い出に残っている。後に『明日はAIBECKさんのイベントに出演します』『勝ちたい‥』『負けたくない‥』『(その時、病欠だった)由規奈がいる時に闘いたかった』とかライブ中に語るほど、バチバチのライバルとなり、数々の名勝負を繰り広げるようになる。
LEIWANはデビュー当時はテロリズムンって名前だった頃から、新宿FATEでスパスピのイベントなんかに出ていた。澪が生誕祭で話をした‥『デビューしたばかりの頃、楽屋で椅子すら用意されてなくて場所は他のアイドルさんが使っていて、自分たちは楽屋の隅っこで着替えていたような時、“ココ使って下さい“と私達に椅子をひいてくれたのがスパスピさんで、そういうアイドルというか‥表に立つ人間になりたいな‥表に立つ人間が‥自分のファンの方々が観てない所でも‥誰かを尊重出来るって凄いなと』ような触れ合いを通して、レイワンは一歩一歩成長していった。
先述のハシバさんが新木場スタジオコーストでイベントをやった時、レイワンメンバーの夢が出来た『新木場スタジオコーストでワンマンをやる』‥コレを言った時、周りはまだまだ無理、できっこない、そんなリアクションの中、スパスピの木山しずか(ダンサー/振付師)は『レイワンは新木場スタジオコーストでワンマンをやるグループだと思った』と力強いメッセージをくれて、レイワンメンバーの自信とチカラになった。(※レイワンの新木場ワンマンの話はいずれ書きたい)
スパスピ自体も盟友969ってグループとのコラボ曲はAIBECKやLEIWANの全曲振付をしているaya先生が振付をしたりもしている。など、まだまだ書ききれないほどの接点や思い出が、、音楽を通じて沢山沢山あった。新しくコムライズドで知った仲間には、AIBECKやLEIWANが思い出の地に凱旋することを感じてほしいし、またスパスピの楽曲の良さに触れて、是非聞いてほしい。昔っからのスパスピの仲間には、新しくなったAIBECKやLEIWANの成長した姿を是非観てほしい。
新宿FATEは無くなってしまうかもしれないけど、ココで音楽を通じて繋がった縁や魂が、また誰かに受け継がれていきますように‥ いっぱいの愛と思い出をありがとう新宿FATE 

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