奇蹟_イクオの海

「新・小説のふるさと」撮影ノートより『奇蹟』について思ったこと。

 伊半島豪雨(平成23年9月初旬)のすぐあと、名古屋でようやく特急の切符を手に入れて新宮へ向かった。駅に着く少し前に列車は熊野川を渡る。かつて筏師(いかだし)が運んできた杉や檜が川面を覆っていた河口は雨が運び来た土で赤茶色に染まっていた。中本の「高貴にして澱んだ」血はこういう色だろうか。この川にかかる巨大な鉄橋を渡って中上健次の世界に足をふみいれた。
 翌日も雨が降っていた。新宮図書館の三階に設けられた中上健次資料収集室に行った。図書館長から街と作家の丁寧な説明を聞き、コピーではあったけれど、緊密に記された中上健次の直筆原稿の写真を撮る。そしてその日は館長からいただいた地図を片手に路地を、商店街を濡れそぼちつつ歩いて、越境してきたあの鉄橋の上で熊野川をもう一度眺めた。


 中本の「高貴にして澱んだ」血の澱みは放蕩のことだ。そして優しさと女を引きつけてやまない美しさは反面、脆さと弱さが複雑に入り交じっている。闘いの性の生まれついたタイチより、実は一統の長兄イクオこそがそれを最も色濃く受け継いでいた。
 新しい男のもとに去った女親へのやり場のない怒りを抱えながら、末の妹のキミコを薄幸から守りたいと願い、男親違いのアキユキに対しても思いやる。だがその優しさの裏にひそむ脆さを救う愛情をイクオは得ることができなかった。代わりに彼は一人ヒロポンにおぼれてゆく 「今度の三月三日また皆なで三輪崎の浜へ弁当持っていこらい」。二十代で縊死せざるをえなかった「兄として妹や弟らにやってやる最後の遊びのような気がしたから」とイクオは駅一つ向こうの磯にキミコとミエとアキユキをつれて遊びに出かけた。

 その磯に東京に戻る前に行きたいと思った。そして翌日行ってみると三輪崎の海岸は海水浴にぴったりな砂浜がただ広がっていて磯がなかった。あきらめかけた時「久嶋(孔島)鈴島植物群落」という看板を見つけた。三輪崎漁港の崎にある小さな島状の奇岩が連なる一帯はハマユウが群生しその突端には磯が広がっていた。小さな子供が貝や小魚を追って遊ぶにふさわしい、けっして大きくはない磯。コバルトと緑の海に泡波が白かった。イクオの磯はきっとここなのだろう。そしてその思いに念を押すように、精神を病みこの湾を「魚の上顎」のように見ていた老齢のトモノオジが入院していた病院の白い建物が見上げると目に飛び込んできた。


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